おはようにゃんこ14:孤高のたまちゃん
北九州でも朝晩は冷え込んで、暖房を入れるようになった。紅葉はもう少し先のようだが、ようやく秋らしい雰囲気が街を包む。
寒くなると外で暮らす猫たちのことがどうも気になってくる。
朝のウォーキングで時々立ち寄る近所の公園に、一匹のまるまる太った仔が暮らしている。「たま」はメスのような名前だが、実はオス。
この2年間毎朝世話をしているという年配女性が名付け親だ。彼女が最初に見つけた時、たまちゃんはそれまで飼い猫だったらしく、すぐに餌を求めて近づいてきたらしい。
驚くべきことに、たまちゃんは野球場4つ分位はある広い公園の片隅で、たった一匹で暮らしている。
他には一度も猫の姿を見かけたことがない。
「たま!」と声をかけると、おどおどした感じで「にゃあ」と小さく返事をする。顔のデカさと声の可愛らしさとのギャップが大きく、そこはかとなく可笑しい。
4、5回繰り返しても必ず返事する。
それ以上続けると、いい加減にしろという顔で無視される。
毎日餌をやる彼女の膝の上には乗って来るが、餌をやらない者には決して警戒心を怠らない。3メートル位までは近づけるが、それ以上近づくと、再び3メートル先へと後退りしてしまう。
この距離が彼にとっては、安心感をキープできる間合いなのだろう。
離れ過ぎず、近過ぎず。
自分を守るために、そして生き延びるために導き出した彼独自の処世術だ。
ふむ、たまちゃんはまさに野良の中の野良。
一匹狼ならず、一匹猫だ。
近くに人家もない広い公園に、いつもたった一匹でいるのは、さぞや寂しい想いをしているのではないかと案ずるのだが、ぷくぷくした体と顔つき、落ち着いた目つきをしていて、やつれているようには見えず、いたって健康そうだ。
そのどっしりとした風格から伝わってくる印象は「孤独」というより、「孤高」。
人間に例えれば、さしずめ仙人か山岳修行僧といったところか。
愚生は昔インドで瞑想やセラピーに没頭していた時期があるが、これは修行というほどのものではなく、修行僧から見ればほんのお遊び程度のものだろう。
それでも2週間から3週間、一切人との会話や接触を絶ち、社会のあらゆる情報から遠退き、自動的に沸き起こる思考の渦の奥にある静寂に意識を向けるということを何回か繰り返して経験していくうち、そういったシャットアウトした状態が孤独感とか孤立感のような感覚を深めるかと思いきや、実際はまったくその逆で、頭の中がとてもゆったりとして、一人で静かにしているの中に深く寛ぎ、平安がじわじわと広がっていくのを感じるようになった。
つまりこれは「断食」ならぬ、「断インプット」というものだったのだろうと思う。
果たしてたまちゃんは何を感じているのだろうか。
夏と冬の気候は猫たちにとって過酷なのは間違いないだろうが、たった一匹で暮らしていることをどう思っているのだろう。
どこかに気の合う仲間がいないかと探し歩こうとはしないのか。
11月中旬になり例年並みの低い気温になってきた。世話をする方がすでに寒さ対策をしているとのこと。この冬を元気に逞しく乗り越えて生きて欲しい。
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猫を捨てるのはやめよう
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