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怒りへの問い


教師を目指す中で、僕が大切にしたいのは、「怒る」と「叱る」をわけること

怒るは、感情的に自分のイライラや怒りをぶつけるもの。
叱るは、相手のためを思いアドバイスをしたり注意をしたりするもの。

もっと簡単に言うと、怒りは感情で、叱るは理性だ。教師が、感情を発散するのが怒りで、落ち着き何が良くなかったのか生徒に届く言葉は何か悩み、伝えるのが叱る。

だから、僕は怒りたくない、叱る教師になりたい。

ある人が言った。
「怒りとは、自分の思った通りにならなかった現状への納得のいかない感情」だと。

僕はこう思ってたのになんでそうなるの?ということだ。
怒りの裏には、自分が勝手に作り上げた理想と期待と押しつけがある。でも、相手のルール違反や悪意も隠れているだろう。傷つけられたのなら、その違反と悪意のあるナイフを指摘することは良いだろう。

叱るとは、そのナイフを探すこと。
そのナイフは、僕の嫉妬や独占欲から来ている納得できなかった怒りの感情の中に隠されている。

相手に伝えるべき本質を探すのが、怒りから叱るへ昇華する方法。岩の中、ナイフを探すこと。

もしかしたら、岩の中には何もないかもしれない。怒りの全てが僕の醜い嫉妬心かもしれない。

だから、怒る時こそ問いたい。
理性的な僕から、感情的な僕へ。
それは、納得のいかない現状への嫉妬ではないのかと。

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