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メイドの無限の可能性 マンガ『メイドスケーター』感想

マンガ、『メイドスケーター』を読んだ。タイトルのごとく、メイド×スケボーのマンガである。

なぜだが、街中を普通にロングスカートのメイドさんがスケボーで爆走していても、誰も違和感を感じない世界。そんな世界で、スケボーを楽しみながらメイドライフを送るメイドさんたちの物語。

ジャンルとしては日常モノ。元々、筆者のTwitter(X)で人気だったイラストをマンガ化したものらしい。


こういう、製作者の「好きなもの×好きなもの」の組み合わせの作品、自分は嫌いじゃない。読んでいて、スケボーへの愛が溢れんばかりに感じられる。スケボーショップに買いに行く話など、マニアックすぎて出てくる単語の半分も理解できなかった。

メイド愛も素晴らしい。2次元作品にありがちなミニスカメイドではなく、クラシックなロングスカートメイド。髪型なんかも奇抜なキャラはおらず、かなりリアルな設定に寄せている。スケボーをめっちゃするところは非現実的だけど。

フィクション作品って、こういうものでいいよな、とも思う。自分の好きなことを、多少違和感あってぶち込む。もちろん、それには説得力をもたせるための実力だったり、知識だったりと色々と必要になるのだが。


メイドの可能性

しかし、スケボーをするメイドさんたちを見ても、あまり違和感がないことに驚く。単純にそう感じさせない筆者の画力や構成というのもあるのだろうが、なんというか、「メイドの可能性」みたいなものを感じた。

「メイド」なんていうのは、オタク文化の極初期から存在している。それこそ、メイド喫茶はじめ、オタクといえばメイド、なんていうイメージの時代もあったくらい。


さすがにそこまでメイドという存在がオタクコンテンツの中で目立つことはなくなってきたが、相変わらず作品への登場率は非常に多い。

学園モノではだいたいはメイド喫茶をやる話が一度は描かれるし、作中コスチュームとして長寿作品だと一度は登場する。

サブキャラとしても、メイドキャラというのは存在感がある。一時期は、メイドキャラが登場しないラノベほうが珍しいくらいだった。しかも、だいたい人気キャラ。

『シャナ』から『リゼロ』まで
メイドの人気キャラは多い


人がここまでメイドに惹きつけられるのって、なぜなのだろうか。シンプルに見た目が可愛いとか、コスチュームアレンジの幅が広いとか、色々とあるだろうけども、一番は「自由さ」だと思う。

なんというか、メイドにはどんなキャラ付けをしても許される存在な気がする。
しっかりものからおてんば娘まで、日常モノからバトルまで、なにをやらせても、「そーいうメイドなんだな」で受け入れる文化が日本には定着している。

これが、本来の日本でいうところのメイド的存在、女中さんとかだと、こうはいかない。なんか「違うな…」感が出てしまう。


この違いって、メイドって「新しい」存在の象徴だったというのもあるだろう。

メイドというのは文明開化で明治から流入してきた存在。古来の日本の伝統ではなく、西洋の文化圏の存在。だからステレオタイプなイメージがない。そうした外来物に、いろいろな日本人のワガママをのせてカスタマイズしていくのは、日本人の十八番だ。

そうして、昨今のようなメイド像、というより、何でもメイドならOK、という文化ができあがったのではないのだろうか。


なんだか、マンガの感想というよりも、「日本のサブカル文化におけるメイドとは?」みたいな話になったが、とにかく、こうしたメイドの自由さというか、無限の可能性を感じさせてくれた作品であった。

巻数表示されていないので、マンガとしての作品はこれで完結なのだろうけども、作者にはこれからもロングスカートメイドを描き続けてほしい。
メイドは自由な存在だけども、ミニスカメイドは認めません、絶対に(矛盾)。


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