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白き建物が伝える暗き歴史「国立ハンセン病資料館」

私は2023年即ち高校一年生の3学期にハンセン病問題に出会い、3月の春休みから2024年現在にかけてハンセン病問題について研究活動を行った。主な活動内容は当事者に話を聞く、資料館に行く、発表を行う、草津へ巡検に行く、論文を執筆する、等であった。今回は東京都東村山市に佇む「国立ハンセン病資料館」について追体験したい。
 なおハンセン病問題は非常に複雑で不明瞭な問題であり、第一人者であっても誤った認識をしていることがある。資料館の学芸員やパンフレットも一意に信用してはならない。厚生労働省のサイトにも誤りを確認している。故にここで述べることも誤りを含む可能性があることに留意されたうえで読んでいただきたい。展示は変更されている可能性がある。

国立ハンセン病資料館外観

 国立ハンセン病資料館は東京都東村山市にあり、全国13か所ある国立ハンセン病療養所(+私立が1つ)の一つ、多摩全生園の敷地内にある。多摩全生園の敷地面積は358,116㎡。久米川駅からバスが通っているが全生園前、全生園角など多くのバス停がある。そのうちの一つ国立ハンセン病資料館というバス停にて下車しなければならない。多摩全生園の中を通っていこうものなら道を失うは必至である。久米川駅からの所要時間は約15分。バスを降り、門を抜けるとすぐに白い建物が現れる。以下は概要である。

開館時間:9:30~16:30(入館は16時まで)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は次の日)、年末年始、国民の祝日の翌日、館内整理日
入館料:無料

展示に関する詳しい説明は以下のページで見ることができる。
(国立ハンセン病資料館 2024/3/14最終閲覧)

ここからは展示をピックアップして考察を加えていきたい。

 

消防ポンプ


一つ目は導入展示「隔離を象徴するもの」で展示されている消防ポンプである。これがどこにあったのか考えてみてほしい。そう、療養所の中である。よく考えればおかしなことだとわかる。病院や介護施設に消防車はあるだろうか。当時であってもそんなことはない。これが意味するところはたとえ療養所で火事が起ころうと外部からの力は得られないということだ。入所者が自分たちで消防ポンプを使って火を消すのである。全生園の中には神社も学校もあった。すべてがその敷地内で完結するように作られていたのである。

光田健輔と北条民雄

 次に取り上げるのは展示室1の中にある光田健輔と北条民雄についてのパネルである。これは数多くのハンセン病問題に関わった人物の内の2人である。

 光田健輔は医師であり、ハンセン病患者の隔離を推し進めた中心人物である。この人物についてはあまりに語ることが多いとともに、フェイク情報が多く、確信をもって紹介できないため、詳細は差し控える。ただしこの人物に関して印象的なのは、ハンセン病患者の隔離を推し進めたにもかかわらず、その患者の多くから慕われていたということである。

 北条民雄はハンセン病を発症した小説家である。題材もハンセン病問題を扱ったものがほとんどである。川端康成のはからいで「いのちの初夜」や「間木老人」を文学界に発表したことで注目された。私は訪問後、東京創元社の「北条民雄全集 上・下」を読んだのだが、あれほどまでに深い感傷に引きずられたのは人生で数えるほどである。フィクションとして描かれているのだが、その精緻な描写が当時の状況をありありと思い起こさせる。昔の表現が多いきらいはあるが必ず一読する価値はある。さもすれば読者を飲み込むかのような本だ。ハンセン病問題について詳しく知ったうえで読むと北条民雄の全霊の慟哭に涙をこぼさざるを得ない。「いのちの初夜」はインターネット上で青空文庫が無料で掲載しているから読んでみるとよい。

編集を続ける。

 


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