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ハシゴダイク#むつぎ大賞2023

 こっちこっち!とでも言っているのだろうか。少女の姿がぴょんぴょん飛び跳ねるのが見えた。白くダボついた奇妙なかっこうで、足元にがれきがなんて無いみたいに。

「うっせー。そうほいほい進めるか」

 切断の跡はまともに歩ける道なんてない。地盤ごと粉々に砕かれた挙句かきまわされ、高熱でローストされている。炭化とガラス化で脆く、鋭く、険しい瓦礫の山にはまともに歩ける道なんてない。

 遠くで戦闘の音がする。電気無限軌道車のエンジン音に金属の衝突音が混じる。時折聞こえる銃声、そして悲鳴。小競り合いにしては規模がデカい。

 視線を上げると、かつては美しい姿だったろう山へと続く切断跡がはっきりと見える。きっとケーブルは蛇のように跳ねまわったんだろう。山はずたずたに切り崩されていた。

 背嚢からかんじきを取り出し、ブーツに結わえ付ける。このあたりは水はけがいいのか、それとも水脈が無かったのか。水気と言えば、遠くの方で崖から顔を出している地下鉄のトンネルから、ちょろちょろと泥水が流れ出しているだけ。辺りはぬかるんでいなかった。何とか歩けるだろう。
 矢筒の覆いをとり、弓を握って万一に備える。そして、そっと歩き出す。じゃり、じゃり、と。かつて街だったものが小さく音を立てた。

 遠くで彼女の、ウリエのホログラムが飛び跳ね続けている。腕時計を見ると短い針が「4」の字を過ぎたところだった。彼女が言ったとおりにしていれば、あの幽霊のような姿もそろそろ消える。

 彼方のウリエは色素の薄い金髪を跳ねさせながら、不安そうな顔でこっちを見ている。その灰色の目に引っ張られるように足が速くなっていく。

「心配すんな。できるだけ急ぐ」

 呟きに応えるように、ぼんやりと輝くウリエの姿は動くのをやめ、陽炎のように揺らぐだけになってしまった。

「まぁ待ってろって」

 マスクの下で唇をなめ、鼻を動かす。

 十年余りが経ってなお、宇宙から振り下ろされた線の跡は臭う。森の中とは決定的に違う臭い。
 写真でしか知らない摩天楼の街並み。それが死んだ臭い。気が遠くなるほど長いケーブルが切り裂き、打ち据え、跳ねまわった痕。人の死体なんてメじゃない悪臭。街という巨人の死骸の臭いだ。

 風よ来い。そう願う。
 背を向けると忌々しい海が見える。藻屑を伴った黒い線───どこかの馬鹿がこの事態を想定し、ケーブルを浮くように作りやがった。回収するやつなんてどこにもいないのに───それで割られた海が。

 船は止まっている。
 だが波は止まっていない。風はまだ凪いでいないのだ。

 下の丘陵地の小競り合いの様子が見えた。雑兵の一人と目があった気がして小走りで破壊砂利を蹴り、何かの建物だったモノの影に潜む。

 ボロ布と鉄板で武装した連中が長物を手に突き合っている。中には小奇麗な武装をした者もいるが、ごく少ない。軍人か警察官だろうが、誰がどこの旗の下にいるかはよくわからなかった。

 最前線の一人の頭で、ぱっと赤い花が咲く。悲鳴と共に周囲が散り散り逃げ出し、追手側が活気づいた。すると、今度は追手側の一人の胸がぱっと赤く弾けた。

 いつものことだ。戦線が膠着すれば銃持ちが腰を上げる。ここからが本番だ。どっちかの誰かがひるまず突っ込めば、その誰かがいる側が勝つ。銃持ちの懐具合を正確に知っている奴だけが生き残れる。

 いかん、見てる場合じゃない。

 悲鳴はまだ続く。誰かが勇気を、無くてもいいやるきを奮い起こすまでが俺の仕事時間だ。

 海からの風が微かに届く。その匂いを嗅ぎながら道を選ぶ。正しい道は臭くない。反吐が出るような淀んだ悪臭の道は間違った道だ。目に見えない落とし穴や鋭く尖った何かが、瓦礫の中でよだれを垂らして俺を待っている。

 俺はまだ臭くない。あそこで殺し合っているクソ共みたいな臭いはしていない。あの臭いが染みてしまう前に、俺はウリエに会うのだ。

 とはいえ道は良くない。ウリエが残した陽炎はずっと向こう。軌道エレベーター副索が叩きつけられて出来た谷の底にある。ダイクのジジイが言うには、こういうところに主索は埋まっていない。

『軌道エレベーターケーブルは星を斬った剣であり、同時に蛇だ。一度打ち据えただけじゃ満足しなかった。なんどもなんども跳ね回って、念入りに俺たちを殺したんだ』

 ああ、また酒でも見つけてやらないといけない。余分な話はもう、たんまりと多いが、ジジイの話は役に立つ。
 ウリエの情報は古い。たぶんエレベーターが壊れる前の話が大部分だ。あいつのところにたどり着くには、あいつの持ってる情報だけじゃ足りない。ダイクのジジイみたいな奴がどうしたって必要だ。

 ジジイもウリエも同じことを言った。エレベータ―ケーブルは一本じゃない。主索って言ったって何十本もあるが、それに加えて始索というケーブルもあったらしい。軌道エレベーター建設当初からある、いちばん古く細いケーブル。主索よりもずっと容量は少ないが、通電・通信・積載能力を備えていたらしい。

 だから始索は見つかってない。国や市、町や村なんかは主索のことしか頭にない。主索が提供するエネルギーと娯楽だけが奴らの望みだ。加えて主索よりも軽く細いそれは、軌道エレベーター倒壊時に焼け溶けて消えたと言われてたらしい。

 いま俺とウリエをつないでいるのは、ただその線一本だけだ。ウリエはそこで待っている。始索、そのアクセスポイントとやらがあの場所にある。切断渓谷の一番底に。

 海からの風を頼りに道を進む。瓦礫を踏み越えるたびにカンジキの布地が切り裂かれていく感触がする。コンクリと鉄骨の巨大な塊を大きく迂回しながら、ウリエの陽炎を見下ろす位置へ歩く。渓谷の斜面を降りず、坂の勾配と直行するルートをできるだけまっすぐに。

 わぁっと、歓声が木霊する。小競り合いの様子がかわった。銃声はあれから聞こえてこないが、鉄パイプがかち合う音は激しさを増している。どちらかが優勢に立ったらしい。じきに戦闘は終わるだろう。

 戦場から瓦礫で見えづらい位置を選んで進む。そろそろだ。この辺りがウリエの陽炎までいちばん近い。

 周囲を見回す。人気は無く、夕暮れに追われて森に返る鳥たちもいない。海からの風はわずかに塩辛く、気持ちが良かった。
 弓を首にかけて、腰に差した登山ステッキ二本を取り出す。かつてはレジャー用だったのだろうが、今では欠かすことのできない補助足だ。

 両足のかんじきと補助足でいびつな四つ足動物になった気分だ。鹿やら何やらがここにいたら、もっと軽快に飛び回るのだろうか。
 いや。賢いあいつらなら、こんな臭い所には来ないだろう。

 一歩一歩、斜面を踏みしめて降りる。ステッキを瓦礫に突き刺し、沈み込むようなら道を変える。ふとした拍子に来た道をふりかえると、夕日に照らされた自分の足跡はずいぶんと蛇行していた。

 首から下げた骨董品が、小さな囁き声を立てた。

「───イ──ノロイ───ノロイ、応───」

 蚊の鳴くようなか細い音。時々頭のおかしい奴が電波塔を動かしたときに流れてくる音に似ている。
 そんな陰気な無線通信でも、ウリエの声が乗ると別物に聞こえる。ラジオから名を呼ばれる心地よさが足の疲れを飛ばしていく。
 谷の底まであと少し。ホログラムの陽炎はもう目の前に迫っている。

「応答───イ───険───」

 一直線に駆けて行きたい。その思いを通信に止められた。咄嗟に杖を手放し、前のめりに倒れ込む。

 直後、何かが空の上を、ひゅうっと音を立てて飛んで行った。あれは矢だ。撃たれたのだ。
 弓を構えて坂下を睨む。かつてのビルの頭で隠れて見えないが、さっき騒いでいた連中に見つかったと考えるべきだろう。
 狙いは俺か。それとも、始索ウリエか。



#むつぎ大賞2023


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