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「オシュは母の手作りが一番」【2023年度版】 秘境 ワハーン回廊 自力での行き方/楽しみ方#2 ドゥシャンベ編

いつもお世話になっています。
旅する百姓です!!

【イントロ】

この度は、前回の記事に引き続き、「秘境 ワハーン回廊への行き方/楽しみ方」について書いていきます。現地での旅の記録を交えながら、タジキスタンの首都ドゥシャンベでのすべきことを書いていきます。ワハーン回廊に行くにあたって、ドゥシャンベの準備が旅全体の鍵を握ります。本記事が、ワハーン回廊に興味のある読者さんが、ドゥシャンベで立ち回りの参考になれば幸いです。

本記事の構成は、
①ドゥシャンベですべきことの概略
②私の旅の記録
です。

①は必読です。
もしも、自身で冒険したい方、石橋は叩かずに渡りたい方は、
①だけ読んでいただければ大丈夫かと思います。
②では、私の旅の様子を写真と共に紹介しながら、
宿や食べ物、出会った人や
ウズベキスタン-タジキスタンの国境越えなどを
シェアしていきます!!



①ドゥシャンベですべきこと

これ以降、下線が引かれた地名をクリックすると、
Google Mapの実際の場所に飛ぶことができます。
実際の場所が気になる方は是非確認してみてください。

GBAO Permitを申請/取得する

これがGBAO Permitの原本です。これがないと、ホログ(Khorog)以降に進むことができません。

前回の記事でも記載したように、
ワハーン回廊、またはホログ(Khorog)方面のパミールハイウェイを
目指す観光客は、このGBAO Permitと呼ばる許可証が必要です。

ゴルノ・バタフシャン自治州には軍の検問所があり、
そこで、パスポートと一緒にこのGBAO Permitを提出することになります。

取得場所:OVIR(基本平日営業)
取得価格:20-120 Somoni (260円-1500円程度)
取得時間:3時間から48時間
必要書類:パスポート、OVIRで渡される書類
取得方法
タジキスタン主要都市の
OVIR(Department of Visas and Registration)に行って、
そこで申請から取得するのが、おすすめです。
一番安く、一番早く取得できるからです。
私もその手段を採用し、無事に取得できました。
私の場合は、ドゥシャンベのOVIRに行きました。
10SomoniがOVIRの入場料として取られ、
申請手数料で70Somoniの合計80Somoniでした。
申請書類にパスポートの情報を記載し、
パスポートと共に預かってもらいます。
受け取りは、4時間後でした。
同じ事務所で申請したとしても、
価格や待ち時間は、
インターネットや他の旅人によって異なります。

この他にも、タジキスタン外のタジキスタン大使館でも
申請から取得まで可能ですが、
価格が2ドルから60ドルまで変動するので、
あまりおすすめできないギャンブルです。

また、「どれくらいの期間申請したいか?」を尋ねられた際に、
タジキスタン滞在最終日を答えましょう。

GBEO記載よりも長くゴルノ・バタフシャン自治州と
罰金(または、賄賂)を支払うことになるので、
万が一備えて、極力長めの滞在期間を設定してください。

Registration (住所登録)

行政の営業日を含めないで10日以上タジキスタンに滞在する場合は、
必ず住所登録が必要になります。
つまり2週間を超える場合は、
Registrationを申請をしなければなりません。
うっかりこの申請を怠ってしまうと、
出国の際に高額の罰金(という名の賄賂)を請求されます。
ちなみに、行政営業日に土曜日が含まれているのではない?
という噂もあります。
安全のため、入国してから、12日前に申請したほうがいいでしょう。
申請やその時間的/金銭的コストが気になる場合は、
12日が過ぎる前にタジキスタンから出国することがおすすめです。

取得場所:OVIR(基本平日営業)
取得価格:140 Somoni (1800円程度)
取得時間:3時間から24時間
必要書類:パスポート、OVIRで渡される書類、滞在先の住所
取得方法

OVIRにいく前に、
タジキスタンの滞在先の住所の書類が必要です。
「住所なんてないよ!!」と思われるのも当然です。
一部のゲストハウスやホステルの住所を
滞在先住所として登録できます。
そのため、滞在先のゲストハウスやホステルにお願いして、
住所と代表者のサインが一緒になった紙をもらいましょう。
私が滞在した、サウフィ ゲストハウス sayfi Guesthouse
(Booking.comより予約)は、親切に住所とサインをくれました。

さて、OVIRへ行ったら、
Registration (ロシア語でレジストラッツア)をしたい旨を伝えます。
価格は申請者によって異なりますが、
概ね100〜150Somoniです。
申請書類とパスポートを合わせて手渡し、
申請が終わるまで預かってもらいます。
指定の日時にRegistrationの紙と共に、
パスポートも返してもらえます。

キャッシング

ドゥシャンベの外に出ると、
現金が主要な支払い手段です。
大きなモールやスーパーマーケットには、
ATMがあるので、現金をおろしておきましょう。
私はルダキ プラザ(Rudaki Plaza)でキャッシングをしました。
ドゥシャンベから、ワハーン回廊を経由し、
パミールハイウェイでドゥシャンベに戻るコースで、
私の場合は、1400Somomi(18000円程度)かかりました。
そのため、1300〜2000Somoniほど用意しておくといいかもしれません。

SIMカード

メガフォンかZモバイルのどちらかを選ぶことになります。
メガフォンは、ワハーン回廊といった田舎でも
比較的インターネットが通ります。
一方で、価格がZモバイルより倍以上高く、
短い期間ごとに店舗で延長の手続きをしなくてはなりません。
Zモバイルは、大きな都市や町ようです。
1週間ごとに店舗を探すのが面倒ということもあり、
私はZモバイルを選びました。
価格は1ヶ月で90Somoni(1180円程度)でした。

Zモバイルは、ワハーン回廊やパミールハイウェイといった
場所ではほとんど役に立ちませんでした。
1週間でもインターネットのアクセスが欲しい方は、
メガフォンをおすすめします。


②私の旅の記録

[1日目] コカンド(ウズベキスタン)→ドゥシャンベ


真夏の8月7日。朝8時、コカンド(Kokand)の最安値のRohat Hostelを8時ごrpに出発。Yandex Goでウズベク-タジクの国境(Pogranichnyy Punkt Patar Пограничный пункт Патар)に向かいました。正直、国境が空いているかどうかは不明でしたが、とにかく1時間かけて行ってみました。

ドゥーニャ(メロン)、プシニィッツァ(小麦)、カルトゥシュカ(いも)の
畑が窓越しに次々道路を通り過ぎていきました。ドライバーさんにとっても国境へ観光客を乗せるのが初めてのようで、探り探り進みました。

そして、国境に着いてみると、20-30人程の列が既にできていました。バックパッカーは私たちだけでした。とにかく、28°の朝の日差しを受けながら、ただただ入れるタイミングを伺っていました。ようやく私が入る出番になると、多くの荷物を抱えた4人組の家族を見かけたので、運ぶのを手伝いました。そのうちの一人のお母さんであるFさんが、元英語教師をしていたこともあり、私の拙いロシア語よりも深い会話ができました。

コカンド-タジキスタン間の国境は少しづつ人を入れるようです。

彼/女らは、タジキスタン出身で、親戚の結婚式がウズベキスタンがあったとのことでした。5日間をかけて、結婚式と親戚とのパーティーで忙しかったそうです。中央アジア(特に、イスラーム教の信仰が強い、タジキスタン、ウズべキスタン)では、1日は女性だけ、1日は男性だけ、1日は全員参加でという日程で結婚式が執り行われるそうです。ウズベキスタンで有名なナンやメロンを大量に買ってきたためこんな荷物になってしまったそうです。

ウズベキスタンで有名なナン。一枚いただきました。タルト風のかみごたえがありました。
少し甘めなので、朝食にコーヒーやお茶とよく合います。

当初の予定だと、タジキスタン国境から、最寄りの大きい町であるクジャンド(Khujand)へ行き、登山をしてしてから、ドゥシャンベに行く予定でした。しかし、途中で仲良くなったタジクファミリーのFさんが「ドゥシャンベまで一緒に行かないか?シェアタクシーを大人数で乗れれば、安く帰れるから」と提案してくれました。一気にドゥシャンベまで行けるのは、金銭的/体力的に効率的と考えたので、同行することにしました。国境沿いでタジクファミリーが、タクシー運転手と怒涛の値段交渉が始まりました。50分の交渉の結果、一人180Somoni(2300円程度)で落ち着きました。もう一人乗りたい人が見つかれば、140Somoniまで安くなったそうですが、なかなかお一人様が見つけられず、この価格で朝10時に出発。

途中で大きなファーマーズマーケット(メロンとスイカしか売ってない)に立ち寄りました。試食させてもらいましたが、歴代食べたメロン/スイカよりも甘く、そしてデカい!!そして何よりも縦に長い!!価格はこの質と量でたった日本円にして200円でした。タクシー運転手もファミリーもみんな買っていました。おかげで車の中は足のやり場がないほどメロンだらけでした。

メロン/スイカ市

ドゥシャンベまでの道のりは、長く険しく美しい道でした。国道M34は、300KMの長さで、大都市クジャンドと首都ドゥシャンベを結ぶタジキスタンの主要道路です。途中で3300Mを超える峠道は、本当に身の危険を感じましたが、谷を見下ろす風景は圧巻でした。

車の中から眺める崖っぷちをはしる道路。

ドゥシャンベに到着したのは18時。タジクファミリーのFさんが、息子を呼び、その息子さんが私をゲストハウスの近くまで読んでくれまいた。本当に親切な方々でした。帰り際に、「あなたを家に招待したい」と誘っていただきました。そのため、WhatsAppを交換し、お別れしました。

サウフィ ゲストハウス sayfi Guesthouseに宿泊しました。恐らく最も安い選択肢でした。

カラフルでこじんまりした通りを抜けると見えてくる、サウフィゲストハウス。

その晩に泊まった時に、初めてワハーン回廊やパミールハイウェイの存在を知りました。久しぶりのインターネットで、タジキスタンの見どころを調べていると、どうやら、この二つが有名どころのようでした。ツアーへの参加を検討したものの、価格が高すぎました。仮に旅の仲間を3人見つけて、グループツアーに申し込んだとして、食事/宿泊/ドライバーへのチップを含めないで、635~800米ドル。円安真っ只中の私には選べない選択肢でした。どうする・・・。

[2日目] GBAO @ドゥシャンベ 

朝の直感の9割は正しい。
ツアーが高過ぎるなら、自力で行ってみは?そんな恐怖30%高揚感70%の閃きがありました。ロシア語で、サウフィ ゲストハウスのオーナーに聞いてみると、GBAOやRegistrationをしなければいけない、という話を聞きました。彼女の情報とインターネット、他の観光客を参考にしながら、自力でワハーン回廊へ行くことが可能が精査しました。

最初の関門は、前掲したようにGBAOとRegistration です。次の関門は、ワハーン回廊の起点となるホログ(Khorog)から登山の観光名所、有名な温泉などのアクセスです。最初の申請係の関門はドゥシャンベのOVIRにどうにかなりそう。しかし、ホログ以降のアクセスの問題は、未解決のままでした。どんなに調べても、ツアー以外では、毎日決まった時間の交通網があるわけではないようでした。「とにかく、現地に行ってみるしかない」というのが最終的な答えでした。OVIRまで歩いて向かいながら、ルダキ プラザ(Rudaki Plaza)キャッシングも済ませしましました。

何はともあれ、まずはGBAOとRegistration。

OVIRの建物の外観。左側のゲートを抜けたら、すぐに右に曲がってまっすぐ進みます。
そうすると下の写真のような白いドアが見えてきます。
OVIRの入り口。

私にとってGBAOは必要でしたが、12日間でタジキスタンを出る作戦にしたので、Registrationをしない方針にしました。早速OVIRへ行ってみました。中に入ると、淡々と来客者をさばくお姉さんがいました。「グバオ(GBAO)」と伝えると、事務手数料の10Somoniを請求され、代わりに申請用紙をもらえました。そこにパスポート情報を記載した後、申請用紙、パスポート、70Somoniを手渡しました。その際に、「どのくらいの期間がいいか?」と聞かれました。入国から2週間の8月20日に設定してもらいました。15時に来るように指示されたので、近くのファストフード店で時間を潰しました。15時前後に行って、受け取り完了。

これが原本です。失くしやすいサイズなので、パスポートにずっと挟めておきました。最初の関門をクリアできたので、しっかり食事をして休息を取ることに。少し価格を上げて、Green House Hostelへ宿泊しました。ワハーン回廊やパミールハイウェイを目指すバックパッカーが多く、情報や旅の友を見つけるのに最適でした。敷地内に入ると、自転車と洗濯物でびっしりでした。個室とドーミトリー両方に寝ましたが、きれいでした。キッチンもあるので、歩いて3分の売店で食材を買って調理もできます。この日は爆睡でした。

[3日目] 情報収集/中国とインドの旅人 @ドゥシャンべ

ホログ(Khrog)とワハーン回廊(温泉や登山関連)、宿泊先などの情報収集の日でした。ここで、二人の旅人と出会いました。一人は、王さん。中国から自転車でパミールハイウェイを超えて、ドゥシャンべまで辿り着いた超人です。顔や腕には生の傷がありました。テント泊を繰り返して4ヶ月もかけてここまで来たので、とにかく寝て食ってを繰り返し休息中とのことです私もまだまだだなと感じさせる、憧れ的な存在です。

二人目は、私とこれから旅をすることになるManiというインドの男性です。オンラインで仕事をしながら、旅をすることを繰り返す、ノマドバックパッカー。もともと、物理の教授でしたが、退職してインドのマーケティング関連の仕事をしています。インドの強気な値段交渉力と常に吐き出されるSwear Words。たまにうるさいけど、一緒にいると楽しい人でした。

このGreen House Hostelに集ったManiともう一人の日本人と私の3人で旅をすることになりました。また、他のバックパッカーから、ドゥシャンべ-ホログで、高い確率で乗合タクシーが見つかる場所と時間も聞けました。そういった意味で、Green House Hostelは、情報と仲間を探す重要な拠点でした。是非、泊まりに行ってみてくださいね。

[4日目]母のオシュが一番 @ドゥシャンベ

前日にFさん(元英語教師のタジクファミリー)から連絡があり、本日夕方に家に来て欲しいというお達しがありました。プロフを作ってくれるそうです。それまでは、ひたすら寝るか、読書。いつでもできることを、敢えてタジキスタンでするという贅沢です。また、非常に険しいワハーン回廊に備えて、念のため、スニッカーズや缶詰といった携帯食料も購入しておきました。ドゥシャンベからホログまでは、590KMほどの距離。心して!!

いよいよFさんのお宅へ。タクシーを呼んで向かいました。

この黄色のタクシーは、メーター付きなので、信用できます。大通りに出て、手を道路側に出して合図をすれば停まってくれます。

150円ほどの料金でかなりの距離を運転してもらいました。華やかなビルが立ち並ぶ市内を進んでいくと、大きな漢字表記の看板が掲げられた建設中の建物をよく見かけました。中国関連のインフラやビル、トンネルの建設会社も影響力があるようです。地元の方に聞いたところ、タジキスタンと中国は、良好の関係にあるようで、都市部や郊外、田舎でも中国系建設会社を留置させているそうです。

Fさんのお宅は、ウズベキスタンでも見られるように、大きい中庭が中央に構え、その周りを取り囲むように家族それぞれの部屋やキッチン、トイレや御祈りの部屋が並んでいました。夏は基本的には中庭で家族が団欒するそうです。FさんとFさんの娘(産婦人科医)と息子さん(警察官)、息子さんの奥さん、そして、お孫さんと一緒に食事をしました。

典型的なタジク/ウズベクのお家のスタイル。

食事の前に、まずは家族みんなでイシャ(夜に行われるスンニ派イスラーム教のお祈り)。アッラーへの絶対的崇拝がテーマでもあるイスラーム教の一端を見せていただきまいした。

さて気になる今日のメニューは、オシュ(プロフ)と呼ばれる、中央アジアご当地料理です。手で食べるのが伝統なので、食べ方を教えてもらいました。オシュは油と一緒に炊かられているので、くっつきやすいです。伸ばした4本指でお米を食器のヘリまで寄せて、その手をひっくり返します。口元に来たら、それを親指で押します。

香ばしいヒマワリの油と鳥肉とニンジンのダシが合わさり、絶妙な一品でした。中央アジアを通して、何度もオシュを食べてきましたが、ここまで美味しいのは初めてでした。ファミリーが作る、ファミリーと食べるものは何でもない美味しいか!!

いろいろな話をしましたが、特に興味深かったのは、親を尊ぶ姿勢でした。娘さんは暇があればFさんの元に帰ってきます。息子さんも基本的にはFさんと実家暮らしを続けるそうです。「母として、子どもの私たちを育てたように、両親を最後まで面倒を見たい」とのことでした。イスラーム教徒にとって、親孝行をすることはあらゆる行いの中で最も好ましいことだそうです。私自身、あまり親の老後の介護など考えたこともありませんでした。少し古風だなと感じてしまった一方で、どこか懐かしく無垢な優しさを感じました。また、ちょっとした雑談ですが、Fさんの娘さんは産婦人科医師として働いています。彼女の給料が毎月5〜6万円という安さに少し驚いてしまいました。

ゴルノ・バタフシャン自治州(ホログ、ワハーン回廊、パミールハイウェイもこの中に含まれる)へ行く旨を伝えると、少し心配されました。Fさんご家族もまだ訪れたことがありませんでした。加えて、到着までの長い道のり、公共交通機関の少なさ、宿泊場所やスーパーマーケットの少なさなど、地元の人でも気軽には行けない雰囲気でした。地元の人すら行き方が分からない。冒険じゃないですか!!そんな心を騒ぎ立てる冒険への高揚感を感じました(本当は少しビビっていましたし、長距離移動や全体的な困難さによる面倒くささで気が少し滅入りそうになっていたのも事実です)。

以上がドゥシャンベ次回は、いよいよ首都ドゥシャンベからホログ、
そしてワハーン回廊への行き方を書いていきます。
いろいろなハプニングが起きる珍道中でした。是非お楽しみに!!





























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