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旦過市場の今

 

    北九州の台所と呼ばれる『旦過市場』 は、昨年二度の大規模火災によって、多くの店舗が焼失した。今現在、すでに新店舗やプレハブ仮店舗での営業を再開している店もあるが、店主の体調不良のため閉店するという貼り紙のある店も見かけた。再び元通りの形に復元されることはないが、被災された方々の一日も早い復興と、あの活気が市場全体に戻ってくることを心から祈りたい。



焼失を免れた約半数の店舗が連なるエリアだけを歩けば、火災がまるで嘘だったかのように、以前からの旦過市場らしい活気がある。その光景を見て、心からほっとしている人は少なくないだろう。

昭和時代にはどこにでもある当たり前の光景だったアーケード商店街。今でも全国的に店舗数が減り、空き店舗が増加している。主な原因は後継者不足、郊外型大規模店舗の進出、ECサイト利用者の増加などだ。

空き店舗となった後、新規の出店が決まらない主な理由は、店舗の老朽化や、貸し手側の都合と借り手側の都合の折り合いがつかないこと。また借り手側から見て商店街に活気や魅力がないということもまた大きな理由の一つとなっているとのこと。

地方都市においては、郊外型大規模店舗が市場を独占しているかのようにも見えるが、しかし実際はライバルとの熾烈な競争が繰り広げられているということも少なくないらしい。
この北九州にも大規模店舗がいくつもあり、休日平日問わずいつも駐車場は混雑しているが、アーケード商店街も依然として数か所しっかりと残っていて、商店街の皆さんはがんばってるなと思う。


昭和に子供時代を過ごした者にとって、アーケード商店街は、古き良き時代という言葉を思わず口にしたくなるほど懐かしい存在。特にこの旦過市場のような間口の狭い昔ながらの小さな店が数十軒と連なり、店主と常連客が顔を見合わせ、世間話をしながら、店先に並べられた商品の包装受け渡しや支払いのやり取りをするような、庶民的雰囲気の濃厚な商店街は、その中を歩いているだけで嬉しくなる。
小さい頃、小銭を握りしめ、買い物かごを抱えながら、八百屋や肉屋、天ぷら屋などに母親の使いで一人で買い物によく行ったことを思い出す。店の主人との1対1の緊迫したやりとり。無事に買い物を済ませた達成感。商品を入れたかごを大事に持ち帰り、釣銭を母に手渡すというさり気ない日常のひとときが充実していた。釣銭の中から5円か10円は駄賃としてもらい、貯金箱にチャリンチャリンと少しずつ貯めていき、それでプラモデルを買うということもいい思い出だ。



タイムスリップしたような懐かしさが込み上げるだけでなく、旦過市場はここがアジアの国であることを思い出させてくれるような色彩と音と、人の心の温もりに溢れている。アジア諸国にあるバザールと同じような空気感がここには残っているのだ。このことは文化遺産に登録するべき位の価値があるものだと個人的には思う。

文化遺産は、特定の文化を共有する集団の歴史・伝統・風習などを集約した象徴的な存在です。そこに属する人々にとって何ものにも代え難い時空を超越した存在であり、世界の他文化に属する多くの人々を感動させる価値を持っています。

文化遺産国際協力コンソーシアム

特にこの『何ものにも代え難い時空を超越した存在』という部分は、旦過市場のことを指し示す言葉として遜色はない。


旦過市場にはいつも出かける度に楽しみにしている店がある。
「旦過うどん」という名の店で、うどん、そばの他、おでんやちゃんぽん、 糠炊き定食なども提供している。
狭い間口の、10人ほどしか座れないこじんまりとした店内には、女性スタッフの丁寧で優しい応対の声が静かに響く。うどんそばのだし汁は濃くも薄くもなく絶妙な味加減。特に「ごぼう天うどん」が人気だが、今回の注文は「ごぼう天そば」。薄くスライスされたごぼう天ぷらも実に美味い。いつ来ても心からほっとする良心的な味である。
最近はガイドブックを手にした海外旅行者の姿も見られるようになった。

パソコンやスマホの画面から商品を選択すれば、翌日にはもう玄関先にいつの間にか配達されている便利さも素晴らしいが、この市場に足を運んだ時に感じる充実感は、決して他では味わえない独特な優しさがある。
それは日常生活のすぐ隣、食卓のすぐ横で、付かず離れず寄り添うように存在してくれている親密感、一体感からくるものではないかと思う。
癒やしの市場である。



「旦過うどん」で昼食を済ませた後に立ち寄るのは「小倉かまぼこ」。
一個150円のカナッペ、その他の蒲鉾を数種類買って帰れば、それでもう夕食のおかずは完璧だ。

















アッシュさん
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火災が起こる4か月前に撮っていた写真はこちら






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