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僕はお寺に住んでいます。

僕はお寺に住んでいます。

以前に書いたnoteでもちらっと書いたことはありますが、改めて。

2022年の8月頃からお寺に住んでおり、いわゆる居候として生活をしています。

お金に困ったとか、住む先に困ったとかではなく、お寺に住めるチャンスを実現したくなったからです。

ちょっと考えてみてほしいのですが、そもそもお寺に住むってどうやったら住めると思いますか?

賃貸ポータルサイトに掲載などされていないし、お寺に出向いて「ここに居候として住まわせてください!」と言うしか方法はないかもしれません。

でもそれは住職を目指す人が言うセリフならわかりますが、なんの関係もない一般の人が言って、果たしてお寺側が「いいよ!」と言うでしょうか。

住むためのハードルを考えれば、まぎれもなく「住んでみたくても住めない場所」です。

そこに住めるチャンスがあるのだから、後先にない経験としてそれは実現するべきだと本心から思いました。

そうして約9か月、居候として、ぼくはお寺に住んでいます。

生活スタイル

自分の仕事があるので、平日は自分の仕事をしています。

では土日は何をしているか。

とにかく掃除です。

1に掃除、2に掃除、3,4も掃除で、5も掃除。

不動産営業マンが不動産のプロ、料理人は料理のプロだとするならば、お寺の住職は掃除のプロです。

境内の落ち葉を掃く、集める、捨てる。
法要があるときは本堂の掃除、掃除機をかけたりハンディモップでほこりを払ったり、たたみを拭いたり。

お寺の境内って、基本的にすごくきれいなイメージがありますよね?

住職や関係者の方々がとにかく気を使って、隅、陰、端、角を余すことなくきれいにしている賜物だと改めて感じました。

やってみて思うのは、とにかく「気を使う」ということです。

「気を使う」というのは、気を付けるということ、気づくようにするということです。

「先輩のグラスが空いたら気づいて先に注文聞いておくんだよ、気ぃ使えねぇなぁ」という先輩から後輩への叱咤を聞いたことがあるかもしれません。

掃除における「気を使う」とはここでの「気が使えない」とほぼ同義語で、気づくようにそこに意識を向けているということです。

隅、陰、端、角。これはゴミがたまりやすい場所です。
なぜゴミが溜まりやすいか。
人が気づきにくい場所だからです。

人目につかないような隅、陰、端、角にも意識を飛ばし、気をつかって掃除をするということ。
すなわち、世間一般での「気を使う」という行為は、掃除にて養われるものだと教えていただきました。

掃除こそが人間を形成する行為。

この環境で生活をしていると、少しずつ、今まで気づかなかったことに気づけるようになったような感じがしています。

きっかけ

話しはすこし戻り、ではなぜ僕がお寺に住めることになったのか。

このあとの登場人物は、ぼく、ぼくの父、父の会社の社員Kさん、住職の3人です。

きっかけは1本の営業電話。

会社の事業で、オーケストラのような演奏をできるお寺を探していたKさんが、今ぼくが住んでいるお寺に営業電話をかけました。

いつもなら営業電話はすぐに断る住職が、なぜかその営業だけは受けることに。

後日、Kさんがお寺に赴き、内容や展望を話し、次は社長を連れてきますと残し、その日は終了。

次に伺うタイミングで、社長である父がお寺に訪問。
そこで仲が深まり、その関係が10数年続いている、ということです。

ぼくも学生の頃にお寺のイベントや手伝いに参加したため、住職には顔と名前は覚えていただいていました。

2022年1月頃、住職から電話があり、パソコン作業を手伝ってほしいとのこと。
聞けば、パソコンでの入力作業が大変であり、時間もそこまで割けないから一通りのことをお願いしたいということで、週に1度のペースでお寺へアルバイトをしに行っていました。

行くたびに夜ご飯をご馳走になり、他愛もない話をするようにもなる関係になりました。

同年6月頃。

「8月で賃貸が更新なので引っ越し先探しているんですよねー。」と話すぼく。
「じゃあうち住むか?」と住職。
「いいんですか?お願いします。」と即答するぼく。

これだけでした。

チャンスはすぐにつかむ

「お寺に住んでるよ」と友達に話すと返ってくる答えはパターン化されています。

「なんで!?」
「どんな生活してるの!?」
「おもしろそう」

今の時代、お寺はあまり身近にないので、そんなところに住んでいるというだけで、ありがたいことに興味を持っていただけます。

ぼくは別にお寺に住みたかったわけではありません。

お寺に住むということが、この先の自分にとっておもしろそうなコンテンツになると思ったからです。

おもしろそうというと少し語弊があるかもしれませんが、誰もが経験できないであろうことを経験できることは貴重なチャンスだと感じたわけです。

こんな機会二度とない。

それをすぐにつかむことができたことが、なによりの幸運だったと今でも感じています。

いずれこの経験を何かに残したいな、本を書くとか。



今月note書いてないなと思い、書いた題材に悩んだあげく、こんな話をつらつらと書いてみました。

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