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「お金の価値感」が似ていることは、夫婦円満の秘訣?

前回は、「お金は天下の回りもの」ということで、私が夫に差し出した(あげた)独身時代に貯めたお金を元手に、その後、それ以上の価値のものを手に入れたという記事を書いたが、実は、その話には続きがある。


あのとき、私が行動に移したあと、義母がおずおずと、自分の持ち金をもってきた。「これも、使って」と。

いつの日だったか、夫があの時の話しを義父にしたとき「義母は、若い頃、そのような状況の時、助けてくれなかった」と、義父がこぼしたという。(だから、義母が隠していたお金を使ったというのは筋違いだけど。)


そして、ほとんど手つかずで、義母が年金を貯め込んでいたことが、分かったのはつい最近のこと。かなりの額だったと聞いている。

老後が心配なのは分かる。

予想外のことに、備えてのことだったかもしれない。
これから、実際、義母自身のために活きてくるのかもしれない。


義父が、浪費家なのも知っている。

だけども、義父が収入のほとんどを持って行き、私たちが残された微々たる収入で子育てしながら、日常品のほとんどを買っていた時、もうすこし、どうにか出来なかったのか。


調味料も、トイレットペーパーも、米も、何ひとつ補充しようとしなかった義母。

自分に必要なモノだけを、買ってきた。


夫に咎められて、ごくたまに買ってくる程度。


正月のお年玉をはじめ、時と場合に応じて、子供たちにお金を用意してくれた時、お礼を言いながら違和感をかんじていた私は、いつの間にかお礼を言わなくなった。

子供たちが成人したこともあったし、光熱費や、税金などを、全部私たちが支払っていることを思えば、子供たちへその分のお金が、回りまわっているだけのこと。

就職祝いやら、進学祝いやらと、大きなお金を子供に手渡すのをみて、嫌悪感しかなかった。

大学の学費を用意したのも、仕送りのお金も、高校までは多少のお小遣いもあげていたけど、特別感のあるそのお金のほうが、子供たちには印象に残りやすい気がした。


「私なら、まず最初に、嫁にやるけどな」と、孫にばかりいい顔する義母に素直に感謝できなかった。


義母は、ヨメである私の立場や状況を、分かっていたはずだ。
かつての自分とおなじで、ヨメには、働いた対価を支払われていないことを。

私なら、まずヨメにやる。(言いかた悪いけど)


目の前で、何度となしに繰り返される、その光景をみて、幾度か思った。

嫁ぎ先の経済状態が悪かったり、時代錯誤の「家父長制度」が残される家に嫁いできたがために、何年も自分と同じように働いた対価が、嫁に支払われていなかったら、まず「ヨメ」でしょう。


嫌いでも「ヨメ」。
仕事を共にしている同士である嫁に。

それが出来ないのなら、「これ、子供(孫)のために使って」と嫁に手渡す。(あくまでも、我が家のケースの場合)
「あら、義母さま、お気を遣わずに」だなんてことも、口から出てくるのかもしれないし、もうすこし素直に感謝できる。


それが、「気遣い」ではなかろうか。
だけども、それは私の考えであって、義母の考えの中にはないから仕方がない。
私と義母は、ちがう。


そんな義母のことを「お前はお金の使い方を知らんのや」と、義父が言い放ったことがある。

私からすると、その義父のお金の使い方も、褒められたものではない。
外部のダレに対しても、大盤振る舞いして、感謝されることに意義を感じている様にみえる。
家族のことは、考えない。
年老いた今となっては、それも余韻を残すのみになったけど。

私からすると、寂しい成育歴を持つ義父は、「愛情」を外部へ買いに行っているように見えた。

夫がよく口にした「家族はタダ働きで当たり前」。


「倹約」は良い事かもしれないけど、「ケチ」にはなりたくない。
かといって、身の振り構わず、大盤振る舞いをする必要もない。


ただ、身近な人(まずは家族)が困っていたら、助けてあげられるだけの器量は持っていたい。


一番大事なのは、自分を満たしつつ、自分以外の人のことも考えられる器をもつこと。
自分を満たすには、多少のお金を使うことも必要。
お金の遣い方を考えながら、自分を満たす。
自分が満たされていなければ、いちばん身近な人のことも幸せにできない。


そういった意味では、義父も義母も満たされていない部分が、あったのかもしれない。

夫とわたしは、「お金」の価値観や使い方は似ているのかもしれない。

夫は、たばこと多少の酒があれば、他は何もいらない。
私も、独身の頃に比べれば贅沢をしているけど、最低限のものがあれば何もいらない。


だから、実際の私は、お金に執着心はない。


「お金」以外のところで、自分が満たされているから。満たす努力をしてきたから。
だから、働いた対価として頂くお金がわずかでも、満足している。

息子と比べると、信じられないくらい少なくとも、世間の誰もが驚くほど少なくとも。(売り上げからすると、もう少し頂いても差支えはないけど、別に構わない。)

べつにあってもなくても、同じ。ただ「老後」が心配なだけ。

何はともあれ、私が自ら行動することになって、我が家の完全なる「家父長制度」は、令和の時代をもって歴史を閉じることになった。

夫は、私と同じで、家庭の事情もあって、若い頃からそんなにお金を使ってこなかった。
私たち夫婦は、生まれ育った環境が、似ていないようで似ていたから、やってこれたと思う。


もしこれが、裕福な家で育った人だったり、働いた対価として頂く金額にこだわる人が嫁いできていたら、やっていけない。
実家と距離が近すぎても、ダメだったかもしれない。


「私は、あの家で育てられたから、やっていけるんやで」と、言ってやったこともある。



夫は、還暦をまわって身体が辛そうだが、命の続く限り、自分のペースで畑で仕事を続けるように思える。そう言っている。


嫁いできた当時は、畑で仕事をすることに、やり甲斐を見出すような人ではなかったけど、私に似たかな(笑)

どこへ行くまでもなく、私とおなじで、畑で仕事ができれば満足な人。


だから、夫がお金の大半を握っていても信用しているし、何とも思わない。

義父母が経営を引退してから、少しずつ増えていっている家の預貯金は、この先、子供たちの結婚資金に使い、残りは家の増改築に回される予定だ。
あとは、もっと足場のよい畑を、買い足そうかだなんてことも話している。

息子が仮にも、結婚することになったら、台所付きのハナレを建てようと話しはまとまっている。
何なら、広い母屋の方は、新築そっくりさんでもいいから、リフォームして、若夫婦に入ってもらってもいいしね。だなんて。


さいしょは、町に部屋を借りて、息子たちが通う形もいいね。だとか。


夢は尽きない。


だけど「もう一度だけでもいいから、旅行、行きたいねっ」て、夫には言ってある。そこはどうかな。


同じだと、いいんだけど。

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