自分の家族に、一日でも長く生きてほしかった。それだけ。〈介護幸福論 #23〉

「介護幸福論」第23回。前回の記事で書いた「胃ろう」という選択に対して読者からは賛否両論が渦巻いた。多かったのは、延命医療への批判だ。「延命治療の胃ろう=年金詐欺」というものだが、そんなこと考えもしなかった。ただ目の前にいる人に一日でも長く生きてほしかっただけだ。

前回はコチラ↓

■批判8割、賛同2割

 前回、胃ろうについて書いたところ、読者から多くの反響をいただいた(2019年の初出時)。

 8割は批判的な意見だった。胃ろうはこんなにも世の中から「叩くべき悪」と見なされているのか。あらためて思い知らされるほど、厳しい声が多かった。

 2割は好意的な意見だった。それはほとんど、医療関係者か、実際に胃ろうを施した患者の家族からの声だった。

「うちの父は胃ろうに助けられた。胃ろうのおかげで笑顔も増えて、長生きもできた」
「胃ろうは悪いことばかりではない。患者さんは楽で、交換も年3回で済む。でも、経鼻胃管は食事のたびに確認が必要で、交換も月に2回」

 原文そのままではないが、これらが好意的な意見の代表だ。

■年金目当てで胃ろうをする?

 一方、批判的な声に多かったのは、お金について指摘したものだった。

「延命治療をすれば、それだけ年金をもらえる期間も延びる。年金目当てで胃ろうをする人が多いことに、なぜ触れないのか」
「普通に会話もできる人なら、胃ろうの意味はあるだろう。しかし、意識もなく、ただ延命のためだけの治療なら、医療財政を圧迫するだけ。税金の無駄遣いでしかない」

 特に前者の意見はとても多く、「延命治療の胃ろう=年金詐欺」という、偏った考え方が多数派だったことに驚かされた。なるほど、年金のために延命治療をお願いする人もいるのかと初めて気付いたなんて書いたら、また総攻撃されるのか。

 自分の家族に、一日でも長く生きていて欲しいと願う状況において、年金の皮算用をする人が多数派なのか少数派なのかはわからない。ただ、外から見ている時と、いざ自分がその立場に置かれた時では、考えを変えざるを得ないケースもあるという現実は知って欲しい。

 実際、胃ろうを否定している人たちは、家族に対して「胃ろうを造れば入院を継続できます。造らないなら転院してもらいます」という選択を提示された場合、転院を選ぶのだろうか。転院先が自宅から1時間以上かかる、知らない町の病院だったとしても。

■手術をした父。知らなかった一面

 こうして父は胃ろうの手術を受け、入院を継続。ぼくは相変わらず母に付きっきりで、父の病院にはほとんど行けなかった。行かなかった。

 父がもう長くないと判明したことで、親戚も父の見舞いにやってきた。
「こうなっちゃうと、もうダメだな」

 父の弟にあたるおじさんたちは、比較的、冷静だった。父は84歳。おじさんもみな、人を見送る経験は積んでいる年齢だ。

 また、教師だった父のかつての教え子からも連絡があった。どこからか事情を聞きつけ、電話をくれたようだった。
「私は昔、先生にお世話になった者です。お見舞いに行って、ひと目、お会いしたいのですが」

 ありがたく感謝しながらも、こちらとしては正直に伝えたほうがいいだろうと、状況を説明する。
「今、見舞いに行っても、もう話もできませんし……」
 すると電話口の向こうから、その男性の嗚咽がもれてきて、涙声になっている。
「本当にお世話になったんです……。中学の修学旅行の時に、家が貧乏でお金が払えなくて……それを先生が払ってくれて……」

 聞いているこちらも、涙なしにはいられない。

 父は若い頃、かなりの熱血教師だったと、母からも聞いたことがある。こんなふうに何十年たっても心配して連絡をくれる教え子がいる。修学旅行のお金を代わりに出してくれたことを覚えていて、父のために涙してくれる。

 学校の先生というのは尊い仕事だなあと、我が身の仕事の軽さを思いつつ、おとうちゃんへの見方がまた少々変わった。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?