国産RPGの負の側面を煮詰めた『BLUE PROTOCOL』

今期最注目の国産RPG

バンダイナムコエンターテインメント(旧バンダイナムコゲームス)の子会社にあたるバンダイナムコスタジオが開発し、同じく子会社にあたるバンダイナムコオンラインによってサービス提供が開始された期待のオンラインRPG『BLUE PROTOCOL』ですが、開発に10年近い時間をかけたとされるわりには世紀の駄作であるとして局所的に話題となっているようです。

しかし、昔からゲーム業界をみてきた層にとっては、バンダイナムコという社名を聞いた時点で「ああ、そのラインね」となるような話とはいえたでしょうし、最初から期待はできなかったといえるでしょう。

むしろ事前にこれだけ盛り上がれたということのほうが驚きとすらいえるでしょう。

なんにせよ、いきなり『BLUE PROTOCOL』の話をしてもなんのこっちゃとなるのがオチでしょうから、前史としてのバンダイナムコの歴史について大雑把にまとめてみましょう。

業界のパイオニアから大企業へ

現在でこそキャラゲー専門企業という印象の強いバンダイナムコですが、実はバンダイとナムコは玩具業界とゲーム業界というそれぞれの分野において第一線を走っていた企業であり、真に先駆的な企業であるといえました。

バンダイに関しては、ブリキの玩具に象徴される旧態依然とした玩具業界に、70年代に入り系列会社であるポピーの超合金とともに『宇宙戦艦ヤマト』関連のディスプレイキットなどで殴り込みをかけ、ギミック重視で文字通り子供のおもちゃであった玩具を大人の鑑賞に堪えうるものに転換させたという点で革命を起こした企業であるといえましたし、ナムコに関しては『ギャラクシアン』を筆頭に『スペースインベーダー』亡き後のゲームセンターを先導し、80年代に任天堂が業界の覇者となる以前に一時代を築いた企業であるといえました。

しかし、両社とも任天堂が市場を制して以降はその傘下に入るようなかたちとなり、ナムコはnamcotブランドで往時ほどではないもののサードパーティーとして一定の地位を築くことになり、また同じくバンダイもファミコン向けのキャラゲーメーカーとして子供たちの間で認知されていくことになりました。

バンダイの作品は純粋に面白いものも多かったもののそれ以上にキャラゲーという印象が強く、失礼ながら作品として真面目に向き合うユーザーはそこまで多くはなかったと個人的には思っています。

ナムコはファミコン時代においては新興のエニックスの国民的RPG『ドラゴンクエスト』などの流行の陰に隠れるようなかたちとはなり、namcot時代は全盛期であるというよりは適応期であるといえたでしょう。

再びの全盛期は初代PlayStationの時代であり、この時期に『リッジレーサー』や『鉄拳』などでその技術力を遺憾なく発揮し、更には『ナムコミュージアム』といった後のレトロゲー流行の先駆けとなるような作品も発表していました。

しかし、PlayStation 2の時代になると他社の作品同様にマンネリやキャラゲーといった印象が強まり、その矢先にまさにキャラゲー専門であったバンダイとの合併が発表されたことから、現在にいたるまでの印象が確立されたものと思われますし、実際に社風としてもそのような実態があったものと思われます。

なぜそのようなことが断言できるのかというと、今回サービスの開始された『BLUE PROTOCOL』にうける印象が、当時のナムコのJRPGにうけた印象とまったく同じものであるように感じられたからです。

2000年代の時点で顕著であったJRPGの劣化

筆者がいの一番に思い出したのは、ニンテンドーDSで発売されたソフトである『テイルズ オブ ザ テンペスト』でした。

どういうことかというと、同作は当時テイルズのれっきとした新作でありながら総プレイ時間が10時間程度であるということで一部に話題となっており、今のようにネットに影響力がなかった時代なので目立った批判にはつながりませんでしたが、それでもゲーマーに対してシリーズの劣化と、ナムコという企業の開発力の低下を印象付けるにはじゅうぶんな作品といえたわけです。

もちろん携帯型ゲーム機の話なので、それにみあった完成度だといわれるのであればそのとおりなのかもしれませんが、それでも当時はテイルズの新作として一定の完成度が期待されていたわけであり、その期待を裏切る部分があったことは否定できないでしょう。

ちなみに、同作は2006年10月26日に発売されていますが、バンダイナムコゲームスが誕生したのも同年の3月31日のことであり、同作はバンダイナムコゲームス名義で発売された初期のタイトルということになります。

ある意味で同社の方向性を決定付ける・印象付ける作品だったといえるわけであり、それが事実上の手抜き(といっては怒られそうですが)であったということは、当然のことながら当時を知るユーザーの心には10年以上も悪い印象として残りつづけることにはなります。

そしてなによりバンダイナムコという社名であり、Z世代の若者にとっては聞き慣れた社名なのかもしれませんが、われわれの世代にはナムコ(もしくはnamcot)の印象が強すぎていまだに慣れないというのもあります。

そうしたこともあり、この10年以上筆者などはバンダイナムコの作品には一切関心を抱いていないわけであり、『BLUE PROTOCOL』という作品も批判的に取り上げられるようになってから知ったという次第です。

ある意味で共感できる時代錯誤の開発者

筆者は昨今のゲーム業界にまったく詳しくないので、実は知らなかったのですが、昨今の業界ではゲーム会社の人間がYouTubeやニコニコ動画といった動画配信サービスを利用してアップデートの内容紹介などをおこなうのが通例と化しているようであり、『BLUE PROTOCOL』もその例外ではなかったようです。

それが『ブルプロ通信』として不定期で放送されているようであり、正式サービス開始前の2020年の段階から今日にいたるまで合計十数回ほどおこなわれているようなのですが、開始当初は期待の国産タイトルということで比較的好印象をもたれていたものの、正式サービス開始の頃には罵詈雑言の嵐となっていたようであり、現在では開発陣の空気の読めなさを楽しむ通信との認識で一致しているようです。

批判の内容を要約すると、要するにオンラインゲームを遊んだことのないJRPG世代のおじさんがつくった古臭いオンラインゲームということであり、設計思想がオフラインゲーム(つまり2000年代にかけてのゲーム)のままだということが批判されているようです。

それにむりやりオンラインゲームの要素とソシャゲの要素をくっつけてひきのばしただけのゲームとのことであり、勘のいい人は最初の数時間で全体像を見切ってしまって脱落してしまうようなゲームとのことです。

しかし、筆者はそうした開発陣の古臭い思考回路というものがかならずしも嫌いではなく、この現代のデジタル社会に適応しきれないアナログな開発陣に対してある種親近感すら抱いてしまう部分があります。

なぜかというと、筆者自身も典型的な(おじさんではありませんが)JRPG世代の人間だからであり、いまだにオンラインゲームやソシャゲを一段低いものとしてみている部分が否定できないからであります。

たとえば筆者は子供の頃に『ドラゴンクエストVII』をプレイして総プレイ時間が100時間を超えたことに衝撃をうけた世代であり、実はいまだにその感覚というのが抜けきってはいないわけですが、オンラインゲームやソシャゲは毎日遊ぶものであることから、総プレイ時間は数千時間や数万時間におよぶのが普通であり、桁が違うわけであります。

おそらく『BLUE PROTOCOL』の開発陣はオンラインゲームやソシャゲをつくろうとおもって同作をてがけたのではなく、正真正銘の作品(昔ながらの意味での)をつくり、それにオンラインゲームやソシャゲのやりこみ要素やガシャをくっつけただけというのが実態なのではないかと思われます。

まさに根本的な設計思想が古いわけであり、それが同作が開発陣を一新しないかぎりどうにもならないと指摘されている理由なのではないかと思われます。

古い設計思想のままでは、小手先の調整(アップデート)しか加えることはできないだろう、ということです。

しかし、筆者のように総プレイ時間が10時間の同社の看板作品を知っている世代からすると、基本無料でこれだけ遊べて贅沢だとは思わんのか、という時代錯誤の(総スカンをくうような)発想が頭に浮かんでしまうのは事実であり、開発陣の本音が一部理解できてしまうのも事実ではあります。

なんせ当時は数千円出して買ったゲームを数日でクリアしてその日のうちに売却するような時代でしたからね。

今であれば『テイルズ オブ ザ テンペスト』も発売後に批判されて、謝罪のうえでの大型アップデートが入ることになったのでしょうが、当時はそういう時代ではありませんでしたから、一応は皆納得して10時間の体験に数千円を支払っていたわけです。

今となってはそれも信じられない話ですが。

そうした時代を知る人々によって同作は当初から期待されていたのかもしれませんが、それでも筆者の食指が動かなかったのは、『テイルズ オブ ザ テンペスト』の頃からのバンダイナムコゲームスには距離を置いていたからであり、やはりナムコといえば『リッジレーサー』という世代なわけです。

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