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『オルハン・スヨルジュ記念園』


 関門海峡を見下ろす下関市の高台にある火の山公園では、5万株のトルコチューリップが満開となっている。
    下関市とイスタンブール市とは「海峡」という地理的類似性があることから1972年姉妹友好都市となった。ここに植えられたチューリップはすべてイスタンブール市から寄贈され、下関市民ボランティアによって植栽されたものだ。

 このチューリップ園の名称『オルハン・スヨルジュ記念園』とは、1985年3月、イラン・イラク戦争の最中にテヘランに取り残されていた日本人215名を救出した元トルコ航空機機長オルハン・スヨルジュ氏(1926−2013)を顕彰するために付けられた通称名である。

イラン・イラク戦争時、イラク大統領サダム・フセインは「48時間の猶予期間後にイラン上空を飛ぶ機体をすべて撃墜する」と宣言したのです。当時の日本にはイランへ行き来する航空便がなく、他国の航空会社も自国民の救出に精一杯で日本人を救出する余裕はありません。日本政府が安全性のリスクが大きいことから救援機の出動をためらっているうちに、日本人がイランに取り残されてしまいます。タイムリミットを過ぎれば日本へ帰国することは困難になり、戦争に巻き込まれるのは必至です。命の保証もありません。

そうした状況の中、日本人の窮状を知ったトルコ政府は、トルコ航空の飛行機を手配し、危険をおかして日本人救出に乗り出します。その結果、タイムリミット直前のわずか1時間15分前に、200名以上の日本人がイラン脱出に成功し、トルコ領空内に退避することができたのです。

『ターキッシュエア&トラベル』以下同じ


 当時のトルコ政府が危険を覚悟で救出しようとした背景には、1890年の「エルトゥールル号事件」がある。トルコの艦船が和歌山県沖で沈没した際、近隣住民の救援活動によって69名の命を救ったことがトルコ国民の親日感情の根底にあるからだ。このことはトルコの学校の教科書にも掲載されている。


エルトゥールル号
ターキッシュエア&トラベル


1887年、小松宮彰仁親王同妃両殿下が欧州訪問の帰途にオスマン帝国を公式訪問しました。その答礼として、1890年にトルコ側は特使としてオスマン提督を日本に派遣し、明治天皇へ親書を手渡します。
しかし、帰路の途中に台風に遭遇して、和歌山県串本町沖にてエルトゥールル号が座礁・沈没してしまいます。乗組員の死者は581名にのぼったものの、近隣の紀伊大島の住民が救援に駆けつけ、必死の救助活動の末に69名が救出されました。

当時の村民による救助活動は、自分の命まで犠牲にしてもおかしくない必死なものでした。救助には子どもから大人までが参加し、生存者がいないかどうか、荒れる海に飛び込んだといいます。

海岸には大勢の遺体が打ち上げられました。その中に紛れた生存者を見つけては、息絶えないよう自らの体温で温める人もいたのです。亡くなってしまった乗員は村民たちによって手厚く葬られ、生存者には心づくしの介護が続けられました。

その一報を聞いた明治政府は、直ちに医師や看護師を派遣し生存者の救護に全力を尽くします。日本全国から義援金が寄せられ、回復した生存者は、日本の巡洋艦「金剛」及び「比叡」によってトルコに送還されました。

後の1892年には、山田寅次郎という人物がエルトゥールル号犠牲者の遺族に対する義援金を集めてトルコへ渡ります。皇帝アブデュルハミト2世から熱烈な歓迎を受け、現地に留まることを決意します。彼は士官学校で日本語や日本の文化を教え、トルコと日本の交流に尽力しました。
日本人のこのような無償の行動にトルコ国民は感銘を受け、それ以来、日本とトルコは歴史的に友好関係が築かれています。



エルトゥールル号遭難事件の映画化:『海難1890』


    日本とトルコ両国は、共に2011年大きな震災に見舞われた際にも互いに支援活動を行った。友好関係は国家間だけでなく、個人旅行でトルコを訪れる日本人観光客にも及ぶ。日本人と見ると親切にされることが多いらしく、ネット上ではそうした体験記が数多く見受けられる。


 2011年3月に発生した東日本大震災では、トルコ政府から32名の支援・救助チームが日本へ派遣され、宮城県利府町にベースキャンプを設営して支援活動が行われました。活動は2011年3月21日から約3週間にわたり、他国からの支援・救助チームとしては最長期間となっています。また、4月には支援物資を積んだ貨物機が成田空港に到着し、缶詰、水、毛布などが宮城県や福島県に届けられました。当時イスタンブールに在住していた日本人は、トルコ国民から温かい言葉や励ましの言葉、数多くの支援を受けたそうです。

その後、2011年10月のトルコ東部で、マグニチュード7.2の大きな地震が発生した際には、日本からテントなど緊急支援物資を提供し、トルコ政府が計画した仮設住宅を支援するための緊急無償資金協力を行っています。また、現地で支援活動に従事していた国際NGO「難民を助ける会」の日本人メンバー2名が余震により1名が死亡、1名が負傷した折にはトルコ政府から手厚い対応を受けたことも知られています。このように、エルトゥールル号事件をきっかけとした日本とトルコの友好関係は今でも続いています。



 混迷深まる世界情勢にあって、このチューリップの花に込められた想いのように、この世で最も大切なものを見つめる気持ちは、何があってもいつまでも失わずに生きていたいと思う。



下関市 『オルハン・スヨルジュ記念園』


































































映画『海難1890』トルコ民謡




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