見出し画像

生真面目な私が働かずに生きていくことに、ちょっと共感した話し

今どき、働かずに生きていく選択肢があるという。

テレビの特集でやっていた「投資と倹約だけで生きる方法」。

会社に縛られるのがいやで、好きなことをして生きていきたいがために、その道を選ぶ人が大半だという。

たしかに、会社に勤めるとなると、イヤな上司がいたり、仕事の内容が自分に見合わなかったり、給料が見合わなかったり、時間に縛られたり、理由は様々だろうけど、不満があるだろう。

だけど、生きている限り、自分は地道にコツコツ働くべき!というのが、およその私の見解だ。

楽してお金を儲けて、生きていこうなんて言語道断だ!とまで言わないけど、極端にいうと私の考えはそこにある。


だけども、ある人が、そういった生き方に切り替えた理由を聞いて、すこし共感した。


サラリーマンで稼ぐお金よりも、そういった生き方で稼ぐ方が、稼ぎがよい。
子供を大学にやるとなると、お金が足りない。


今更ながらそういった理由を聞くと、「なるほど!」と、共感の方へ少し傾く。

自分自身は、子供二人を既に大学へやった身だ。

今の時代、サラリーマンの平均年収からすると、子供を大学へやるのは大変だ。

自分が親の立場になると、子供3人を大学にやるのはさぞかし大変だっただろうと更に感じるようになった。

それでも、自分の子どもがいざ大学に行くとなると、そんなに切羽詰まることもなく、どうにかなると思えたのは、私が実際に家計を握っていなかったからだろうか。
それとも、両親がそんなにも「大変なのよ」というフリを見せなかったからだろうか。

もちろん貯金も全然ないし、そんなに恵まれた環境でもない。

実際は大変なのに、そこまで切羽詰まらなかったのは、私がアホだったのか・・・。


私自身が、ものすごく恵まれた環境に居るからかもしれないが、いつでもお金に困った記憶がない。

いや、実際は結婚してからも、家計は火の車状態の時期もあったにはあったし、義実家の事情に巻き込まれて大変な思いもした。


それでも、寝床があって、最低限の生活ができていたから、実感がなかった。
生まれ育った環境も、似たようなものだったし。


お願い!どうにかこうにか、娘を行きたい大学へ行かせてあげて。
奨学金を借りてでもいいやん。


夫は、正直に「お金がないからアカン」と言えばいいのに、渋々でも承諾してくれた。

夫は夫で、それまでの人生、お金がなくても、いろんな手をつかって、自分たちを進学させたり、結婚させて自立させてきた親の姿を見てきて、なんとかなると思ったのかもしれない。

結婚前の義実家の状態も、実に大変な状況だったと聞くが、それを何とかくぐり抜けてきた経験が心強くさせたのかもしれない。


だいたいの収入も分かっていたし、厳しいのも知っていてはいたが、色々考えすぎると何もできないと思って、何も考えないようにしていた。

過去に、もう絶対ここから進めないという状況から這い出してきた経験が、そうさせたのかもしれない。

あの時以上の、最悪なことは起きないと変な自信がある。

100%収入が義父に渡る山椒の世話を私たちがしようと言ったときも、何も考えないようにしていた。
考えすぎると、出来ないと思った。

家の状態や、仕事の進み方を見て、私たちがするほうが、よいと思った直感。

お金が入る明確な目途もないのに、それだけで動いた。


何もかもなんとかなる・・・!


そう思って、あの時以来、歩いてきた気がする。

そこで、夫が「アカン」って言ってくれたら、それはそれで諦めもついたのかもしれない。

一時は奨学金を借るべき手続きをして、審査も通ったのに・・・。
手続きを娘と一緒にして、大学費用を払うことは、どれだけのことかを実感させたつもりだったのに。

夫は、親としてのプライドもあったのだろうか。

奨学金を借りるとなると、娘へ負担がかかるからと、取り消しを決めた。

2学年うえの息子が、いざ大学に入るとなったとき、私達が、義父と喧嘩して、山椒の収入を明け渡すように直談判していたお陰で、子供たち2人を大学へやることができた。

義父は大学費用にかかる費用を聞いてたまげていたが、それでも、山椒を私たちに明け渡すよう言っても、随分と直談判は滞り、最後は渋々と言ったところだったが明け渡してくれた。

大学費用を払った年数は、息子、娘を合わせると6年間。

重なった年月2年。

学費の積み立て、全くなし。

実際は、大変だったんだろうなぁ・・・。

息子は自宅生だったけど、500万を上回る。(私学理系)
娘は、1000万円ほど。(下宿生・私学文系)

スポーツ推薦枠で、割引があっても、全体にかかった費用からすると微々たるもの。


山椒を植えて10年以上たったその頃、収穫量がいちだんと多くなった状態を引き継いだ。
単価はもちろん、柿より「ものすごく」よい。

義父の計算通りの収入があがり、そのほとんどを大学費用へ回せた。

息子が卒業し金銭的に楽になり、娘の大学費用を支払う余裕は十分にあったようだ。

たぶん、義父がお金を握っていたら、大学費用を支払うことはムリなことは当たり前としても、家にお金は残っていない。

全くのゼロ!


私達がお金を管理していたお陰で、大学費用を支払いながら、若干貯金もできたようで、いつか夢のハナレの建て替えなども、見えてきた気配さえする。
おそらく、私が嫁いできてから、初めてお金を貯金することができた。
娘が社会人になった今年から、いちだんと収入は見込めそう。


だけど、実際はちがうよねぇ。

普通だったら、相当大変だろうと想像できる。

そう考えると、普通に働くより、サラリーマン以上の収入が見込めることのできる、投資で生きていく選択肢も分かる気がする。

子供の大学費用を賄うためには。


・・・だけども、いざ、そのような生活をして成功しても、サラリーマンの生活へ戻る人もいるとか。

投資だけで動く日常は、自分が成長していくサマを、肌で感じることができずに味気ないと。

「社会」を通して、認められたり自分を成長させていきたいと、サラリーマン生活へ戻った男性のケースに、しっくりくる自分がいる。

サラリーマンの身で、子供を大学へやることを考えると、そういう生き方もありかなと思ったものの、最後に紹介されていたそのケースのほうがほっとしたが、働き方は多様性があってよいと思う。

どんな生き方でも、幸せならそれでよい。


だけど、投資となるとリスクがあるのも当然だということを、忘れてはならない。

還暦をまわった夫の周囲には、定年延長で働いていらっしゃる方もいるが、元居た職場に再雇用された方も、別の就職口を探して働いている方も、仕事を辞めてぶらぶらされている方もいて、まさに就職先を定年された方の生き方は様々なようだが、「投資」のみに頼ろうとして、エライ目にあった人もいるようだ。

やはり、身体が動くあいだは、何かしら仕事をしながら、予備のお金で「投資」を、するのがバランスがとれていて良いと思うけれど、向き不向きもあると思う。


私はたぶん無理かな。向いていない。
どう「投資」すれば儲かるのか考えるのが面倒だし、仮に上手くいったりしたら、動きたくなくなるかもしれない。
それでも、老後を見通して、そのうち考えざるを得ない状況になるのかもしれないけど。


それにしても、大学の学費は高すぎる!


山椒の仕事を請け負い、一気に仕事量が増えて大変だったけど、働いたら働いただけのことはあった!


数千本の山椒を植えてくれた(実際は私たちが駆り出されたんだけど)義父に、感謝!

そのお金をもってどこへ行こうと思っていたのか知らないけど、家族皆が笑顔になれるような有意義な使い方させていただきましたよ✨😉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?