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こころの風景

(長文につきお時間のある時にどうぞ)


 人には誰にとってもその人自身にしか見ることのできないこころの風景というものがあるのではないか。
ふとそのようなことが思い浮かんだのは30数年前の、ある仕事をしている最中に起こった一瞬の出来事を思い出したときのこと。



 若い頃、海外への渡航費用やヒーリングワークの学費を稼ぐためにいろいろな仕事をした。
金を貯めてはインドに行き、ヒーリングやセラピー、瞑想を学び、日本に戻るたびに敢えて違う種類の仕事を選んだ。
どうせやるならいろいろなことを経験したいと思ったからだ。

その中の一つが「配膳人」。
配膳人とはウェイターウェイトレスの派遣の仕事。

ある程度の経験があれば試験なしにすぐに始められ、アルバイトで働くよりも比較的高収入が得られるとあって、当時の自分にはうってつけの仕事だった。

派遣先は主に東京都内のホテル、レストラン、宴会場、イベント、喫茶店、飲食店、結婚式場、大企業の社交クラブ、地鎮祭、法事、政治家のパーティー、教会のクリスマスパーティ、外人宅のホームパーティ等々、ウェイターが必要な所にはどこでも出かけていく。

いろいろな人たちの、いろいろな世界を垣間見た。

それ以前に私は栃木県日光市にあるリゾートペンション(当時国内でトップ3に入る超人気宿)での住み込みアルバイトや、東京原宿にあるお洒落なカフェ(斬新すぎて数年でつぶれた店)で雇われ店長をしていた経験があったので、かなり気楽な気持ちで始めたのだが、プロの特殊技術を必要とするウェイターの仕事は厳しく、最初はかなり手こずった。

それでも数か月ほど先輩たちの動きを見て覚え、いろいろな現場のチーフが出来る位までには習熟することができた。

会社としては、とある結婚式場の常駐チーフにしたがっていたが、フリーであちらこちらの現場にスポットで行く方が性に合っていたので、そのオファーは断り続けた。




 そうした中でのある年の12月23日、皇居豊明殿で行われる天皇(現明仁上皇陛下)誕生日パーティの配膳を担当することになった。

事前に警察の身辺調査が入った上で、東京都内にあるいくつかの代表的な配膳人紹介所からそれぞれ数名の選抜チームが組まれた。
当日の朝、東京駅から皇居前広場の砂利敷苑路を通り、守衛所のチェックを抜けて、豊明殿へと向かう。
招待客は衆参両議院議員とその同伴者1名、総勢1000名ほどの大きな昼食パーティだった。


 通常は自分専用のアイボリーのウェイターコートと黒のスラックスと蝶ネクタイを持参して各派遣先へと向かう。
しかし豊明殿では、制服の燕尾服、シャツ、蝶ネクタイ、靴、菊の御紋入りのカフスボタンに至るまで下着と靴下以外はすべて用意されている。

しっかりと糊のきいた真っ白でお洒落なシャツは前側が閉じていて、背中側にボタンが付いている。
つまり自分一人では着ることができず、同僚二人一組で着替えをすることになる。
燕尾服にもポケットがどこにも付いていない。
それらは凶器を隠し持つことができないようにするためだと聞いた。

ピカピカに黒く磨き上げられた、滑り止めのない靴底の、スタイリッシュかつ年代物の靴を履くと、豊明殿の信じられない位毛足の長い絨毯を歩くたびに一歩一歩が泳ぎまくり、踏ん張りがきかずに早く歩くことができず両足に力が入る。

料理の皿を持つ手には滑り止めのない白い手袋をはめる。
グリップが効かない。
見たこともない高級な大皿を持つ手にも思わず力が入る。

通常の業務にはない緊張を強いられ、冷や汗が出るような思いをしながら、厨房から担当する10数名のゲストが座るテーブルまで、豪華な和洋折衷の料理をできる限りの急ぎ足で運び続ける。

普通のレストランのように片手に何皿もの料理を重ねて乗せてはならず、一回ごとに片手に一皿、計二皿ずつしか運べない。

厨房では数十人の配膳人が出来立ての料理を受け取りに入り、てんやわんやの大騒ぎだ。

そうした時間の余裕のない往復の途中、豊明殿の前方に着席されている天皇皇后両陛下と皇族方のすぐ真横、ほんの数メートルのところを通ることになる。

担当のテーブルから出入口までおよそ10数秒間。

そこでほんの一瞬だけ、警護の人に怪しまれない程度に、横目でちらりとお姿を見ることができる。


 食事も大方終わりに近づき、空いた皿を片づけ始める時間となったそのとき、それはほんの一瞬、意識が釘付けになってしまうような光景に出会った。

天皇陛下と皇族方がにこやかに両隣の方と食後の歓談をされ、招待客もまた賑やかな会話で盛り上がっていた。

ところがその中で、美智子妃殿下(現上皇后美智子さま)おひとりだけが、どなたとも語られることなく、正面わずかに斜め上を向かれ、うっすらと微笑むように、静かに遠くをじっと見つめていらっしゃるお姿がほんの一瞬視界に入ったのだ。

私は驚いて、すぐにもう一回横目でちらりと確認した。

まったく同じお姿だった。

しかし遠くを見ていらっしゃったのではなかった。

豊明殿には美智子さまから見て正面上部はガラス窓がない壁であり、遠くの景色を眺めることはできなかったからだ。



 美智子さまのお姿や表情などはテレビではよく拝見することができたが、いずれもそういう場面ではいつも、美智子さまは天皇陛下に寄り添いながら、相手が国賓であろうと自然災害に遭われた被災者の方であろうと、まったく分け隔てなく、気配りの行き届いた慈しみ深き視線を始終投げかけていらっしゃる。 

ネット上に掲載されている美智子さまの写真を探してみても、そういうお姿はよく見かけることができる。

しかしながら、あの豊明殿でのその一瞬の、うっすらと微笑むように遠くを静かにじっと見つめられるような表情を写した写真は、結局どこにも探し当てることができなかった。

 

 1000人もの人たちの食後の歓談があちらこちらで盛り上がり、また周辺では警護や配膳の人たちが忙しく動き回っている最中、美智子さまおひとりだけが透明な空気に包まれ、周囲には時が止まっているかのような静寂が広がっていた。

ご自身だけの別世界にいらっしゃるという大胆さ。

そして、一人だけの自由。

皇室という極めて特殊な環境に入られ、通常の社会的な生活からは切り離され、個人という概念が通用しないような境遇の中において相当なご苦労をされたという話題は以前報道から見聞きしていたことである。
私は無宗教であり、天皇制や皇室に対しても特に信仰心のようなものを持っているわけではない。
しかしながらそうした環境の中で、いったい美智子さまはどのように御自身の人間性を守られてきたのだろうという漠然とした疑問が絶えずあったのだが、この光景を見て、私の中でその疑問が消え失せた。



美智子さまのその時のお姿を敢えて例えるならばそれは「桔梗の花」のようだなと思う。

美智子さまがお好きな花リストというものがネット上に掲載されているのを見たことがあるが、桔梗はその中の一つ。

その野に咲く桔梗のように、優しく、透明に、強く、静かに、凛として咲いている姿というものが、その時の美智子さまの表情を言い表すには最も相応しいように感じる。

その時、そのように在られたのではないか。

皇室という重圧、境遇、苦難を乗り越えて、御本人にしか見ることのできないそれまでの人生の風景を静かに眺めていらっしゃったのではないか。



 だがしかしそう考えると、美智子さまに限ったことではなく、人には誰にでもその人自身にしか見ることのできないこころの風景というものが必ずあるはずだ。
たとえどのような重圧、境遇、苦難があったとしても、良い悪い、美しい醜い、勝ち敗け、幸不幸などという二元性を超えて、ただ純粋に目の前に広がる一つの心象風景。
それまでの人生で体験してきたことのすべてが一枚の絵や映像のように集約されて現れたような風景だ。

その人自身の心の眼で、その人にしか見えない風景を見ること、そしてそれが何か心の灯火となるような理解の一つをもたらすものだったとしたなら、たとえそれが人生の最後の瞬間を迎えたときにやってきたとしても、その人の生涯は綺麗にひと回りの弧を描いて完結したものになり、その魂は束縛から解放され自由の身となって、一つだけの花を咲かせるのではないかと思う。




美智子さまお気に入りの一曲
シベリウス作品75《樹の組曲》より第5曲 樅の木
ピアノ:舘野泉氏


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