けんと

身の回りのあることを僕なり考えて言葉にしたいから始めます。

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本当の悪魔

悪魔は、本当に黒なのだろうか。 悪魔といえば、角と黒い翼を生やして、怪物の顔しているのが想像しやすいと思う。多くの絵画でそう描かれている。 そんな悪魔の絵を前にして、僕は思った。 「悪魔がこんな姿なら、僕は近寄らないし、誘惑されても断れる。」 多くの人がそうだろう。よほどの理由がない限り、そのような怪物についていかないと思う。 僕は、そんな悪魔にはだまされない人間だと思っていた。 でも、学生生活を通して僕は悪魔にだまされてきたと思う。対岸にいたと思っていた悪魔に僕は騙され続

    • ブレーキ

      僕は、免許を持っている。 教習所に通い始めたときのことを今でも覚えている。 車を運転するのは、かっこいいと思っていた。CMでも爽快に走る姿が見える。 エンジンの音、アクセルの使い方、ハンドルの使い方、それを教えてくれるのが、教習所だと思っていた。しかし、期待はずれだった。一番の時間を割いて教わったのは、ブレーキの使い方。地味だ。 しかし、免許をとってから思うのは、ブレーキが、運転の中で最も大切だということ。ブレーキを正しく使いこなせると、よほどのことがない限り自分が事故を起こ

      • 一言を足すのは、とても大切だったりする。言わなくてもいいけど、少し足して相手に感謝を伝える。 そんな一言は、ちょっと面倒臭い。 一言足すことで、悪くなる場合もある。嫌味のような無駄な一言。 そんな一言は、考えずにポロッと出てしまう。 良いことは面倒臭くて、悪いことは、簡単

        • 歴史を教える

          近々、採用試験があり、論文を書くので、一旦思っていることをここにnoteしたい。テーマは、クリスチャンの僕が、社会科を、歴史を教える意義。 キリスト教の歴史観をもって、歴史を教えることは、二つの事を大切だと感じている。 1つ目は、歴史を「探究する」こと。2つ目は、歴史を「国際的な視点」で見ること。キリスト教的歴史観とは、キリスト教は正しいということではない。一言でいうなら、神の見る視点で真理を追究すること。 まず、「探究する」こと。 探究するとは、正しい歴史観に基づき、物

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        • 歴史を教える

          自然じゃない自然

          自然じゃない自然

          不一致を嫌い不完全を愛する僕ら

          情報化社会が進む中、ロボットは日進月歩の進化を遂げてきた。正確、精密な彼らがつくるものに、私たち人間は仕事を奪われている現在。 しかし、それと同時に、浮き出てきたのが、人間の素晴らしさ。コロナの中、多くの人が孤独を苦しみ、友に会うことができない、また、顔と顔を合わせて会うことの大切を痛感した。これは、ロボットが埋めてくれなかったのだ。 コロナ禍、Siriと話して、寂しさが紛れただろうか?そんなことはないだろう。完全なロボットが埋められず、不完全な人間だからこそ必要だという

          不一致を嫌い不完全を愛する僕ら

          僕は、小さい頃から将棋してた。 双子の兄がよく相手だったが、時には教会のお兄ちゃんとやった。教会のお兄ちゃんは、強くよく何か駒をなしでやってもらった。 僕は、よく飛車と角なし!と言っていた。しかし、お兄ちゃんは、簡単に僕に勝つ。 お兄ちゃんは、本当に無くならないで欲しいのは、この雑魚そうな歩だという。 棋士の羽生善治氏は、「歩が上手に使えるようになれば棋力も自然に向上すると言っても過言ではない」という。 また、“歩のない将棋は負け将棋”ともいう。 将棋の上手い人ほど

          怒りへの問い

          教師を目指す中で、僕が大切にしたいのは、「怒る」と「叱る」をわけること 怒るは、感情的に自分のイライラや怒りをぶつけるもの。 叱るは、相手のためを思いアドバイスをしたり注意をしたりするもの。 もっと簡単に言うと、怒りは感情で、叱るは理性だ。教師が、感情を発散するのが怒りで、落ち着き何が良くなかったのか生徒に届く言葉は何か悩み、伝えるのが叱る。 だから、僕は怒りたくない、叱る教師になりたい。 ある人が言った。 「怒りとは、自分の思った通りにならなかった現状への納得のいか

          怒りへの問い

          復讐しきってスッキリした!って境地ってあるのかな。 嫌悪の先にあるのはどこまで行っても嫌悪な気がする。それか振り返って気づく虚無。

          復讐しきってスッキリした!って境地ってあるのかな。 嫌悪の先にあるのはどこまで行っても嫌悪な気がする。それか振り返って気づく虚無。

          ティラミスの語源の「Tirami su!」 はイタリア語で「私を元気づけて」。 「あなたを元気づける!」じゃなくて、「私を元気づけて」が、素直でかわいい ティラミス!

          ティラミスの語源の「Tirami su!」 はイタリア語で「私を元気づけて」。 「あなたを元気づける!」じゃなくて、「私を元気づけて」が、素直でかわいい ティラミス!

          告白って、失敗しないと思う 本当に相手のことを思うなら、相手が納得いく決断が相手の今最善の幸せなんだもん。 僕の幸せの願うなら、失敗ある。相手の幸せを願うなら、どんな選択も失敗ではない。時に悲しみはあるけど。

          告白って、失敗しないと思う 本当に相手のことを思うなら、相手が納得いく決断が相手の今最善の幸せなんだもん。 僕の幸せの願うなら、失敗ある。相手の幸せを願うなら、どんな選択も失敗ではない。時に悲しみはあるけど。

          夜景のせいだ

          この間、渋谷スカイにいった。 ほとんど東京を一望できるほどの高さで、ビルが周り囲んで、360度光り輝く夜景だった。 よくふとした時に、夜景が見たくなる。 夜景デートがあるくらいだから、みんな見たくなる時があるのだろう。 暗闇でもいいのでは?とは思うが、暗い夜の中にビルの小さな光が並ぶ夜景がいいのだ。 光がきれいだから?それなら、クリスマスツリーでもいい。 なぜ、夜景がいいのか。 きっとそれは自分が大きいと思ってたものが、案外小さかったことに心が落ち着くのだと思った。

          夜景のせいだ

          僕の幸せ

          人生の目的は、何だろうか。 みんな、考えたことがあるのではないだろうか。 誰かを愛すこと? 名前が残る実績をつくること? 高く評価されるような人になること? 教師になり、教育に身を委ねること? 自分は、何になることを目標に歩んだらいいかわからなかった。 けれども、それは案外簡単な答えだと最近わかった。 人生の目的は、「僕が幸せであること。」 自己中かな。まぁそう思う人もいるだろう。 でも、これが本質だと思う。 これは、決して、だれかのために行動することを否定したいん

          僕の幸せ

          僕は丸くない

          最近、言われること。 成長したね 変わったね そして、丸くなったね 先輩たちにも、後輩たちにも言われる。 僕は、3年前とかは、尖ってた。 転がるハリセンボンみたいな。 だから、みんな感じる。 丸くなったね。 まぁ変わったのだろう。成長したのだろう。 けど、丸くはなってない! 正直にいうと、「丸くなったね」って言葉が嫌いだ。だって、僕は、まだまだ尖ってるから。 丸いのは、まるでみんな、丸くなることを目指されてるみたいで、好きじゃない。協調性、共感性、喧嘩しない、平和

          僕は丸くない

          種は、花束へ

          人には、返報性の法則があるらしい。 端的にいうと、何か良いことをされると、返し、報いたいと思う習性だ。 誕生日の午前が終わった。 昨日の夜から、後輩たちが20人いかないくらい集まって、オンラインで祝ってくれて、この時間までにSNSで祝いの連絡をくれた人たちが、30人いた。 愛されてるな〜って思う。 僕は、自分でいうのもなんだが、誕生日の祝いには。まめな方で、多くの人の誕生日に連絡をいれる。おそらく、他の人が祝うのを躊躇する人には、僕は躊躇せずに連絡する。 多くの人が

          種は、花束へ

          ルールの先

          今回は、すごく教師みたいな話。 社会の形態は、2つパターンがある。 1つ目は、王権神授説。 神が王に権利を授けた。だから、王こそが法だ。という社会。中世は、このような形態の国が多かった。 2つ目は、社会契約論。 社会はルールによって作られている。いわゆる、法治国家だ。国一番偉いのは、人ではなく法。絶対者の気分で国は変えられない。絶対者の上に、法がある。 ほとんどの国が、現在は法治国家だ。 日本も法治国家、憲法が最高法規であり、国の為政者は、憲法を守らなきゃいけない。

          ルールの先