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小倉宵街散歩



 年の瀬が近づくにつれ、小雪舞う冬らしい寒波もぐっと押し寄せてきた。
北九州市中心街小倉の街角には、年末恒例の華やかな電飾が施され、心なしか道行く人の後ろ姿もまた優し気なものに見えてくる。

小倉は新幹線停車駅かつ九州の玄関口。同じ福岡県内でも大都会の博多には遠く及ばないが、そこそこの賑わいがある。市内にある空港へのアクセスもよく、隣国からの旅行者の姿をよく見かける。
駅周辺は、商業施設と小倉城を中心とする観光名所が一体化した地方都市特有の静かな街。殺伐とした退廃感がなく、極端に若者向けの街でもない。隣接する大きなアーケード商店街も活気を失っておらず、庶民的な空気感が色濃く残る柔らかな街である。



小倉とは少し離れているが、同じ市内にある寺の前を通りかかった際、掲示板に俵万智さんの現代短歌が貼られているのを見かけた。

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

俵万智『サラダ記念日』

中学の教科書にも掲載されているそうだ。世知辛い世の中にあって、この言葉から発せられる温もりの波動は、さり気なく腑に落ちる安堵感へと導いてくれる。

北九州によく似合うと思う。見知らぬ他人同士でも距離感が近く、気さくに声を掛け合う人が多い。世代の違いによる断絶感があまりない。車の運転をしていても譲り合いをよく見かける。
同じ福岡県内にある若者の人口増加が顕著な福岡市とは裏腹に、北九州市は人口減少、少子化、高齢化が進む。これから先、ますますその傾向が加速していくことには違いないが、市が積極的に高齢化対策に力を入れていることもあり、比較的高齢者にとっても住みやすい街だ。今ある街を築き上げてきたのが今の高齢者たちであることが、そのような施策に繋がっているのだと思う。



ところで先程の俵万智さんの言葉にはまた別の可能性が思い浮かぶ。他者のみならず、自分自身の身体に向かってそのように声をかけてあげる。
普段はいつもその逆である。身体が寒がっていることを意識して「あー寒い寒い」で終わる。寒さを不憫に思う気持ちだけが残る。しかし自分の身体に「寒いね」と声をかける。すると新たな扉が開き、ニュアンスの異なる安堵感と温もりに満たされるような気がしてくる。

《身体》⇒《意識》のベクトルを、
《意識》⇒《身体》へと逆に向ける。
外気温の変化に受動的に反応することから、能動的に応答していくことに反転させてみる。

寒い夜は、やることをすべて終わらせた後ゆっくりと湯に浸かり、風呂上がりには温まった身体が冷える前に、すぐに寝床に入る。
この応答は冬の健康維持の秘訣。
そして「朝までゆっくりお休み」とか「朝までに調子を元に戻してね」とか自分の身体に声をかけてみる。気になる身体の部位があれば、手を当てたまま眠りにつく。
やってみるとこれが何となく眠りの深さと朝の目覚めに違いが出る気がするのだから不思議だ。

外向きの言葉は使い方次第で魔法の杖になる。
内向きの場合は魔法の光となる。



野良猫が生きて行ける町はやさしい。
人間を怖がらず、手に触れさせる、
そんな野良猫が棲んでいる町はさらにやさしい。

藤原新也『日本浄土』



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北九州市小倉駅界隈








































































Estate
Shelly Berg Trio



良い週末をお過ごしください





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