見出し画像

ダブルラリアットに合わせてチャーハンつくるよ!(動画の話)

note公式さんの『チャーハン大賞』の記事を読んで、はっとした。今こそまさに、大好きな"あの動画"のことを書くべき時なのではないか、と。

その動画がこれだ。

【巡音ルカ】ダブルラリアットに合わせてチャーハンつくるよ!【炒飯】http://www.nicovideo.jp/watch/sm6231060

ニコニコ動画のアカウントを持っていない方のために簡単に説明すると、チャーハン作るよ!』というAA(アスキーアート)の猫みたいなキャラクターが②チャーハンを作る物語を③ボーカロイド・巡音ルカの『ダブルラリアット』という楽曲に合わせて④紙芝居的に綴った動画である。

以下がその物語の内容だ。

猫みたいなキャラクター『チャーハン作るよ!』(以下、「猫」とする。)は、日々チャーハン作りに励んでいる。なかなか腕前が上達せず仲間に取り残されるも、諦めずに努力し、フライパンから飛び出したチャーハンをキャッチできる距離が少しずつ伸びていく。
都会に繰り出し、街角でストリートチャーハン作りをする猫。仲間たちは早々にチャーハンの道を諦め、就職していった。それでも猫は努力を続け、高層ビル街に小さな店を開き必死に宣伝するが、店には閑古鳥が鳴く。
しかし、骨付き肉を乗せた新メニューがヒットして店は一気に大繁盛。企業と提携してチャーハン製造機を開発し、店は大企業へと進化した。
自社の高層ビルから窓の外を眺める猫。これまでの人生を思い返し、本当にこれで良かったのかと自問する。ふと下を見ると、街角で必死にストリートチャーハン作りをする、かつての自分のような若者の姿があった。
猫は無我夢中でネクタイを外し、走り出した。ビルの階段を転げ落ち、飛び出した先には一つのフライパンが。猫はそのフライパンを手に取り、とびきり美味い一杯のチャーハンを作ったのだった。

書いててまた泣けてきた・・・。うっ、うっ

心がガサガサする時にいつもこの動画を見て泣いては、元気をもらっている。もう何度も見ているのに、どうして毎回感動して泣いてしまうのか。そういえば先日、今井雄紀さんの記事「一流編集者はなぜ麻薬犯罪ドラマの演出を『君たちはどう生きるか』に転用できるのか」を読んで感銘を受けたばかりなので、この感動を分析し、ひっくり返して「道具化」してみることにした。

【泣ける理由①】猫が逆境にめげずに頑張り続けるから。
 →【道具化】可愛らしい生き物が逆境に立ち向かう姿が、涙を誘う。

【泣ける理由②】自分が共感できる"人生の辛さ"が描かれているから。
 →【道具化】多様な辛さを盛り込めば、より多くの人が共感できる。

【泣ける理由③】音楽の曲調や歌詞に合わせて物語が展開されるから。
 →【道具化】物語と音楽のマッチングが、泣けるほどの感動を呼ぶ。

なんというか、「おっ」と思えるような新鮮な発見はない。それでも、改めて分析して言葉にしたことで、確かにこういう構造を取ることが感動に繋がるのだと再認識できた。
(それから、私は夫に関するエッセイ(漫画)をかくのだけれど、その記事に合わせて聴いてほしい楽曲の動画を貼ったり、漫画では容姿をデフォルメして描いたりしている。「夫が私にくれた感動を他の人にも伝えたい」という想いで何となく「こうした方がいいかな」と思ってやっていたことが、大好きな動画にも含まれていた要素だと分かって嬉しかった。さらに、もっと色んなパターンの私が経験した辛さと、そこから私を救い出してきた夫の柔軟な言動を表現したら、より多くの人に共感してもらえるかもしれないと思った。)

そして何より、この動画が"泣ける"だけでなく"元気をくれる"動画である最大の理由は、この動画の最後の画にある。猫が無我夢中で走って作った一杯のチャーハンの画だ。皿から溢れる山盛りのチャーハンは、何故だろう、本当に、本当に美味しそうなのだ。
そのチャーハンの画を見るたび私は、「それでいいんだ。」と思う。
失敗も成功もした猫だけれど、最後に立ち返るのは「最高に美味い一杯のチャーハンを作りたい。」という夢であり、もっと言えば「チャーハンが好きだ。」という純粋な気持ちなのだ。そのことに、私はいつも安心してしまうのだ。「自分の気持ちを大切にして、自分なりに頑張ればいいんだ。」と。

走り回って行き先を見失って、疲れてしまった時。
いつもお世話になっております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?