見出し画像

イスラエルで過ごした10か月キブツ編その3

ボランティア住宅事情とキブツ内部

これから自分達が住むことになった藪の中の小屋に、僕達4人はひとまず荷物を下ろすこととなった。
僕が部屋をシェアすることになったのは、ここイスラエルで、ヘブライ語の習得が主な目的だと言ったJ大生のコージだった。
トイレ、シャワーを間にはさんだ隣の棟には、あけみさんと真理さんが住む。

とりあえず全員が、日本から持ってきた衣類その他の生活用品が入ったバックパックを置いて、残りの日本人ボランティが住むことになる別の居住区に向かう。

小屋の中は思ったよりもいたんでいなかった。
広めの窓から見える外の光景は、昔、テレビで見たブラジルの地域部族の村からの風景に似ていた。
生えている植物は、誰かが植えたのだか、勝手に生えたのだか区別がつかないありさまだ。
太いツタが背丈の低い木々にからまっている。
日本から来る前は、もっと砂漠の様な場所を
想像していたので少し以外だった。

僕達4人の小屋から、次の住居区まではすぐ近くだった。
ここには、俊一郎こと、シュン、ノボル、まっちゃん、大学野球部キャプテンの茂吉の4人が住むことになった。
自分達の小屋とは違い、一応外はコンクリートでしっかりしている。
なにか災害でも起きたら、こっちの方が生き残れる確率が高そうだと思った。
二棟が並んであって、何故かその前には焚火を消したあとが残っていた。

画像7



シュン達も、生活品を自分達の部屋へ置いてきて全員と合流。
その後は残り二人のボランティア、ケイコと
福井出身のいずみさんの居住区へ。

結局ここが一番よかった。
作りは、自分らの小屋と似ていたが、まだそこまで所々にガタが来ていなく小綺麗にまとまっている。
なんだかサファリの中のペンションのような
イメージ。

建物も良かったが、僕の小屋との一番の違いは、そのボランティアハウス周辺の環境。
よく日が差して明るく、周辺の草木も手入れされているようで、僻地感がまったくなかった。

子供の頃に日本のアニメで見た、南の虹のフローネに出てきた無人島に建てた素敵な小屋を思い出した。
そのハウスの前には芝生まで生えている。
この時間帯でも辺りが薄暗い僕達の小屋とは大違いだ。

ボランティアのすみわけを決めるのは、オフラの担当だということだった。
彼女が、仕事の振り分け、住む場所などの、ボランティアの生活にかかわる一切を決めるのだという。
住居に関しては僕はハズレくじを引いたようだ。

その後は、キブツ敷地内の施設を見学。
ここキブツマアニットは、キブツの規模ではちょうど真ん中辺り。
当時は700人ほどがマアニットの構成メンバーだった。
キブツのサイズは小さなところは400人ほどから、大きいものは2000人を超える。

キブツ内の設備は、そのキブツが持つ経済力によって決まるとのことだった。
マアニットの施設の充実ぶりに少し驚かされた。
こんなにいろいろとあって、中規模なのか?
50メートルプール、かなり大きなジム、ジムの外にはバスケットボールコートまである。
敷地内のはずれには、映画館まであるらしい。


画像2


700人のメンバーに対して、かなりのものがそろっている。
キブツのメンバーはもちろん、全員ユダヤ教信者と聞いていたので、勝手にストイックな人々をイメージしていたのだが、普通に運動したり、映画を見たりするらしい。
そういった娯楽施設も含めて生活に必要なものは、ほぼキブツ内にそろっているというのはどうやら本当らしかった。

芝生の上に、たまにおかしなものが、突き出ているのに気がついた。
形はシュノーケルのような形状で、地中から1mほど突き出ている。
これらは、防災施設の空気の取り入れ口だった。
オフラが、キブツニクが住んでいる住居は、かなりの割合でbomb shelter 、地下壕がついていると教えてくれた。
その後もそういった非常時用の施設、器具などが所々目につくようになった。
それらの物たちは、日常の生活空間の中に混じって、ちょくちょく顔をのぞかせる。
その度に、ここはいつでも戦時下となりえるのだと思い知った。

最後にキブツの売店、コルボに行った。
初めにバスを降りた場所、パーキングとバス停がある隣の建物だった。
中にはコンビニで買えるような日用品その他がいろいろと取り揃えてあった。
タバコやビールのような嗜好品まである。

画像3



ハイネケンの小瓶のとなりに見慣れないビールのような小瓶があった。
ラベルにはゴールドスターと書いてある。
イスラエル産ビールだった。
値段はハイネケンより安い。
気合いの入った名前のビールだが、実はもう一方の国産ビール、マカビーに味で負けていると知ったのは後の話。



コルボでの買い物は現金はもちろん、キブツが発行した現金代わりのクーポンが使える。
その当時ボランティアはひと月、現金150シェケルのほかに、クーポンも
150シェケル程度もらえた。日本円で約一万円前後だったと思う。
街に出て、例えばピザを食べたり映画を見たりすればあっという間になくなってしまうが、キブツの中にいれば十分すぎる。
生活に必要なものは、コルボでそろうし、しかもクーポンを使えば何割か安くなるからだ。

この場所にきて、すぐには気がつかなかったが、パーキングの前はかなり広い、しかも牧草のようなのが一面に生えている。
日本で想像していたイスラエルという国の風土は、自分の考えていたものとは少し違っていた。
すべてが乾燥した聖書に記されたカナンの地、荒野のような場所をイメージしていたが、目の前に広がる光景は豊かな草原の様だった。
ゆたかに変化するこの国の、自然と気候を自分たちはこれから、いろいろな場所で体験することになった。

いったん夕食まで、休憩となった。
コージと自分は、隣の部屋に住むあけみさん達と“小屋”へ向かう。
キブツの中心からは10分とかからない。途中の小道は、左側に芝生、右にはいろいろな草花が色鮮やかに並んでいる。
図書館の横の小道を、“小屋”の角で曲がりそれぞれの部屋へ。
これからここでしばらく暮らすんだな。

ルームメイトとなったコージと少し話す。
神戸出身の彼、時おりまじる関西弁と二つ上の自分に、柔らかく丁寧に言葉をえらんで話す姿が印象に残った。
なんとなく彼の人柄があらわれている話し方だった。

灘高出身の人間というので、勉学一辺倒のガチガチの人間を想像していたが予想に反してとても興味深い男だった。
その時流行っていた骨法という武道の話題でもりあがった。
とりあえず、一緒にすんで苦になるような仲間ではなさそうだ。

夕食は6時から9時まで、共同ダイニングでビュッフェ形式だということだった。
6時をすぎて隣の部屋のあけみさん達と一緒に、ダイニングへむかった。
自動ドアがあいてすぐ、空調のきいた、ひんやりした空気のなかに、初めにここに来た時にはなかったいろいろな、食べ物のにおいが混じっている。

入り口からむかって左側に、いろいろな料理が保温機の上にならんでいる。サラダバーのようなものもあった。

右側に座って食べる為のスペース広がっていて、ガラス窓の向こうに芝生の丘が見える。
6時過ぎているので、窓からの日差しがちょっと前より柔らかく感じる。
まだ、時間が早いのかあまり人が来ていないようだ。
所々のテーブルに老年の人々が静かに食事をしているだけだった。

画像2



自分の皿に料理の入った保温機から、いろいろと取って並べていく。
中東料理ははじめてだった。

オリーブだけでも何種類もある。
キブツの食べ物はすべて、ユダヤ教のコシェルの法を守らなければいけないので、食べてはいけないものが結構あるというのは、日本でのオリエンテーションで聞いて知っていた。
ブタ、タコ、イカ、エビなどをはじめ、細かい規則があるらしかった。

キブツでの食事の味は、そのキブツメンバーの出身国でかなり左右される。
ほとんどのキブツは第二次世界大戦後に創設されていて、構成メンバーであるユダヤ人達はヨーロッパ各地からこの地へ移ってきたのだった。
キブツマアニットはチェコ、ハンガリー、リトアニアなどのメンバーが多く、味付けは東欧色の強いユダヤ料理だと後で知った。

シュン達残りの日本人ボランティアもきて、
みんな揃っての食事になった。
ボランティアの座る場所は、なんとなく決まっているらしく、そこでみんなで食事をしていると、ほかの国からのボランティア達もダイニングに入ってきた。
僕達の座っている方へ来て、向こうの方から
自己紹介を始めた。
英語を話せない僕のために、コージが時折翻訳してくれる。
イスラエルに来て初日から、英語が話せないことでモヤモヤした気分がわいてきた。

はじめに話しかけて来た3人は全員南アフリカの出身だった。
ここキブツマアニットにはもう三か月ほど滞在しているらしい。

その後で、雰囲気からイスラエル人ではないとすぐ見てわかる女の子が二人入ってきて、
ボランティアがかたまっている、長いテーブルの端っこの方で食事を始めた。
二人ともとても薄い亜麻色の髪の毛に濃い青色の目をしていた。
どうやら彼女たちもボランティアらしかったがこちらは話しかけては来なかった。

7時過ぎにようやく、次々に人々が入ってきて、一気にダイニングがにぎやかになった。
子供を連れた家族が多い。マアニットにはこれだけの数の人がいたんだと驚く。


ひとりのアジア人が入ってきた。
僕たち新参者のボランティアのようにキブツメンバーにじろじろと見られることもなく、すっかり周りになじんでいる。
たまに特定のメンバーのテーブルに行っては、楽しそうに言葉を交わしている。
口ひげが生えて、よく日焼けしている。
あれ、日本人じゃないか? 
日本人ボランティアの誰かがそういった。
しばらくして、彼はこちらのテーブルに自分の皿を持ってきた。
南アフリカ出身だと言った、リンダとデイーに話しかける。
どうやらこのアジア人はボランティアのようだ。
そして彼は、自分達が座っているところに来た。
日本人ですか? 
関西風の日本語の音の強弱で、彼がいった。


to be continued 






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?