Notes of a Dirty Old Man in Philippines

あの頃は、三年程前のことになって仕舞ったけれど、
カルボンの入りっ口、BDO銀行の庇を借りてのサリサリの商売。
朝ベーカリーに食べ物を買いに行く道すがら。
気になる人で私の何を気に入ってくれたのかは知りませんが、
気が付けば話すようになってた。

座らせて貰って買ったものを食べてたし、クッキンもしてたから、
買って食べた。
お客さんが多くて友達に成ったし、中でもシティーホールに勤めてる彼は、
カーラかゲイだって教えて貰ってたけれどfacebookで友達に成ってる。

何年かの後シティーホールの加減で、
入りっ口のお店は撤去されて仕舞って、逢えないと思ってたけれど、
今回彼女が仕事を休んで、夕方から近くの独立公園でしょうか、
カップルがいっぱいのデートスポット。

二人で散歩をしてたら、Facebookで様子は知ってたけれど、
六時頃かな仕事終わりでしょうか、偶然にも逢えた。
シティーホールから移って公園の中の建物に事務所が移ったって。
トランスファーがまだ耳に残ってる。

彼は女性と二人ずれでグータッチなんかしてても大丈夫何て気になった。
彼も気もそぞろなんて感じだし、宗旨替えかも。
逢えて嬉しかったけど、勘違いされないか少し心配になったっけ。

まっ、それは良いとして、たまにルイムの部屋に遊びに来だした。
どちらにしても三年以上も前のこと細かいことは忘れたけれど、
何年振りか十何年振りかは分からないけれど、
気を許せるガールフレンドが出来ました。それも相手がフィリピーナ。

後の三年間、メッセンジャーで繋がってたつもりで居たけれど、
嘘をつかない彼女の真実、この三ヶ月が宝物になった。

セブでの三ヶ月が過ぎればマクタンに帰る私。
20年、翌七月七日にはパンデミックの中、何とか飛行機に乗れた。
マクタンのアシスタントの彼女F のお陰だった。何とかペーパーをゲット。

彼女は38 歳、孫みたいな年齢。
彼女は気にくわないだろうけれど、もちろんただの友達のまま。
でも親密な、は付くでしょう。罪な男なんて自惚れる。
いろんな方に助けられてフィリピンでの生活が成り立つ。

そう彼女の400 ペソの話しだ。
YouTubeでフィリピーナに騙されたとか、有り金を無くしたとか、
見聞きするのだけれど、
もちろん私もいくばくかの金を送り困ったときに助けたりしてたけれど、
まっ、常識的な金額だったし、丁度給付金を数回貰った時に重なる。

私は男で幾らいくらとか何時なんて忘れて仕舞ってるけれど、
彼女曰く、知り合った頃は友達のとこに泊まったりしてて、
IDは持って無かったよう。住所のね。

それがシティーホールの都合でお店の場所を代えられ、
時間も六時六時になり、売り物もベジタブル、フルーツのみになり、
IDが無いと権利を得られないとのことで、
彼女が泣きついた時のことを憶えてて、あの時のことは感謝をしてるって、
お互いの拙い英語で分かったこと。

今もメガ・ワイド、彼女が言ってるとこで仕事が出来てるって。
私も何回となく行ってお店の周りの雰囲気は知っているんだけれど、
どちらにしても六時六時の仕事、しんどいだろう。
ファーマーがいてデリバリーして貰って、店に拡げて何ぼの仕事、
生ものだし。
~~続く


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