念ずれば平安
(文5000字)
聖書に書かれている奇蹟は、不自然で非科学的と揶揄され、そこから先に進めなくなる人が多いらしい。しかし象徴や暗喩を多用しながら、啓示が暗号化されて書かれた書物と考えれば、見方は大きく変わると思う。
1945年にエジプトで発見された『ナグ・ハマディ写本』には、「トマスによる福音書」と呼ばれるものが含まれている。この冒頭にはイエスの言葉として、次のような一節がある。
「この言葉の解釈を見出す者は死を味わうことがないであろう」
信じるか信じないかということは脇に置き、聖書の言葉と、それまでの人生経験の中から得た理解とを照らし合わせてみる。暗号解読のキーワードは自分の中にある。言葉の背景にある意味を解釈することができた時、どこか一節でも、一行でも、心に響くものを感じることができたなら、それが心の支えになり、一生続く道の光となる。これは聖書に限らず、どのような言葉にも当てはまることではないか。
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このガラリア湖上での寓話もまた、非科学的なものに見える。しかし数々の奇蹟の中でも、この話はとてもリアリティがあって興味深い。と言うのも、この奇蹟に比べれば、あまりに些細な現象ではあるが、目の前で空に広がっていた雲が突然消えるという出来事が、無宗教の愚生にもあるからだ。
信仰心の有無に関わらず、人の「念」が気象に影響を与えるほどのパワーを持つならば、そこにはどのような可能性が潜んでいるだろう。
随分前に、本のタイトルも著者名も忘れてしまったが、空に浮かぶ雲を消すことができるという日本人の書籍を読んだことがある。早速晴れた日にやってみた。
近くにふわふわ浮かんでいる、小さくて丸い雲が消えやすい、ということが説明に書かれていた。
「消えろ、消えろ」と、ターゲットの雲に向かって念じる。雲が徐々に小さくなるのをイメージする。すると小さな雲は数分で物の見事に消えていく。だが大きなものはいくらやっても消すことはできなかった。
確かに消えはしたけれども、たまたまもうじき消えそうだった小さな雲に向かって、偶然念じていただけだったのではないか?
結局最後まで疑念が払拭できず、徒労に終わった感が拭えなかった。
ところが、そのことをすっかり忘れてしまっていたある日、突然雲が消える現象が目の前で起こった。
当時暮らしていたのは、東京郊外の自然豊かな街。都心から電車で2時間かかる単線の終着駅で、街の中心に渓谷が貫き、家のすぐ近くには澄んだ美しい渓流があった。
休日は釣りやバーベキューなどの行楽客で賑わった。しかし夜になると、漆黒の闇に包まれ、川のせせらぎとカエルの声だけが響き渡る幻想的な世界へと様変わりした。時々月夜の晩に、青白く浮かぶ河原へ降りて行き、大きな岩の上に座って瞑想したりもした。
ある時、数十年に一度の流星群がやってくるというので、深夜この岩の上に大の字になり、空を見上げて待つことにした。
しかしながら見渡す限り一面低く厚い雲に覆わたまま。星空が見える気配がまるでない。止む無く流星群を諦め、そのまま目を閉じて、川のせせらぎとカエルの鳴き声を聴くことにした。
それから程無くして、ふと我に返って目を開けた。
すると、そこには驚く光景が待っていた。
自分の真上にある雲だけが、綺麗な円となって、ぽっかり消えていたのだ。
それはまるで井戸の底から、上に開いた丸い空を見上げているような気分だった。
一般的な「穴あき雲」と違う点は、通常は上層の「うろこ雲」に現れるが、この時は下層の「層雲」だったこと。穴あき雲の場合は、穴の内部に氷結したすじ雲のようなものが残っているが、この場合はすっかり晴れていたこと。穴あき雲は形が歪なものがゆっくりと流れていくが、これはほぼ正円のものが静止していたこと。
透き通った丸い星空に、次々と流星が斜めに横切っていく。穴のような雲間は、移動することなく真上に居座り続けた。15分か20分くらいではなかったかと思う。
やがて徐々に星空は小さくなり、再び元の厚い雲に覆われた空に戻った。
雲に向かって「消えろ」と念じたわけではない。ただ「雲が消えたらいいな」くらいに思っただけだった。なのに消えた。感動を通り越し、心底驚いた。
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もしも「念」によって気象が変化したなら、雲よりもっと身近な対象「自分の身体」に影響を与えることは、より容易なことではないかと思う。
それは人にとって最も親しき自然界の創造物だからだ。
以前noteの記事にも、自分の体に言葉をかけることによって、体のコンディションは劇的に変化するという体験と、そのやり方について書いたことがある。
自分自身の体に向かって愛のエネルギーを注ぐ。それは誰にでも開かれている可能性だが、なかなかできることでもない。
死の直後、肉体から離れた霊体は、自分の肉体を上から見下ろしながら、それまで酷使し続けていた体に侘びや感謝の気持ちを抱くことがあるという。それならば生きている間に、その気持ちを伝えたいと思う。
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言葉は言霊として物質を貫く。その概念は日本古来の伝統として存在していた。
このことはいみじくも、イエス・キリストの「自分で撒いた種は自分で刈り取らなければならない」(ガラテアの信徒への手紙6−7)という言葉と同義である。
『水からの伝言』の著書で世界的に有名な故江本勝氏(1943-2014)は、言葉の違いによって水の結晶が変わることを写真に捉えた。「ありがとう」「感謝しています」という言葉を見せた水を凍らせると、その結晶は美しい六角形となり、「バカやろう」という言葉は結晶化されなかった。
江本氏が創設したI.H.M.総合研究所では、MRA波動測定機器によって、一人一人の身体に潜む感情や考え方、臓器、器官などの周波数を百数十項目にわたって測定し、不調の原因となる波動を打ち消す周波数を転写した波動水を飲むことによって、心身状態の改善をもたらすという独特なヒーリング方法を今でも実践している。
以前音叉をヒーリングワークに取り入れて行っていた時期、一度江本氏に面会したことがある。江本氏も当時、音叉にとても関心をお持ちだったので、音叉談義に花が咲いた。御自身の机の引き出しから、愛用の音叉を取り出して見せてくれた。369ヘルツの音叉の音は、癌細胞を消滅させる可能性があるということを教えて頂いたことが印象深かった。
動画サイトを調べてみると、「つぼ音叉チャンネル」さんがその音叉の音を紹介されていたのを見つけた。この日本製の音叉は、外国製よりもやや高価だが、断然音が美しく、しかも音の響きがとても長く続く。但し効果を真に発揮するには、ネットやCDではなく、生の音叉の波動を直接、耳や体で受け止めることが肝心なので、これはご参考までに。
音叉と共に、セラピーオルゴールもまた波動ヒーリングの一つ。この日本オルゴール療法研究所では、「50年間で、癌を初め難病を含む病状を五百種類、一万五千症例を改善している」という。これもネットやCDで、たくさん音が紹介されているが、直接体感することが必須。
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言葉(言霊)も音(音霊)も、そして周波数(数霊)も、同種の波動ヒーリングである。この他にも足立育朗氏の図形を用いた波動グッズなどもある。
日本語の持つ特性は、心身の状態を改善する可能性を秘めている。英語の音域は約2000~1万2000ヘルツ。対して、日本語は約125~1500ヘルツと低い音域。この低い周波数は太陽系の惑星の公転周期を周波数化した数値とも共鳴するという。ここに何か秘密がありそうだ。
念ずれば花開き、雲が消えるのであれば、身体に影響を与えることはもっと簡単なはず。しかも人手も費用もかからず、副作用の心配もまったくない。いつでもどこでもできる。
体に痛みがあれば「痛みが消える」と心を込めて何度でも呼びかけてみる。
「バカやろう」ではなく、
「ありがとう」「感謝しています」と伝える。
自分の体を両手で抱きしめる。
痛いところに手を当て、指をそっと触れて、1時間2時間じっとしてみる。
体はきっとその想いに答え、平安をもたらしてくれるに違いない。ここではいくつかの方法について述べたが、ご自身に合ったやり方を見つけて頂きたい。
雲を消すことよりも、嵐を鎮めることよりも、もっと素晴らしい奇蹟となると思う。
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ありがとうございます
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