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春を待つカルスト


 2月初旬、北九州市のカルスト台地「平尾台」では、毎春恒例の野焼きが行われた。野に燃え盛る炎を以前からずっと見たいと思っていたのだが、時すでに遅し。はたと気づいたのが当日夕方だった。

一週間後に訪れてみると、いつもはススキに覆われている山の斜面が、黒々とした剥き出しの地面へと様変わりし、膨大な数の岩石群を遠くまで見渡すことができた。

道端には早くも草の新芽が顔を出していた。一面新緑に覆われる日もそう遠くはないだろう。


 平尾台は、愛媛県と高知県にまたがる「四国カルスト」や、山口県の「秋吉台」と並ぶ日本三大カルストの一つ。この岩石群は、すべて結晶質石灰岩=大理石から成る。

元々は3憶4千万年前の赤道近くにあった海洋生物(サンゴ、フズリナ)の死骸、つまり海のサンゴ礁が、1億年前にマグマの熱で溶かされ再結晶し、地殻変動によって隆起した結果、こうした台地となった。

羊の群れのようにも見える林立した岩石は、個別に分かれてゴロゴロしているわけではなく、雨で侵食された山の表面が剥き出しとなったもの。隣にある石灰岩採掘場の写真を見ると、地中ではすべてが一つに繋がった石灰岩の塊、つまり大理石の山であることがよく分かる。
こうした採掘場から切り出された石灰岩は、粉砕されセメントとなり、コンクリートとなって、やがて私たちの街や建造物へと姿を変える。

平尾台  石灰岩採掘場
Kanmon Kitakyushu


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 大理石と言えば、40年ほど前に訪れたことがあるインドの総大理石建築「タージ・マハル」のことを思い出す。
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に38歳で死去した愛妃ムムターズ・マハルのために建設した墓廟であり、誰もが知るインドの代名詞的存在だ。

インド・イスラム文化の代表的建築で、22年の歳月をかけ、常時2万人の人々が作業に携わったと言われている。1983年ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録され、2007年に新・世界七不思議に選出された。


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 青空を背景に凛として輝くその圧倒的な存在感。壁面装飾の細部にまで徹底的に拘った形容し難い美しさ。ただただ感嘆のため息が漏れるばかりである。

およそ400年前に当時の建築技術の粋を集めて建造された白亜の墓廟は、完璧なシンメトリー構造。四隅に立つ4本の尖塔は僅かに外側に傾斜し、万が一倒れたとしても墓廟にはダメージが及ばないようにするという綿密な設計まで為されている。

これが満月の夜ともなると印象はガラリと一変。月明りに照らされた墓廟は青白く幻影のように浮かび上がり、この世のものとは思えない魔術的な立体芸術へと変貌する。
背後にはヤムナー川の流れと河川敷が広がっているため街明かりが遠く、漆黒の闇を背景として、シルエットが亡霊のように揺らめく。

周辺の混沌としたインドの街並みからは想像もできないほどの非現実的な美の世界に陶酔し、翻弄され、そして絶句する。

シャー・ジャハーン
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 今日では、満月とその前後2日間に1日400名限定かつ30分間単位で公開されている人気スポット。しかし訪れた40年ほど前の満月の夜は、まだ世界遺産登録前だったこともあり、墓参者はわずか5~6人ほどしかいなかった。

ドーム内は、ひそひそ囁く声とか足音などの音までも繊細に反響してしまうほど高音響空間である。
しばらくこの薄暗い墓廟の中をうろうろ歩き回っているうち、ふと気付けばいつの間にか内部にいるのは自分一人だけになっていた。
あろうことか、そこで愚生はここぞとばかりにハミングのような音声を発するという、不謹慎極まりない愚業に及んだ。

するとどうだろう、音が大理石の壁、床に反響しながらドームを下から上まで立ち昇っていき、天井の大理石に当たって跳ね返り、今度は上から下まで降りてくるように聴こえてきたではないか。

音が分離と混成を繰り返し、美しい非和声音へと豹変した。まるでエコーがかかり過ぎたアカペラのコーラスか、教会内に響くパイプオルガンのような幾重にも波打つ音に聴こえてきた。

タージ・マハルはすべて大理石を積み上げて造られたもの。おそらく一つ一つのブロック毎に共鳴する音の周波数には微妙な差があり、これが「f分の1」の音の揺らぎを生み出し、人の耳に心地よい音となって聴こえてきたのではないかと思う。


白大理石は現在のインド西部ラージャスタン州ジャイプールから運ばれた。象嵌に使われた水晶は中国、青色の象嵌に使用されるラピスラズリの石はスリランカ、赤瑪瑙(アカメノウ)はバグダッド、シマメノウはペルシャからと建材の石も世界各地から集められた。
文字は黒大理石で作られたコーラン。
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 この玉ねぎ型のドーム構造は、ヨーロッパからアジアに至る広範囲のモスクや教会建築に使われている。
この体験から類推すると、このドーム構造というものは内部で反響し合う音や祈りの声が、あたかも天上から降りてくる聖なる音として聴こえてくるという一種の疑似体験を得るためか、もしくは祈りの波動を増幅して天に向けて発することにより、天から降り注がれる恩寵を待ち望む場として、緻密に設計されたものではないかと想像してしまう。

仮にもしそうだとすれば、シャー・ジャハーンがここまで繊細な美の墓廟建設に拘ったのは、亡き愛妃ムムターズ・マハルが月の光のような人であり、そのような魂との対話を実現するためには月のような光輝く墓廟が相応しいと考えたからではないだろうか。

しかしながら実際のシャー・ジャハーンは、息子たちの皇位継承戦争の末、父親の愛情を得られなかった息子の一人によって近くにあるアグラ城に幽閉され、亡くなるまでの間タージ・マハルは部屋の窓から眺めるだけという生活を余儀なくされた。

おそらく満月の夜には、遠くに青白く浮かび上がるタージ・マハルを見つめながら、ムムターズ・マハルの名を呼んでいたことだろう。
果たして彼の心は愛妃の化身となったタージ・マハルの波動を感じ、安らぎを得ることができただろうか。


ヤムナー川からの眺め
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 タージ・マハルは、満月の光を浴びて浮かび上がる真夜中においてこそ、外観も内部空間もその美しさと神秘性が最高潮に達する。月とタージ・マハルは何か宿命的な因縁で結ばれているような気さえする。

満月の輝いている色は大理石の輝きにも似ている。また月にも内部に巨大な空洞があることが、探査機「かぐら」等の観測によって明らかとなっている。空洞があるものは、楽器でも鐘でもヤカンでも、中に響くものを増幅する。

満月の下、屋外で一晩中眠ると人は発狂してしまうこともあるという。それほどまでに強力な月のエネルギーを浴びたタージ・マハルは、内部空間に満ちた波動を増幅させる装置としての機能を今も保持し続けていると思う。

声を出すのを止め、しばらくすると、墓廟内に響き続いていた音は大理石の壁に吸い込まれるように弱まっていき、やがて再び元の深い静寂に飲み込まれるように消えていった。


ムムターズ・マハル
ペルシア語で「愛でられし王宮の光彩」「宮廷の選ばれし者」を意味する
第4代皇帝ジャハーンギール(義父)から授けられた称号
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 大理石はローマのコロッセオ、古代ギリシャのパルテノン神殿などにも使われ、また大理石の彫像としては、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケなどがある。

天然大理石には数多くの種類や色の違いがある。その中でも特にこうした白を基調とした大理石は、柔らかい質感や白色の美しさと共に、中性的な波動を醸し出していると思う。
そこには、主張し過ぎることのない、周囲の波動と調和する受容性と、周囲の環境を穏やかな波動に調整するような能動性が両立して存在している。




 冒頭で述べた「平尾台」の風景には、林立する巨石群の男性的な荒々しさと、その一方で台地が描く女性的な柔らかい曲線美がある。この相反する二極性が調和した姿がその広大な風景の至る所に現れている。

またこのカルスト台地からは、タージ・マハルと共通する点がもう一つ浮き彫りになってくる。地下水脈の形成に伴ってできた数多くの鍾乳洞や洞窟という大理石に囲まれた「空洞」が存在するのだ。
この鍾乳洞の内部空間では一年を通じて気温が16℃、静かに流れる地下水脈の水温14℃という一定温度に保たれている。

このエリアにただ足を踏み入れただけでも感じる心地よさや安らぎ、そして深い静寂。
それは、風景の雄大さや美しさといった眺望から感じる印象もさることながら、足元に埋蔵された大理石と空洞から湧き上がる波動による影響も当然あるはずだ。



 この波動は、地球自体が数億年かけて磨き上げてきた錬金術的プロセスの賜物。地上の不調和な波動が調整されている可能性もあるだろう。
そうであるならば、ここは地球環境にとって巨大なヒーリングスポットとしての役割を担っているかもしれない。

人の内側にもまたハートのスペースという「空っぽ」がある。
この内なる寺院、内なる教会、内なるモスク、内なる神社の中においても増幅し、こだまするものがある。
それが祈りの本質的なものではないかと思う。


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北九州市 平尾台


































































番外編:過去の投稿記事より

夏のカルスト






























秋のカルスト


















冬のカルスト


























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Pat Metheny



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