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なぜ、航空業界は奇跡的に安全なのか?事故率を激減させた、「航空業界独自の組織文化」とは。

※このnoteは『失敗の科学』(マシュー・サイド著,2016)を一部抜粋し、再編集したものです。

サッカーの試合に負けたり、仕事の面接に落ちたり、試験に落第したり、「失敗」は誰もが経験することだ。
しかし、人は誰でも、自分の失敗を認めるのは難しい。ほんの些細な失敗でさえそうだ。
何かミスを犯して自尊心が脅かされると、我々はつい頑なになる。
特に、仕事や親の役割など、自分の人生にとって重要なことで失敗を認めるのは、もう別次元の難しさになる。

だが、人間は失敗から学んで進化を遂げる。
ビジネスや政治の世界でも、日常生活でも、基本的な仕組みは同じだ。
我々が進化を遂げて成功するカギは、「失敗とどう向き合うか」にある。

そして、失敗と成功の切っても切れない関係を知るには、航空業界の文化が非常に参考になる。

航空業界はいまや、圧倒的な安全記録を達成している。しかし、1912年当時には、米陸軍パイロットの2人に1人以上が事故で命を落としていた。
当時は、これが特別な状態ではなかったようだ。航空産業の黎明期には、巨大な鉄の塊が高速で空を飛ぶということ自体、本質的に危険なことだった。
そんな航空業界が、いまや圧倒的な安全記録を達成しているのは、失敗へのアプローチが傑出しているからだ。

ここで、航空業界にとって一つの大きなターニングポイントとなった、1978年に起きた173便の大事故の実例から、彼らがどのように失敗と向き合ってきたのかを見てみよう。

ベテランパイロットの「完璧な集中」がもたらした悲劇

1978年12月28日の午後、ユナイテッド航空173便は、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港からオレゴン州のポートランド空港に向けて飛び立った。
天気は快晴。飛行条件はほぼ完璧だった。

機長はマルバーン・マクブルーム。ロマンスグレーの52歳だ。第二次大戦で兵役を務め、飛行経験は25年以上。
副操縦士と航空機関士もまさにベテラン揃いで、乗客は何の心配も必要ないはずだった。

最終目的地のポートランドに発ったのは14時47分。この日はクリスマスの3日後で、181人の乗客の大半は、休暇を終えて家に帰る途中だった。コックピットでは、クルーたちがなごやかに世間話をしていた。

17時10分頃、ポートランドの管制から空港への進入許可が出たため、マクブルーム機長はギアのレバーを下げた。通常はこれでスムーズに車輪が下りて定位置にロックされる。
しかしこのときは、「ドン!」という大きな音とともに機体がガタガタと揺れた
キャビンの乗客たちは驚いて周りを見回し、何が起こったのかと口々に話し始めた。コックピットのクルーも不安を隠せない。

あの大きな音はなんだったんだ?
ギアはきちんと定位置にロックされたのか?
ギアがロックされると点灯するはずのランプがひとつだけ点いていないのはどういうことだ?

機長に選択の余地はなかった。彼は管制に無線連絡して、「問題を確認するまで飛行時間を延長したい」と要請した。管制はすぐさま指示を出し、173便はその通りポートランド郊外上空で旋回飛行に入った。

クルーは確認作業を始めた。機体下の車輪がロックされているかどうかは目視できないため、かわりのチェックをいくつか行った。
航空機関士は客室に向かい、窓越しに、主翼上面にボルトのような突起が出ているかどうかを確認した(車輪がロックされると出る仕組みになっている)。突起は間違いなく出ている。
彼らは運航整備管理センターに連絡をとるなど、さまざまな手を尽くした。そしてすべての状況から考えて、車輪は正しくロックされていると思われた。

しかし機長はまだ心配だった。確信が持てなかったからだ。
車輪なしでの着陸は大きなリスクを伴う。胴体着陸で死者が出る大惨事になる確率は極めて低いが、危険なことには違いない。マクブルームは責任ある機長として、確証がほしかった。
ポートランド上空を旋回しながら、機長は答えを探した。

しかしその間に、新たな問題が現れつつあった。173便には、デンバーを発った時点で約1万6500リットルの燃料が積まれていた。目的地に着陸するには十分な量と言える。しかしこの機種は毎分70リットル強の燃料を消費する。旋回飛行ができる時間は限られていた。

タイムリミットが迫る中で、そのうち残燃料が少ないことを示す警告灯が点滅しはじめ、航空機関士は落ち着かない様子で機長にそれを知らせた。ブラックボックスに残っていた航空機関士の音声には、はっきりと動揺が表れている。

ところが機長はそれに対して何の反応もせず、車輪の問題にこだわった
このフライトの責任者は機長だ。彼には189人の乗客とクルーを守る責任がある。胴体着陸を敢行して乗客を危険に晒すわけにはいかない。どうしても、車輪が出ていることの確証がほしかった。
機長は考え続けた。
車輪は本当に下りているのか?
まだ自分たちが気づいていない確認方法があるのではないか?
ほかにできることはもうないのか?

17時50分、航空機関士は再度、燃料不足が進んでいると機長に忠告した。
すると機長はタンクにまだ「15分」分の燃料が残っているはずだと主張した。「15分!?」航空機関士は驚いて聞き返した。「そんなに持ちません……15分も猶予はありません」
機長は残りの燃料を誤認していた。時間の感覚を失っていたのだ。

燃料は刻々と減り続けている。このまま旋回飛行を続ければ90トンのジャンボジェット機が上空から突っ込み、乗客のみならず南ポートランドの住人まで事故に巻き込むことになるだろう。
副操縦士と航空機関士は、なぜ機長が着陸しようとしないのか理解できなかった。今は燃料不足が一番の脅威のはずだ。車輪はもはや問題ではない。しかし権限を持っているのは機長だ。彼は上司であり、最も経験を積んでいる。副操縦士も航空機関士も、彼を「サー(Sir)」と呼んでいた。

18時06分、燃料不足により第4エンジンが停止した。副操縦士は言った。「第4エンジンを失ったようです」。しかし機長はこれに気づかない。副操縦士は30秒後にもう一度繰り返した。「第4エンジンが止まりました」
「……なぜだ?」機長はエンジンが停止したことに驚いているようだった。時間の感覚が完全に麻痺していたのだ。
「燃料不足です!」強い口調で返事があった。

実はこのとき、173便は安全に着陸できる状態だった。のちの調査で、車輪は正しく下りてロックされていたことが判明している。
もしそうでなかったとしても、ベテランのパイロットなら1人の死者も出さずに胴体着陸できたはずだった。その夜は雲一つなく、滑走路も明確に目視できる状態だった。
しかしいまや173便は、燃料切れ寸前の状態で大都市の上空を旋回している。滑走路までの距離は約12キロメートルだった。だがもう遅すぎた。やがて残りの3つのエンジンもフレームアウトし、すべての希望が途絶えた。
機体は1分間に約900メートル以上の降下を始め、もはや墜落を防ぐ術はなかった。

マクブルーム機長は地平線に目を凝らし、家やアパートが建ち並ぶ町の中に着陸できる空き地を必死で探した。しかし、彼はまだ何が起こったのかわかっていなかった。燃料はいったいどこへ消えてしまったのか?
いつの間にそんな時間が経ったのか?

事故の原因と、航空業界の対応

事故のあと数分以内に、米国家運輸安全委員会によって調査チームが任命され、翌朝には事故現場で徹底的な調査が行われた。チームメンバーには、調査経験豊富な心理学者のアラン・ディールも含まれていた。
 
事故現場を見てみると、マクブルーム機長が並外れた操縦技術で機体をコントロールしていたことがわかった。墜落の真っ只中、彼は家やアパートが建ち並ぶ区画の間に野原と思わしき空き地を見つけ、操縦桿を合わせた。機体が地上に近づくにつれ、空き地は郊外の森だとわかった。機長はできる限り木々の間を抜けるようにして進んだが、最終的に1本の木に激突し、1軒の民家をなぎ倒し、道を挟んだもう1軒の民家に乗り上げて止まった。
 
地上の住人には奇跡的に死者は出ず、乗客8名と乗員2名が亡くなった。乗員の1人は、機長に燃料切れの危険を知らせようとした航空機関士。マクブルーム機長は肩・肋骨・脚を骨折したが、なんとか生き延びた。
 
事故の数日後、調査員のディールがオレゴン州の病院に入院中の機長に面会し、聞き取りを行ったところ、機長は燃料切れが「信じられないほど急に」起こったと答えた。迫り来る危機の中、時間の感覚が麻痺していた彼の視点では、それが合理的な結論だった。
しかし、ディールを含めた調査チームがブラックボックスのデータをチェックしたところ、燃料切れは予想以上に早かったわけではなく、起こるべきタイミングで起こっていたとわかった。
 
燃料切れのタイムリミットが近づいているにもかかわらず、車輪の問題にこだわり続けたマクブルーム機長は、認識力が激しく低下していた。迫り来る惨事はまったく無視され、航空機関士は機長に残燃料を知らせたが何の反応も得られなかった。
集中力は、ある意味恐ろしい能力だ。ひとつのことに集中すると、ほかのことには一切気づけなくなる。
 
さらに、調査員のディールはもうひとつの根本的な問題に気づいた。クルー間のコミュニケーションだ。
事故当時、航空機関士は燃料不足の危険を察知して、何度も機長に問題を示唆し、状況が悪化するにつれて、燃料が切れ始めていることを直接的に言及している。ボイスレコーダーの記録を聞いてみると、航空機関士の声のトーンが次第に緊張感を帯びていくのがわかった。状況が逼迫する中、機長に危険を気づかせようと切羽詰まっていく様が伝わってくる。
しかし航空機関士は結局、上司である機長に対して強く出ることはできなかった。
 
つまり、社会的圧力、有無を言わせぬ上下関係が、チームワークを崩壊させたと言える。
社会的な上下関係は、部下の主張を妨げる。権威ある者に対して、我々は「控えめな表現」を使うことが多い。それは普段のコミュニケーションを円滑にするかもしれないが、ジャンボジェット機が燃料切れ寸前で大都市上空を旋回しているときには、大惨事を招きかねない。
問題は当事者の熱意やモチベーションにはない。改善すべきは、人間の心理を考慮しないシステムの方なのだ。
 
そして、こうした事実は、独立した機関による調査で初めて明らかになる
当事者の視点でしかものを見ていないと、潜在的な問題に誰も気づかない。
 
航空事故が起こると、航空会社とは独立した調査機関、パイロット組合、さらに監督行政機関が、事故機の残骸やその他さまざまな証拠をくまなく調査する。事故の調査結果を民事訴訟で証拠として採用することは法的に禁じられているため、当事者としてもありのままを語りやすい。こうした背景も、情報開示性を高めている一因だ。
そして調査終了後、報告書は一般公開される。報告書には勧告が記載され、航空会社にはそれを履行する責任が発生する。事故は、決して当事者のクルーや航空会社、もしくはその国だけの問題として受け止められるのではない。その証拠に、世界中のパイロットは自由に報告書にアクセスし失敗から学ぶことを許されている。
 
すなわち航空業界は、失敗を「データの山」ととらえている
失敗と誠実に向き合い、そこから学ぶことこそが業界の文化なのだ
 
かつて米第32代大統領夫人、エレノア・ルーズベルトはこう言った。
「人の失敗から学びましょう。自分で全部経験するには、人生は短すぎます」

実際、1979年6月に調査員が公開した173便の事故報告書は、航空業界に大きな転機をもたらした。報告書には、次のように書かれている。

「全運航審査官に告知を発行し、各担当航空会社に対して以下を命じるよう勧告する。
乗務員が、チームワークを重視したリスク管理訓練の原則に習熟するよう処置を講ずること。ことに機長は参加型管理の技術、その他のコックピットクルーは主張の技術を習得することが望まれる。」

数週間のうちに、NASAも専門家を招集し、この新たな訓練法を正式に検討し始めた。訓練の焦点は、クルー間の効果的なコミュニケーションだ。副操縦士など、機長の補佐的立場にあるクルーは、上司に自分の意見を主張するための手順を学ぶ。

一方、権威的立場にある機長は、部下の主張に耳を傾けることを学び、明確な指示を出す技術も磨く。時間の感覚が失われる問題については、責任の分担をシステムに組み込んで対処する。
また、「チェックリスト」は、当時すでに導入されていたが、さらに強化・改善された。このチェックリストは、上下関係を比較的フラットにする役割も果たす。機長と副操縦士が協力し合いながらチェックリストの項目を点検する作業は、コミュニケーションを活性化し、チームワークを生む。チームワークが機能すれば、緊急事態においても部下は意見を言いやすい。

こうした新たな訓練方法には、さまざまなアイデアが加えられ、即座にフライトシミュレーターなどを使って模擬実験された。厳しい条件下で慎重に検証され最も効果を上げたアイデアは、さっそく世界中の航空機に導入された。こうした改革により、173便の事故をはじめとする1970年代の一連の惨事のあと、航空事故率は下がり始めた

航空安全専門家のショーン・プルチニッキは言う。
「今でもユナイテッド航空173便の事故は航空業界の分岐点だと言われています。『ヒューマンエラー(人的ミス)』の多くは設計が不十分なシステムによって引き起こされるという事実を理解した瞬間から、業界の考え方が変わったんです。」

173便の事故では10名が亡くなったが、その結果得た学習機会によって、より多くの人々の命が救われたのだ。


人は失敗を隠す。
他人から自分を守るばかりでなく、自分自身からも守るために。
実際我々には、ちょうど映画のシーンを編集でカットするように、失敗を記憶から消し去る能力があるという実験結果も存在する。我々はみな、失敗から学ぶどころか、頭の中の「履歴書」からきれいに削除してしまっているのだ。

本書の目的は、こうした失敗のとらえ方を根本から覆し、仕事や日常生活で「究極のパフォーマンス」を引き出すことにある。我々は今、個人として、組織として、社会として、失敗との付き合い方を見直さなければならないのだ。

書籍情報

オックスフォード大を首席で卒業した異才のジャーナリストが、
医療業界、航空業界、グローバル企業、プロスポーツチーム…
あらゆる業界を横断し、失敗の構造を解き明かす。

<目次>
第1章 失敗のマネジメント
「ありえない」失敗が起きたとき、人はどう反応するか
「完璧な集中」こそが事故を招く
すべては「仮説」にすぎない
第2章 人はウソを隠すのではなく信じ込む
その「努力」が判断を鈍らせる
過去は「事後的」に編集される
第3章「単純化の罠」から脱出せよ
考えるな、間違えろ
「物語」が人を欺く
第4章 難問はまず切り刻め
「一発逆転」より「百発逆転」
第5章「犯人探し」バイアス
脳に組み込まれた「非難」のプログラム
「魔女狩り」症候群 そして、誰もいなくなった
第6章 究極の成果をもたらす マインドセット
誰でも、いつからでも能力は伸ばすことができる
終章 失敗と人類の進化
失敗は「厄災」ではない

<著者情報>
マシュー・サイド
1970年生まれ。英『タイムズ』紙の第一級コラムニスト、ライター。オックスフォード大学哲学政治経済学部(PPE)を首席で卒業後、卓球選手として活躍し10年近くイングランド1位の座を守った。英国放送協会(BBC)『ニュースナイト』のほか、CNNインターナショナルやBBCワールドサービスでリポーターやコメンテーターなども務める。

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