『可愛くてごめん』の歌詞が良すぎ
『可愛くてごめん』という曲がある。Tiktokで大バズリして、世の女子高生たちが踊ったりしていた曲。
初見のときは、ハニワの作曲力の高さに感心してたりしていたんだけども、1番やサビ前だけ聞いて特に興味を持ってなかった。可愛い曲だね、くらい。
が、この曲をフルで聞いて衝撃を受けた。2番の歌詞が良すぎる。この曲は単なるぶりっ子の可愛いアピールをする曲じゃない。自分の理想の生き方が歌われた曲だった。
といっても、女装男子として可愛くなりたいということではない。他者の目を気にせず、自分の「やりたいこと」を貫き通すその人生に憧れるのだ。
改めて歌詞を見てみると、冒頭からこの曲のメッセージ性は出ている。Tiktokとかのショート動画ではこの部分はカットされているのだが…
思っクソ喧嘩を売っている。非常にロックな歌いだしだ。可愛いイントロとのギャップがすごい。
そして、それは2番になると加速していく。
めっちゃくちゃカッコいい。周りの陰口なんかも関係ない。他者の評価や意見なんて求めず、自分のやりたいことにひたむきに向き合う。これを実現するのがどれだけ難しいか。
そして、そこまでの情熱を注ぎこんでいるものをなんと表現するのか。その回答がサビ前に来る。
そりゃそうだ。それだけ自分の人生をかけて行動していることが、「軽い」はずない。大なり小なり、何らかしらの趣味に熱中していた人は、この歌詞の気持ちになったことはあるのではないだろうか。
周りからはふざけた趣味に見えても、自分にとっては、とてつもなく「重い」。それこそ、辛いと感じる時すらあるくらいに。そうしたものを軽く扱われた時、この歌詞とPVの顔に(気持ちだけは)なったりする。
そしてCメロ。ここの歌詞はもう本当に最高だ。
どちゃくそにカッコいい。こんなの歌われたら惚れちゃいます。なぜなら、冒頭に述べた通り、こういう人生が自分の目標だからだ。
家族や社会、周りの意見に従って普通の人は生きていく。そうすればするほど、周りの評価も高くなるし、できることは増える。でも、彼ら(社会)は最後、自分自身に納得感や幸福感を与えてくれるかというと、そうではない。どれだけ社会的に恵まれた状況に置かれても、それをどう感じるかは、自分の心の持ちよう次第なのだ。
どんな状況になってでも、自分を肯定できるのは、自分しかいない。もちろん、法に触れるようなことはNGだが、それ以外だったら、自分が幸せだと思えばなんでもやるべきなのだ。しかし、自分のような小市民は、それだけの度胸がない。他人の目を中途半端に気にしてしまう。
だから、この曲のラスサビ前は、この歌詞で終わる。何なら、このセリフでこの曲は終わってもいいとすら終わっている。
まさに感情通りのことを歌詞に言い表されてしまった。Cメロ聞いて、「こんな人生羨ましい…憧れる…」と悔しがっているところに、この歌詞が飛び込んでくるのだ。
しかも、早見沙織の歌い方も天才的。本当に楽しそうに歌う。嫌味じゃなく、純粋に「こんなに楽しんでごめんね?」って感情が伝わる。
「人生楽しんでごめん」。そう他人に言い切れるだけの生活を送る。これは誰でもやろうと思えばできることだ。だって、「かわいい」と思うのも、「楽しい」と思うのも、自分自身なのだから。せめて自分くらいは人生をこうやって評価してあげるべきだ。
もちろん、そうなるように、「努力」は必要だ。サビでも「努力しちゃって」とは言っているしね。
人生を前向きに過ごす勇気をこの歌からもらいました。Honyworksの歌を聞いたのは久しぶりだけども、いい曲を作るなぁ。
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