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アレクサCMの、炎上する演技。

話題のCM、AmazonEcho「肉じゃがが母さんの味にならないよ」篇・・・物議を醸してますよねーw。 ネットやリアルな会話でも炎上。伊集院光のラジオとかでもやんわり叩かれたりしてましたねー。

なぜあのCMはあんなにも人の心をザワつかせるのでしょうかw? 今回も演技の観点から紐解いてみましょう。

てゆーかこのCMね、もともと脚本もちょっと不気味なんですよ。

たぶんこの男は新しいカノジョができる度に「おふくろの味」を食べさせようとしてるんですよね・・・なんのために?(笑)
そのカノジョだって、彼氏の家に行ったらその彼の「おふくろの味」を食べさせられるって・・・「どういう意味?」って思いますよね。「え?え?怖い怖い」って(笑)

しかもお母さんが「今度はどんな娘なの?」って言ってますからね。すでに彼女の前に何人かいるって事ですから。女の子を家に呼んでおふくろの味を食べさせてフラれ続けてる男・・・フラれてるのかフッてるのかわかりませんが、どっちにしてもちょっと怖いです(笑)。
いや~、どーしてこの企画が通ってしまったのかが不思議でなりません(笑)

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さあ!気を取り直してこのCMの「演技」について分析してゆきましょう!

主人公の彼は「ザ・好青年」を演じています。爽やかで、いつも笑顔で、誠実そうで、ちょっとユーモラス風で、ちょっと見いい感じですね。・・・なのになんでそんな彼が視聴者にこんなにも悪印象を与えてしまうんでしょうか。

それは彼の演技がじつは「誰ともちゃんとコミュニケーション取れていない」からです。

脚本上はお母さんとの会話になっているのに、彼がそれをひとり言ひとり言みたいに喋ってますよね。しかもお母さんの台詞に対して「えー?」とか多少引き気味に対応してる。お母さんに対するケアがゼロなんですよ。手伝ってもらってるのに。
そして用が済んだらさっさとガチャ切りする息子。これじゃあ・・・「ザ・好青年」というより「ザ・マザコン男」「ザ・サイコ野郎」ですよねw。

演技するうえで相手役への具体的なケアは必須なんです。

だいたいこのCMの前半部分ってまず、彼と母親がキッチンで話してるのかなーと思ったら、じつはお母さんはモニターのむこうにいる人でっていう演出上の仕掛けがあるわけじゃないですか。
それを成立させたかったら、彼はもっとお母さんがまるでそこにいるかのように自然にコミュニケーションしないとですよね。ひとりごと風演技、演出的にも絶対ダメ。

これなんで別撮りしちゃったのかなあ・・・会話はギリ咬み合ってるんだけど、気持ちがぜんぜん咬み合ってない。
ボクが監督だったらキッチンの撮影の時にモニターの場所にお母さん役の女優さんに居てもらって、2人に親子のコミュニケーションをきっちり演じてもらって、次の日にお母さんのモニターのむこうのシーンを撮影しますけどねー。その方が100倍人物が活き活き撮影できる。
仕上がりのぎこちなさを見る限り、別撮りなんでしょうねー。下手したらお母さんの台詞さんは代わりに助監督さんが棒読みで喋ってたかもしれない。うん、そんな演技だ。

このCM、じつは海外版AmazonEchoの元ネタCMがあるんですよ。男女が逆になってるんですが、ちょっと見てみましょう。

どうですか。ぜんぜん気持ち悪くない。
こっちの親子にはアイコンタクトや細かい気持ちのやり取りがあって、お互いに対するケアもありますよね。 離れて暮らしている親子がお互いを恋しがってる感じも伝わってくる。 台詞以外のコミュニケーションが2人の間に存在してるんです。

いやいやいや、言葉のやり取りだけで親子の仲の良さを表現しようとしても無理なんですよ。親子とか兄弟とか親友とか恋人とかには言葉によるコミュニケーションではなく、言外のコミュニケーションがあるじゃあないですか。それを演じないと。

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ケア・・・昭和のCMならそんなの無くても大丈夫だったんですけどね。

ここ2~3年でCMの演技ってかなり変わりました。最近はCMでも「大げさで、大雑把な、なんとなくユーモラスな演技」(←まさにアレクサの彼の演技だw)は減ってます。

「とにかく商品をアピール!」するようなCMが減ってきて、その代わりに「その商品があると我々の生活がどんな風に豊かになるのか」というライフスタイルを見せるタイプのCMがどんどん増えてきていて、つまり

CM俳優に求められる演技が「大げさで、ユーモラスな演技」から「ライフスタイルの充実を演じること」に変わってきているんですよ。

たとえば昭和のCMだったら「家族仲良く」を演じるとしたら、家族みんなでワーイ!ってやってればよかったんですけど、最近のCMではそういうハイテンションだけじゃなく、もっとゆったりと家族一緒の時間を楽むような・・・つまり親しい人間関係のコミュニケーションを演じる必要がでてきたんですよね。
ところが演者の方がコミュニケーションを演じることに慣れていないんで上手くいかない。そんなケースが多い気がします。

アレクサの彼は「好青年」というキャラを演じることに必死で、「親子のコミュニケーション」を演じることを忘れてしまっている。 そしてそのあたりが視聴者にもバレちゃう!で炎上する。そんな時代がやってきたんです。

・・・ではあの役は具体的にどう演じればよかったのでしょうか。

たとえば主人公の役に・・・ムロツヨシを脳内でキャスティングしてみましょう・・・おや、意外といい感じのCMになる気がしませんか?
そりゃムロツヨシだもんと思いますか? ではアンジャッシュ児嶋なら? 出川哲郎なら?・・・個人的な好みの問題はおいといてw、どれもけっこういい感じになるんじゃないですかね。 大泉洋とかでも、いい感じのCMに仕上がるでしょうね。

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なぜ彼らだといい感じに仕上がるんでしょう。彼らの共通点は?

それは「彼らがコミュニケーションで食ってるプロだから」ということがひとつと、もうひとつは「彼らは自らの欠点をカメラの前でさらす芸風の演者だから」だと思います。いい人ぶらない、カッコつけない。そしてモテなそうとかマザコンっぽいとか元々の脚本上に匂ってるネガティブな要素もしっかり面白く処理して演じてくれますよね。
「自分自身の欠点・不完全性を人前にさらすコトに抵抗が無い」っていうのは俳優としてのひじょうに重要な資質です。もう人前でいい人ぶったって、そんなんじゃ視聴者はダマされない時代なんですよ。

そもそも現実世界において「いい人ぶる人」って、ようするに悪い人だってことじゃないですか(笑)。本当にいい人はいい人ぶる必要ないわけですから。わざわざいい人アピールしてるってことはその人は本当はいい人じゃないって事ですよねw。 我々そんなの見破りますよねー。

つまり「好青年」というキャラを演じちゃいけないんです。

それは昭和の演技なんです。いまはその代わりに具体的に行動をするんです。お母さんをきちんとケアしてあげる、彼女をきちんとケアしてあげる、できたらアレクサに対してもそれなりのケアをしたほうがいいでしょう。きっとムロツヨシならそうします。

ボクは今回のアレクサ「肉じゃがが母さんの味にならないよ」篇の炎上騒動は、昭和タイプのCMの演技の終わりを表しているなーと思いました。

俳優のみなさん相手役をもっとケアしましょう! そして好青年キャラを演じないこと! 重要ですw。

小林でび <でびノート☆彡>

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