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近未来建築診断士 播磨 第4話 Part6-5

近未来建築診断士 播磨

第4話 無自覚な従僕たちのマンション
Part.6『劣化機能の更新業務』 -5

【前話】


 作事刑事の視界は先日の高所作業を思い出させた。違うところは、あの時よりもさらに足場が狭いこと。群青色の手甲が幅数センチの出っ張りを交互に掴みながら横に進んでいく。足はどこにかけているのかすらわからない。

 こちらがそんなことを考えている間、彼はずっと11階に登るためのルートを見据えている。吹き抜けの手摺壁を渡って最上階まで伸びている、屋内モノレールの線路を。

『姐さん、11階の様子はどうだ』
『挟まってるだけだからあんまり見えないんだけど、誰もいないよ。サイレンも止まない』

 みんな眠っているのだろう。廊下で火災警報が鳴っていることに気づいている人すらいるかどうか。こちらにとっては好都合だ。消防隊以外に気を使わずにすむ。

 ふと刑事の通信から軽い音が響いてきた。何かがこすれるような音が遠くから近づいてくる。

「兄さん気を付けて」
『大丈夫。電車がホームに入ってきただけだ』

 樹脂製運搬車両を連結させたモノレールが鋼のレールを掴み、下から高速で駆け上がってきた。ごく小さなモーター駆動音とレールが擦れる音がサイレンに混じる。何も積んでいないその車両は刑事の目の前で急制動をかけ、その行く手を阻むように止まった。

『……乗せてってくれるのかな?』
『冗談言ってる時間ないわよ』
『わかってる。ちょっと待て』

 そう言いつつ刑事のAR表示が忙しく動く。こちらへの画像共有は検閲されているのか、字が滲んでよく見えない。

『とりあえず車体に物騒な改造とかは無いな。でも列車が邪魔でレールを登れない』
『別のルートは……なさそう。あとはシャッターの溝つかんで登るくらい』
『いいや』

 そう言いながら彼は、銃のようなものを取り出した。

『派手なルートを使う』

 刑事のARグラス上に照準補佐用と思われる薄赤い円が表示された。彼が振り返って11階を見上げると、円の中だけが望遠される。11階のシャッター、そこに空いたわずかな隙間。春日居がドローンを挟み込んで確保した空隙が拡大表示された。刑事はそこに向かって狙いをつけ、引き金を引く。

 空気を切り裂く鋭い音と共に何かが射出される。その後を追って、きらきらと光る極細の線が伸び出た。『LOCK』の字が視界に表示されると、刑事は糸を吐き出した銃器を腰の当たりにあてがう。極細の線が左腰から飛び出した軸に巻き取られ、銃器から線が切り離された。

 再び11階のスリットを狙う。先程の着弾点から少し離れた場所を狙って一発。再び『LOCK』の字が表示されると今度は右腰に糸を固定する。

 手甲で2本の線を引き、手応えを確かめた。

『よし』

 視界が浮かび上がった。壁を蹴って跳んだのだ。吹き抜け空間を挟んで反対側の壁がぐんぐん近づいてくる。壁へぶつかる直前に群青具足の両手脚がわずかな出っ張りを掴み、それを足がかりに上へ跳び上がる。

 ひと跳びで7階の手すり壁を掴む。また跳ぶ。気づけば刑事は11階のスリットに手をかけていた。パワードスーツの性能が違うのはもちろんだが、自分との自力の違いを見せつけられた気がした。

『シャッター上げるぞ』
『はいよ』

 太い両腕がシャッターをこじ開けると、間に挟まっていた球型ドローンが廊下に転がりながら浮かび上がる。刑事もそれを追って転がり込み、その勢いのまま廊下を走り出した。

『突き当たって3つ目のドア』
『了解』

 管理サーバー室のドアをARグラスがロックする。刑事の画面越しとはいえ、あの部屋にここまで近づくのははじめてだ。調査中は11階に降りることすら許されなかった。

 ドアレバーハンドルの上に縦長の施錠装置が設けられている。0から9までの数値キーとシリンダー錠がセットになったものだ。
 一つ肩の荷が下りた。調査時に望遠で撮影していた通りだ。装置は改造された様子がない。これなら春日居の解錠装置で対応できるだろう。

 刑事はドアに駆け寄って解錠装置を取り出した。長方形の小箱をひっぱり、錠前とドアレバーをすっぽり覆うサイズに変形させる。それを鍵の前で構え、慎重にかぶせた。

『取り付けできたぞ。これでいいか?』
『もうちょい押し込んで』

 ARグラスをずらして腕の端末を見る。春日居の作業ログが動きはじめた。

 解錠装置は10キーを直接触れることで走査するらしい。人間が触れたことによる油脂成分の付着やキーのすり減り、プッシュボタンのバネ抵抗等から番号を導き出すそうだ。
 シリンダー錠の方も装置の可変素材がシリンダー内部に入り込んで解錠できるという。春日居は2分程度あれば開くと言っていた。後は待つだけだ。

『姐さん、見回り頼む。誰か来るかもしれねえ』
『来たらどうするの?』
『そりゃ邪魔するさ。穏便にな』
「あ、できれば天井裏に入って。写真が欲しい」
『はいはい』

 だが不安はある。鍵の形状が変わらないと判断したのは外見の上でだ。中身を変えられていたら解錠はできない。

 刑事は鍵の破壊も選択肢のうちだと言っていた。鍵を壊して室内に入り、素早くサーバーに細工して逃げるのも手だと。

 しかしそれではだめだ。理事会はすぐに鍵の異常に気づいて警察を呼ぶだろう。その時点でシステムが健全化していても、警察の調査が入ればマンションとマンション住民の異常が知れてしまう。そうなればこれまで通りに暮らせる保証はない。いくら派手にやろうとも、はっきりした証拠を現場に残すわけにはいかない。ぼくらは建物を壊すわけにはいかないのだ。

『よっしゃ、つかめた』

 春日居が声を弾ませる。イヤホンから解錠装置のぎちぎちという音が聞こえはじめた。

【続く】

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