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その名はカフカ V

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長編小説『その名はカフカ』収納箱その⑤です。その④はこちら→https://note.com/dinor1980/m/m3bce3df2f830
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十一月に 1

 今年の秋はいつにも増して順調に冷え込んできたな、と思いながらヴォイチェフ・スラーンスキーは工房の小さな窓から細かな雪が舞うのを眺めていた。まだ積もるほどの寒さではなく、雪は地に落ちると同時に姿を消した。  十五年前のビロード革命直後にやっと独立して開いた中古ピアノの修理販売店は平屋建てで、建物の前半分が数台のグランドピアノが置いてある接客用の展示室、後ろ半分が展示室と同じくらいの広さの修理工房という造りになっている。四十代も後半にして一人で新たな事業を始める、という事実に躊

十一月に 2

十一月に 1  いつになく図書館が混んでいるのは急激に外が寒くなったせいだろう、と憂鬱な思いを抱きながら、カテジナは肩が触れ合いそうなほど近くに座っている隣の席の少女を見やった。今カテジナが座っている簡素な造りのテーブルは四人掛けだが幅が狭く、通常なら知らない人間とは同席したくないくらいの大きさだ。カテジナが通う高校のすぐ側にあるこの市立図書館は、図書館としてはとても小さい。カテジナはプラハ市内に点在している市立図書館の中では旧市街広場の近くの中央図書館が一番好きだったが、

十一月に 3

十一月に 2  夜どんなに遅く寝床に入っても翌朝五時にすっきり目が覚めるようになったのは、二十年前にかつて夫であった男と別居を始めた頃だったかもしれない。もう正確には思い出せないが、イレナはこの日の朝も五時ちょうどに目覚めると、瞬時に起き上がって、座ったまま大きく伸びをした。  窓の外はまだ真っ暗で、カーテンを開けて確かめてみることはできないが、今日も寒いのだろう、雪が少しばかり積もっているかもしれない。そんなことを思いながら掛け布団をはねのけると、ベッドの側に揃えてあった

十一月に 4

十一月に 3 「私服の警察の人なんて、本当にいるんですねえ。私、ドラマの作り話だと思ってたんですよお、そうやって私服の刑事さんが『警察の者だが』って言ってバッジ見せるの」  興奮気味にまくしたてる若い女に内心うんざりしながらも、シモン・ストラカは無表情のまま、女が話し終わるのを待った。女は肩まで伸ばした赤い髪を揺らしながら、更に 「でも、お一人なんですね。ほら、ドラマとか映画とかって、よくペア組んでるじゃないですか、刑事さんって」 と続けた。  昨日の午前中に届け出があった

十一月に 5

十一月に 4  展示室の中で鳴り響く玄関先のベルの音は、工房まで聞こえる。わざとそれくらい大きな音にしているのだが、この日来客の予定がないヴォイチェフはベルの音を聞いても、片眉を上げて横目で壁の柱時計を確かめただけで、作業する手は休めなかった。もう一度、ベルが鳴った。しかしヴォイチェフは仕事を続けた。時間は午後四時を回ったところで、普段からこの時間帯は一番仕事に集中できることもあり、接客の予定は入れないようにしている。予期せぬ訪問など、相手にする理由はない。しかし一分ほどの

十一月に 6

十一月に 5  十一月も終わりに近づき、朝の冷え込みが更に厳しくなった。この冬は暖冬になると何度か耳にしたが、店の前の車道に陽だまりができるようになる九時くらいまでは正直あまり外には出たくないな、と思いながらヴィート・スラーンスキーはピアノ展示室のデスクから車道に面した大きなガラス窓を通して外を眺めた。展示室には季節に関係なく一年を通して直射日光が入らないよう考えて建物自体が造られている。  父のヴォイチェフが病に倒れた五年前からヴィートは一人でこの中古ピアノの修理販売店を

中編『十一月に』追記~鴉はやはり沼であった

蓋を開ければ「カフカの番外編」であった中編小説『十一月に』。 全六話で隔日で投稿しましたので、何だかあっという間の連載でしたが、正直、楽しんでいただけた方がいらっしゃったのか、自分では全然判断がつきません。 執筆を開始したのは『その名はカフカ』第四部Modulaceを終了した直後4月25日で、5月6日に最後まで完成させてから投稿し始めました。 もともと「カフカの連載を終えてしまった寂しさを紛らわすため」に書き始めたのですが、前々から書きたいと思っていた部分を扱ったこともあ