見出し画像

心地よさの秘訣




 北九州の港街「門司港レトロ」に来ると、いつもここが賑やかな観光地であることを忘れるほど不思議な心地よさに包まれる。

    明治、大正、昭和に建てられたレトロモダンな建造物が港湾沿いに建ち並び、岸壁に停泊していた船が汽笛と共に出港する情景は、さながら映画のワンシーンのように美しい。

 この街では観光地と地元の生活エリアが隣接し、密接な共存関係にある。
 観光エリアの中心部にある広場ではフリーマーケットが開催され、街のシンボルであり国の重要文化財でもある「門司港駅」の駅前広場では結婚式が営まれるなど、地元住民が観光エリアを積極的に活用している光景を目にする。

 その一方で、昭和の面影が色濃く残る地元商店街や住宅街などの生活エリアは、忘れかけていた遠い記憶を呼び覚ましてくれるような懐かしさに溢れている。
    また多くの映画やドラマのロケ地として使われたこともあって、ここはカメラマンや観光客が訪れる新しい観光名所となった。

 しかしながら門司の街を歩く時、魅力的なのは港や街の風景だけではない。地元の人々とのさり気ない交流が心温まるひとときをもたらしてくれる。この街の多次元的な奥行きの深さがここにある。
 
 


 見知らぬ街を歩く時、地域住民の精神風土の違いを肌で感じることがある。 
    現代社会では都会と地方に関係なく、見知らぬ他人に対しても人情が色濃く残っている地域がある一方で、犯罪が増加傾向にある一部の地域では、不信感を抱かれることもある。

 以前、とある地方の街を一人散策していた時のこと。そこは日本の伝統的家屋や蔵が立ち並び、水路には鯉が泳ぐ閑静な住宅街だった。

   美しい家並みに見惚れながら歩いていると、前方から自転車に乗った中年女性が「こんにちは」と声をかけ通り過ぎていった。見知らぬ他人にさり気ない挨拶をするなんて、ここには「心の触れ合い」がまだ残っていたんだと感激した。

 ところが住宅街を一周し、出発点の表通りまで戻ってきたところで、突然目の前に黒ジャンバーを着た屈強そうな大男が現れ、立ちはだかった。銀縁メガネの奥に光る鋭利な視線。今にも捕まれそうな至近距離。異様な緊張感と共にやおら胸元から取り出したのは黒い手帳、地元警察の私服刑事だった。

 「先ほどこの近くの住人から110番通報がありましてね、ちょっと伺いたいんだけど、ここでいったい何をしてるのかな?」

 「ああ、そういうこと。美しい家並みだなと感心しながら散歩していたんだけど、それが何か?」

 キョロキョロ見回しながら歩いている挙動がよほど不審に見えたのか、おそらくあの女性が通報したのだろう。
 のどかな田舎の街と思いきや、それは過去の話。人口増加に伴って空き巣や痴漢、殺人事件まで起こる物騒な地域となっていた。

 しかしよもや自分が不審者と見られ、通報されるとは思いも寄らなかった。いつの間にか周囲は何台ものパトカーや白バイ、数人の制服警官に囲まれ、さながら昼のサスペンスドラマの登場人物にでもなったかのような気分を味わう。

    この「刑事」という職種の人たちは、話をする以前に相手が怪しい人間か、そうでないか、会った瞬間嗅ぎ分ける能力に長けている人だと思う。職務質問はその判断を補足する為の裏取りに過ぎない。

 目の前に突然現れた刑事は、警察手帳を見せた瞬間、こちらの表情と視線が何も変化しなかったのを察知して、顔の緊張と眼力がにわかに緩んだのが見て取れた。

 「ここは気楽に散歩もできないような街だったんですね~」

 「いやあ、この近くで最近空き巣に入られた家があったもんで、住民の方がえらく警戒してましてね‥‥」

 「ああなるほどね。物騒な世の中だもんね。わかりました、もう二度とここでは散歩しません。通報した人にはよろしく伝えてくださいね!」

 その後はサスペンスドラマに出てくる「署までご同行願えますか?」という刑事のセリフを聞くことなく解散となる。



 見知らぬ土地では怪しげな雰囲気を醸し出さないようにという教訓を踏まえながら、門司の街を歩く。

    しかしここではそうした心配をよそに、人との近しさを感じる場面に幾度となく出会う。横断歩道に向かって歩いているだけで、車は早々と停止し待っていてくれる。制限速度で走るドライバーが多く、譲り合いも頻繁に目にする。商店や飲食店の店員は皆快活で清々しい。

 アーケード商店街を抜けると、すぐに山の傾斜地が始まる。ここは昭和の面影が色濃く残る住宅地。細い坂道や階段がくねくねと続く。木陰にウグイスの鳴き声が響き渡り、爽やかな海風が斜面を駆け上って吹いてくる。

    やがて森の手前の行き止まりに辿り着く。
    その時パタンパタンと乾いた音が聞こえてきた。突き当りの家に住む初老の男性がちょうど二階のベランダで布団叩きをしているところだった。

 「静かでいいところですね!」

 「ここは見晴らしがよくてね。
 向こうに関門海峡が見えるんだよ。
 静けさと眺めは最高。
 隣はもう誰も住んでいない空き家だから、庭に入って眺めていけばいいよ」

 ニコニコしながら隣家の庭を指差した。

 門扉を開け、倒壊寸前のように見える小さな家の敷地に入る。すると眼下に関門海峡の青い海が見えた。今はマンションが立ち並び視界は半分ほどに遮られてしまったが、以前は海峡を行き交う船を眺めることができたことだろう。
    のどかな景色を楽しみ、花や野菜を育て、野鳥の声を聴きながらの暮らしは、おそらく小さな幸せを一つ一つ噛みしめるような日々だったのではないかと思う。




 実はこの海峡が見える家の近くまで、ちょうど10年前の5月にも来ていた。それは初めて門司の街を歩いた一人旅でのこと。その時も同じように細い階段の行き止まりまで登って来た時、玄関先にいた年配の女性の方とばったり出会い、しばらく立ち話をした。

 「静かでいいところですね~」
とその時も同じことを口にしていた。

 「そうなんですよ~、朝、ウグイスの鳴き声で目が覚めるんですよ!」
と誇らしげに微笑んだ。

 さり気ない返事は不信感のない透明さに満ちていた。見ず知らずの旅人に瞬時に心を開く人が暮らす街だった。

 1980年代にアジアの国ミャンマーを旅した時のことを思い出す。
 ミャンマー北部の山間にある静かな住宅街を歩いていると、その地域に暮らす住人が大人も子供も皆すれ違う度に微笑みかけてくる姿と出会った。何の疑念もなく見知らぬ外国人と出会った瞬間に微笑むという光景を目にして、嬉しいとか驚きとかを通り越して、衝撃的だった。

 今は静まり返った門司の住宅街。この細い路地や階段で、おそらく昔は子供たちが遊び場代わりに駆けずり回り、割烹着を着た主婦たちが立ち話をしていたことだろう。

 いつの日かこの地区全体が解体撤去され、アジアの香りが跡形もなく消えてしまう前に写真を撮っておきたいとかねがね思っていたのだが、今回期せずして住人との会話が繰り返され、心地よい記憶が上書きされることになった。

    再び階段を降り始めてからもう一度振り返ると、先ほど布団叩きをしていた男性がニコニコと手を振っている姿が見えた。


1984年6月 ミャンマー メイミョーにて

note 花揺れる黄昏

note 続 花揺れる黄昏



 競争心と懐疑心が渦巻く現代社会ではビジネスの現場と親しい間柄以外、人の微笑みに出会う機会は随分と少なくなったように思う。

 しかし私たちの心の中に封印されたかのような微笑みは失われた訳ではなく、ふと心を許すことができた時に、いつでも心の奥から浮かび上がってくる。

 門司の街にある風通しの良い開放感、風情ある景観、そしてこの地に生きる人々の微笑みは、心地よさの秘訣を教えてくれる。
   
    肩ひじを張らず
    飾り過ぎず
    仮面や鎧を脱ぎ
 背伸びすることなく
 他者と自分とを尊重する

 自然体から微笑みは生まれる。
    自然体が真に重要なのは、人間関係や街の空気感を柔らかなものにするだけでなく、心身の健康をもたらすベースであり、秘訣となるからだ。
    人と街と世界を健康的なものに変容させる特効薬になると思う。


🏘️



北九州市 門司港レトロとその周辺









































































































































Coincidence
Shiori Sugaya




ありがとうございます



🐭🐮🐯🐰🐲🐍🐴🐑🐵🐔🐶🐗😽🐷🦝🦊🦁🐺🐸🐨🦧🐬