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5月23日 知識労働の生産性向上

おはようございます。昨日の続きです。

#ドラッカー #365の金言 #5月23日 #知識労働の生産性向上   #知識労働の生産性向上のためには知識労働者を資本材として扱わなければならない

このNoteは、「ドラッカー365の金言」に記された1日1テーマに対して、自分の感想や想い、そして、私自身の実践について書いたNOTEです。本文そのものを全て引用することはありませんので、ドラッカー博士の論文をお読みになりたい方はぜひ本書をご購入されることをお勧めします。

https://amzn.to/3sucDVe

“汝の時間を知れ“ ドラッカー

上記は本書の扉の次のページに記されていたメッセージです。これは「時間は無限ではないから集中せよ」という意味かも知れません。ドラッカーの65年以上にわたる著作集を読み続けるほどの時間がない方のために、本書がある、という意味かも知れませんね。

編者のマチャレロ教授は

“最後にACTION POINTとして取るべき行動を示唆した。ここでお願いしたいことは、読者ご自身が「すでに起こった未来」を探すことである。新たなトレンドを見出したならば、ドラッカー学校の伝統に従い、自ら行動していただきたい。“


と記して、本書を実践する書、として欲しいと述べています。

著作権等の関係から、日々のドラッカー論文(つまり、本書の本文)を全文引用することはしませんので、ご関心の方はぜひお手元にお持ちになることをお勧めします。



今日のテーマ:知識労働の生産性向上


今日のアクションポイント: 

#あなた自身の知識労働にステップ1から5までの条件を適用してください

ステップ1〜5って何か。

今日は本文からご紹介しないと仕方ないですね。

本文には6つ紹介されています。5つまでは知識労働者自身で適用すること。6つ目は知識労働者を雇用する経営側が適用することとなっています。

 知識労働の生産性向上の条件は、大きなものだけで六つある。
 第一に、なされるべきことを考えることである。
 第二に、働く者自身に生産性向上の責任をもたせることである。すなわち、自らをマネジメントさせることである。自律性をもたせることである。
 第三に、継続してイノベーションを行なわせることである。
 第四に、継続して学ばせ、かつ継続して人に教えさせることである。
 第五に、知識労働の生産性は、量よりも質の問題であることを認識させることである。
 第六に、知識労働者をコストではなく資本財として扱うことである。何にもまして知識労働者自身が、組織のために働くことを欲しなければならない。

ここ数日、知識労働者の生産性向上について紹介されていますね。ドラッカーは、1992年発刊の「未来企業」の中でも記しています。

知識労働やサービス労働の生産性の向上をはかる場合に、まず問うべきは「何が課題か。何を達成しようとしているか。なぜそれをするのか」でなければならない。最も手っ取り早く、しかも、おそらく最も効果的にそれらの労働の生産性を向上させる方法は、仕事を定義し直すことである。そして、特に、行なう必要のない仕事をやめることである。(中略)生産性の向上が実現されたのは、「何が課題か」を問うたからである。(中略)知識堂々においてこそ、仕事を定義し直し、行なう必要のない仕事をなくしてしまうことが、さらに重要であり、また、はるかに大きな成果を生み出す。(「未来企業」117〜120ページより)

今日の提言でいえば、1番目に記されている「なされるべきことを考えること」が最も大事ですね。

AIだ、IOTだ、DXだ、と通信屋やコンサルが新しいビズワードを必死で売り込んでいますが、設備投資すれば生産性が向上し、めでたし、というわけではありません。今日ほど答えのない不確かな状況に耐えなければならない時代はありません。しかも、不確かさは年々増すばかりです。

むしろ、「何が課題か」「なぜそれをするのか」と為すべきことを減らし、絞り込み、行なう必要のない仕事を無くしてしまうこと。それが知識労働者の生産性向上に直結し、企業の利益率向上につながります。

さて、日本企業の97%が中小企業です。その中小企業の生産性向上についてアトキンソン氏の発言が注目されていますね。

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中小企業を半分に減らせば生産性が向上して賃金上昇が実現できるとアトキンソン氏が主張しておられるようです。

私は、この考え方は国家全体を考えると、少し近視眼的ではないかな?と思いました。そして、企業の目的を勘違いしておられるようにも思いました。なぜなら、中小企業の多くは家族経営です。家族経営の事業目的と、儲け、利潤を目的とした企業とは、そもそも目的が違うからです。

例えば、農民作家の山下惣一さんは、生きる目的について、こう語っています。

昔から日本の農家は農業生産だけでなく、山仕事、炭焼き、わら細工などもやって、これを「副業」と称したのです。日本の伝統工芸のほとんど は農家の副業から始まったといわれています。このようにカネもうけではなく、暮らしを目的としてそれに必要なことは何でもこなす人のことを、私は自分もそうありたいという願望をこめて「百姓」と呼ぶのです。 日本の村社会はいまもなお基本的に血縁関係であり、何百年も同じところに住み続ける定住社会です。住んでいるのは「百姓」です。高齢化した百姓衆が村を支え、乏しい年金をつぎ込んで、赤字の農業を守っているのです。農家が農業を守っているのが実感です。その根っこ、核、コアとなっているのは稲作に使う「水」なのです。 田んぼは個人の所有ですが、水は個人のものはなくみんなの共有財産です。この水の共同利用こそが日本の農村の土台でもあり、畑作農業 地帯とは異なるところでしょう。何よりも公平、平等、和が尊重されないと維持できない社会で個よりも集団が優先します。たとえば溜池の水を落とす、川の井堰で流れをせき止めて田んぼに水を入れるなどの日を決めるのは総意であり、個人の自由は許されません。つまり、一人の百歩ではなく、百人の一歩前進がルールです。
 経営規模の大小というのは個人の立場での話であって、集団でみれば全体のパイには変わりはないわけで大した意味はないのです。 集団内ではゼロサムゲームですから一方に大きくなる人がいれば他方に小さくなる人が出る。そういう変化は好まないのです。人がいなければシステムそのものが維持できないからです。ですから、農家はやり方が下手だから農業がもうからないのではなく、もともと「もうけ」を目的としていないのです。私が尊敬する百姓の大先輩は、若いころ世襲に際して父親から「いいか、大きくなるな、小さくもなるな」と教わったそうです。これが村の論理なのです。家族がそこで働いて暮らしてゆくことを目的にしている。儲けを目的としていない。それが小農です。 

( https://ch.nicovideo.jp/ch711/blomaga/ar323473 より)

江戸時代から、多くの農家が商家へと転業がありました。そして、彼らの多くは伝統的な家族経営でした。それが始まりです。農家と同じく、多くの中小企業の経営目的はドラッカーが言うように「利益追求ではない」のです。

「先祖代々暮らしてきた土地で家族と共に働いて生きていくことが目的であり、農業はそのための手段であって、けっして農業そのものが目的ではないのです。国がわが家を守ってくれることはありません。山下家を守り、次に手渡す責務は私にあるのです」(「往復書簡」「AFCフォーラム」 山下惣一)

それこそ、「持続的な」生き方です。利潤追求を目的として経営してはいない。生きる基盤であるのが、日本の中小企業の商いです。

かつて、非効率だ、生産性が低いから日本の農産物は高くなってしまっている、という議論から農業叩きをしたのは、政府でした。1986年、中曽根内閣の諮問会議で、座長が日銀総裁だった前川春雄という人でした。


 我が国農業については、国土条件等の制約の下で可能な限りの高い生産性を実現するため、その将来展望を明確にし、その実現に向けて徹底した構造改善を図る等、国際化時代にふさわしい農業政策を推進すべきである。この場合、今後育成すべき担い手に焦点を当てて施策の集中・重点化を図るとともに、価格政策についても、市場メカニズムを一層活用し、構造政策の推進を積極的に促進・助長する方向でその見直し・合理化を図るべきである。
 基幹的な農産物を除いて、内外価格差の著しい品目(農産加工品を含む)については、着実に輸入の拡大を図り、内外価格差の縮小と農業の合理化・効率化に努めるべきである。
 輸入制限品目については、ガット新ラウンド等の交渉関係等を考慮しつつ、国内市場の一層の開放に向けての将来展望の下に、市場アクセスの改善に努めるべきである。

つまり、1986年の「国内農業たたき」と現在の「中小企業たたき」と文脈は同じです。農産物が輸入によって価格が下がれば豊かになる、というのは幻想でした。この後、バブル崩壊し、失われた30年が始まりました。

今回の「中小企業たたき」で非効率な国内産業・企業を潰して、輸入によって価格が下がれば国民生活は豊かになる、というアトキンソン氏の提言は、35年前の前川日銀総裁の「前川レポート」と同じです。

確かに、中小企業は大企業に比較して利益率が低く、生産性向上の余地はあるでしょう。しかし、そもそもの大企業製造業ですら、20年前から付加価値は増えていません。むしろ減っています。

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企業の目的は、利益じゃない。ならば、何か。

国民生活の基盤です。

中小企業357万社を半減させ160万にすれば、4000万人の中小企業従業員の半数2000万人が生活の基盤を失います。

完全失業率は、令和3年3月現在、188万人(2.6%)にとどまっていますが、2000万人が仕事を失えば、桁違いの悪化です。

およそ26〜30%というアフリカ諸国並みの失業率となり、


一気にそのインパクトは株価下落、日本売り、円が下がるなど、金融市場においてのみならず、国際的な地位も雪崩れ落ち。わが国にとって大きくマイナスに影響するでしょう。

また、アトキンソン氏ら新自由主義者たちが信奉する「セイの法則」(=供給を増やせば、需要も増える)が過ちであることが明らかとなった今、これ以上生産性を向上しても、需要が増えないことは明らかです。


アトキンソン氏の提言にしたがって、中小企業を半減させれば失業率は30%、しかも、需要は減退。先の見通しが悪いことから、ますます消費せず、生活防衛に消費者の指向は向かいます。これで賃金が増える?

そんなはずないでしょう。アトキンソン氏の理屈が誤っていることは、経済に詳しくないかたでもわかるんじゃないでしょうか。

彼らは狡猾に我々を罠に嵌めようとしています。私たちは、引き続き学び続け、新しい知識と実践を積み重ねることが大切です。こちらのNOTEにも記しています。

今日もやっていきましょう!


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