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老化は気になるけど、アラフィフの私が思う忘れてはいけないこと

身体のあちこちが老化していくのを感じるアラフィフのわたしは、それなりの努力をしている。

といっても、筋肉の衰えが気になるので、筋トレ。

脳の衰えが気になるので、脳トレ。

どちらも、毎日わずかな量なので、どれくらい効果があるのか分からない。


だけども、実は、それ以上に衰えが気になることがある。
「手立て」が思いつかない、「歯」と「眼」。

「手立て」が思いつかないだけに、目に見えない恐怖をかんじる。


「歯」に関しては、歯医者には、数年に一回行くくらいで、特に「何が」というわけではないが、丁寧に歯を磨き、歯ぐきの衰えが気になるので、歯磨きの後には、液体歯磨きで仕上げをするようになって長い。

歯磨き粉や、歯ブラシは、ワンランクアップのものを使うようになった。


90をまわった今でも、全部自分の歯で食事をする義父と、一部の歯が入れ歯の義母のちがいはどこにあるのだろう。

きっとそんなに丁寧に歯磨きをするわけでもないのに、いまだに全く虫歯がなく、歯の矯正以外は、歯医者に通ったことがない二人の子供たちは、やはり幼い頃の手のかけ方が良かったからなのだろうか。


分からないけど、「歯」に関しては、思いつくことをするまでだ。


「歯」以上に、やっかいで心配を取り巻くわりには、努力の仕様がないのが「眼」。


「歯」以上に、やっかいで心配を取り巻く状況にあるのは、理由がある。


もともと「遺伝」もあって、私の「眼」は相当悪い。

視力は、裸眼だと視力検査のいちばん上の、おっきなワッカのどこが開いているか分からない。
おまけに、キツイ度数の乱視もプラスされて、ぼやけ具合も相当なものだ。

日常生活は、眼鏡が必須。


何年か前から、老眼がはいったり、太陽の光が異様に眩しくかんじたりする。


強度の近視や乱視があると、何かしら目の疾病にかかるのではないかと、内心穏やかではない。

眼科で年に一回でも検査をしてもらうのがいいのだろうけど、時間がなかったり、私が自分で車を運転できないため、どうしても足が遠のく。

日常生活に支障をきたすようなことがあれば行くことになるのだろうけど、今のところ、予定はない。


といえども、裸眼でみえる世界のぼやけ具合が、年を取るとともに、きつくなっているところからすると、近視も乱視も度数が進んできているのだろう。


ここ数年のあいだをとっても、「note」に「眼」の老化を裏付ける記事を載せている。

一年の農作業を通して、目を酷使する作業がいくつかあって、目の疲れ度合いが半端なく、疲労困憊の心中を吐露させて頂いた。

ひとつは、山椒の荷づくりの過程で、手作業で枝を摘み取る作業。


扇風機で葉をとばした山椒の実を、種振るい機にかけると、種がふるい落とされると同時に、重さの軽い枝が浮き上がってくるのを、目視で確認し摘み取る作業だ。


枝を摘み取ることで、山椒の純度は高くなり、良い商品ができあがる。


枝を摘み取るための「目視」が年々きつく、目を凝らして見ないと、同系色の枝を見つけることは困難で、的確に摘み取ることができない。

あと、秋の柿の選果の作業もそう。

柿についた傷や、害虫によって果汁を吸われたあとや、日焼けなどで変色した度合いによって、各規格に篩い分ける作業も、目を凝らして良く見ないと、選果の精度がおちる。


一日の大半を目を酷使する作業が、1カ月から数か月続く。

瞬時の判断力と、目視力が必要なため、数時間たつ頃には目はショボショボで、一日を終えると疲弊状態だ。


毎年、この作業をあと何年出来るのだろうと困惑しながらも、いまはこの作業をできるのは「私」しかないと、魂を奮い立たせ、作業にとりかかるが、作業のリズムに乗るのに、精いっぱいというところだ。


そんなこんなで、ここ数年は、この作業に関して、「note」で記事にするにも、呟くように愚痴しかでてこなかった。

「眼の老化がキツイ」


だけども、昨年終わりに、山椒の枝摘み作業をしているときに気付いた。

相も変わらず、山椒の実を凝視し、枝を探しながら、素早く枝を摘み取る作業を繰り返すわたし。


枝を摘み取りながら、湧き出る思いはいつも、「良い商品づくりを目指そう」「取引先のために」。

そして、お会いしたこともない、お客様の喜んでくださる顔が浮かぶ。


そっか・・・

わたし「見ること」ができるから、思いを馳せることができるんだ。


見る力は衰えているのかもしれないけど、見える限りは、そうやって思いを馳せながら、作業ができる。

だったら、取引先から、苦情の申し入れがない限り、やり続けよう。


見えることに感謝して。


柿の選果にしろ、山椒の実の仕上げ作業にしろ、取引先の対応や言葉から、いつも信頼を寄せてくださっていることは伝わってくる。

もし作業に偏りができて、作業の精度が落ちることがあれば、そのときは指摘を頂くだろうし、私の引き時となるだろう。


そう考えると、本当に見えることが有難く感じられ、感謝の気持ちを忘れてはいけないと思った。


そう、目に限らず、老化は見られるけど、健康でいられることに感謝しないと・・・と。

昨年、一昨年、ここ数年、目の老化が著しく、愚痴しかでなかった私が、また一歩気付くことができたことが嬉しい。

眼の老化が進んでいるからこそ、思いは強くなり、気付けたのかもしれない。


ちなみに、年相応に白髪も見られるけど、そこは髪の毛によいとされる、タンパク質で内面から補充。
よく見ると、全体的に白髪交じりのグレイヘアと黒髪が入り混じった、中途半端な状態。
べつに、生活に支障をきたすわけでも何でもないし、他は何の手立てもしていない。

肌に関しては、最低限の手入れだけ。
大きなシミができたときには、少しショックだったけど、まあ、それも仕方がない。
だけども、おまじない程度に、お休み前に顔パックの習慣だけは続けてる。
あと、日焼け止めクリームも塗るようになって長い。

あと、更年期だからか、時々眠りが浅かったりだとか、肩こりがひどくて辛かったりだとか、細かなことをいえば、あるにはあるのかもしれない。


だけど、全部ひっくるめると、心身の状態は至って健康。

なんと有難い事か。

やはり、そこに感謝しないと。


あと、今朝見つけたネットで取り上げられていたトピックが、この記事の内容とシンクロしているのかもしれない。


脳の衰えより、筋肉の衰えよりも、(年齢的に)早くやってくる衰えは、意欲らしい。

意欲の低下がまず、やってくるらしい。

「何をやるにも、面倒くさい」「何もやらなくて、楽チン楽チン」というのが、危険信号らしい。


このまま、心身の健康を保つには、このまま、あえて面倒なことでも、まず動いてみる。

その意欲を保つには、体力が必要だから、やはり根底には筋トレが効果的なのかも。


私の場合、意欲が低下するのも、筋力が低下するのも、「鶏が先か卵が先か」というくらい、ほぼ同時に来た。

ちょうど、畑を歩こうにも筋力がついていかないのか、よくこけることがあったり、ものぐさな私が、更にものぐさになろうとしていた40代の頃だった。

更年期が関係しているのかなと思いながら、仕事をすることもそうだし、意欲を保つには体力が必要だと思って、筋トレをはじめた。

面倒なことも動こうと思えば、動けるから。

ものぐさな私には、必要だった。


結果、今のところは正解かな。

筋肉がある程度保たれているから、それなりに動けている。

面倒なことがあっても「まず動こう」と。


十年後、二十年後は分からないけど、とりあえず「今」を生きることが大事。

だから、健康でいられることに感謝して、今の生活を続けよう。

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