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332日目(叶わなかったスモールドリーム)

前回書いた時からちょうど一ヶ月ぶりくらい。
毎日投稿から一回途切れてから徐々に投稿回数は減っていき、週一投稿になりとうとう月一投稿になってしまった。
「今日くらいは書こうかな」と思いながら酒を飲んでしまうと、まあいいやとなってしまう。それでもまあ、TwitterとかFacebook以外で長文で何かを書けるプラットフォームがあるってだけでも気が向いた時に書けばいいやと思っております。

先日、芸人の玉袋筋太郎のYouTubeチャンネルで配信された息子さんとの飲み動画がめちゃくちゃ良かった。

息子さんめちゃイケメンで玉さんが話している時はしっかり目を見て聞いてたり、親子というより親友のような関係性に見えてしまう。
動画の中で話されるエピソードのどれもが良い話で、酒飲みながら見てると泣き笑いしそうになるものばかり。

こういう関係性の親子関係が羨ましいとも思ったし、親父と酒飲みたかったなとも思った。
こんなキャッキャした親子関係でもなかったし、親父と酒を飲むっていう意外と簡単そうなこともタイミングが合わず、もう叶うこともない。

僕は兄貴とひと回り、姉ちゃんと10歳離れていて、親父が40の時の子だ。
幼少期の頃は若干アル中君だった親父が酒飲んでいる姿を見るのが嫌で、酒乱ってわけでもなかったけど親父が酒を飲んでる時にいい思い出はなく、どちらかというと嫌な思い出は何個かある。
なので、学生時代の武勇伝トップコンテンツである飲酒や喫煙を学生時代にしたことがなく、高校を卒業して自衛隊に入隊してからも酒が飲めるようになったのは二十歳過ぎてたし喫煙も24歳くらいから始めた。

飲酒や喫煙を始めてからもしばらくは「付き合い」程度のもので、自宅で飲んだり飲みに行ったりするのが楽しくなってきたのは30歳越えた時くらいからかなあ。
もうその頃には親父はとっくの昔に肝臓を壊して酒の飲めない体になっていて、親父と酒を飲むことは叶わなくなっていた。

両親共に入退院を繰り返すギリギリ前に僕として最初で最後の親孝行的なことをしたことがあった。
お遍路さんの先達をしていた両親が好きだった場所で、僕も幼少期の頃によく連れて行ってもらった高野山へ、突発的に思い立って両親を車に乗せて日帰りで連れて行ったのだ。
道中で「このまま事故に遭ってそのまま逝っても幸せやわぁ」と不吉な言葉を放つ母親だったが、高野山へ到着した時に両親共が「また来れたなあ」としみじみ言ってたので本当に最後のタイミングで親孝行できたなと思えたのだ。
高野山を降り、そのまま大阪へ向かって新世界で串カツを食べに連れて行った時のこと。
もう20年くらい酒を飲んでいなかった親父が
「今日くらいは酒飲んでもええかの(笑)」
と冗談混じりに言っていた。
その時は「飲ませるわけないやろ(笑)」と流していたのだが、今思えば親父と酒を飲む最後のチャンスだったし親父もそれを望んで言ってたんじゃなかったのかなと思うのです。

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