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光の刻印

九州小旅行記
後編



 海底炭坑の島「長崎市端島はしま(通称軍艦島)」が、国のエネルギー政策の転換により1974年1月15日に閉山し、無人島となって以来今年でちょうど50年になる。風雨に晒された建造物は老朽化が激しく、すでに瓦礫と化したり、倒壊寸前のものが多いという。

毎日の見学ツアーに同行しているという女性スタッフの方にお話を伺ったところ、この間まで建っていた建物がある日突然倒れていたのを目撃して以来、時々写真を撮るようになり、見比べると刻々と風景が変わり続けているのが分かる、とのことだった。

一軒のベランダに、生い茂ったアロエの葉と赤い花が一輪咲いていた。岩礁を埋め立てた人口島には子供の教育の一環として作られた屋上庭園以外に植物が育つ環境がなかったため、ベランダでサボテンを楽しむ住民が多かったらしい。このアロエも50年前に放置されてから、ずっと自力で生き延びてきたものだろう。朽ち果てていく風景の中にあって、これが唯一過去の生活の面影を留めるものだった。

全盛期には日本一の人口密度を誇る5300人もの人々が暮らしていたが、犯罪件数はゼロ。

どの家も近所の買い物のみならず、本土へ出かける際にも鍵をかけることはなかった。子どもたちは夜遅くまで友達の家で過ごし、何時間も無料の共同浴場で遊んだりした。酔っ払いオヤジが同じ間取りのために帰る家を間違え、他人の家に入り込んで眠り込んでいたこともあった。向かい合っている部屋にはカーテンを閉める家はなく、中が丸見えだったにもかかわらず、それを覗く者もいなかった。

隣国からやってきた労働者家族とも仲が良く、子供も同じ教育を受け、一緒に遊んだ。労働条件や賃金は日本人と同じ。危険な作業は日本人の熟練者が担当した。最後に島を離れる時には、お互い涙を流しながら別れを惜しんだ人が多かったという。

コンクリートの残骸の一部にはあちらこちらに草が生えている。自然界の復元力は強い。今は「廃墟」と呼ばれているが、やがては建造物すべてが崩壊し、一面草に覆われ、いつか20世紀の「海のマチュピチュ」と呼ばれるような「遺跡」となる日が来るのだろう。

2015年7月には世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」として正式登録。

死と隣り合わせだった過酷極まりない1000メートルもの海底炭鉱で働きながら、毎日広大な大海原と大空を眺め、祭りや運動会を過ごし、心穏やかに暮らしていたという奇跡的な事実を今はもう目にすることはできない。

しかしながら「島民は一つの家族だった」と元島民の一人は語っている。
人々は、心の闇ではなく、心の光を感じながら共に生きていたのではないか。老若男女、身分や国籍の違う人々がコミューンを形成し、仲良く共存していたその姿は、混迷を深める現代社会にあって、平和な世界のモデルとなるものではないかと思う。

「地球人類は一つの家族」という意識が遠い未来に実現できたとしたなら、その雛形となったものがかつてアジアの島国日本にはあったという話になる。
それこそが真の文化遺産と呼ぶべきものであり、島が残り続ける限り、彼らの光の刻印は語り継がれることだろう。


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軍艦島ミュージアム(以下同じ)
https://www.gunkanjima-museum.jp/



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長崎市端島 2024年1月























































































































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It's A Lonesome Old Town
Keith Jarrett




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