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233 街中の探検家


はじめに

私がこの子に出会ったのは、今から10年前のことでした。彼は、まだ11歳の頃に病気で視力を失いました。13歳になるまで家から出ることができずにいました。そんな彼が、14歳で始めたことが、住み慣れた町の探検でした。
私は、彼が通う学校とは別の学校に勤務していましたので、週に一度程度しか彼の様子を見に行くことはできませんでした。
彼が14歳になった誕生日の日のことです。家から一歩も出ていなかった彼の楽しみと言えば、好きな音楽を聴いたり、少し鍵盤に触れたりすることでした。私は、電子ドラムとアンプ内蔵のエレキギターをプレゼントに準備して彼に会いに行きました。

本当に欲しかったもの

彼の家を訪ねるとご両親が温かく迎えてくれました。彼も一緒に耳を私の方に少し向けて、玄関の手すりを握って迎えてくれました。彼の顔を見つめる三人の大人の顔はどこか物悲しい感じだったように思います。
私は、さっそくプレゼントを渡そうと彼の手を取り、手のひらで箱を撫でてもらいました。彼は嬉しそうでした。
彼の部屋に行って学期に電源を入れてみると彼が、嬉しそうに音を出し始めました。そうこうしていると、彼が「先生にお願いがあります。」と切り出してきました。次に彼はこんな話をし始めました。
「街に出てみたいんです。先生が来る日に一緒に外を歩く練習をしてくれませんか?」
私は、もちろんできるときはそうすることを約束しました。さっそくその日の帰宅間際に、100mほど先にあるコンビニまで一緒に行ってみることにしました。彼が、外出を希望していることを1階のリビングで過ごされていたご両親に告げると、大変に喜ばれ、涙を流しながら真新しい白杖を大切そうに持ってきてくれました。

はじめての白杖

いつでも使えるようにと彼の使いやすい長さに調整された白杖を彼に手渡しました。持ち手の下のところには、彼の好きなキャラクターのイラストが施された鈴がついていました。ご両親の思いがそんな細かなところからも伝わってきました。
彼は、私の腕を握り、白杖をもったまま少し不安そうに歩き始めました。私は白杖の使い方を少し伝えると彼は、杖の先を少し前に出して勇気を出して右に左に少しずつ振りながら一歩また一歩と進み始めました。
そして、汗だくになった二人がコンビニで買ったものは、「モナ王」でした。帰り道、公園で半分こをして甘くて冷たいアイスを堪能しました。
彼は、静かにモナ王を食べ終わると白杖をもって一人で立ち上がりました。公園の真ん中に向かってゆっくり探り探り歩いていくと、ぴたっととまり空を見上げて大きな声で「アー」と大きな声で叫びました。
すっきりとした顔で振り返ると「先生ー俺、普通の人生やれる?」と大きな声で見当違いな方を向いて大きな声で問いかけてきました。私は、手をたたいて彼に自分の座っている場所を知らせ、彼が顔をこちらに向けたのを確認して、「できるさ!手伝うぞ!」と倍の声で叫びました。

彼の挑戦が始まる

14歳の夏、彼は長い長い暗闇先に、自分で明かりを灯し、歩み始めたのです。それから3年が経ち、彼は17歳になりました。その頃には毎日少しずつ街の探検を続け、ついには自宅から駅まで、そして電車も利用して半径30km圏内の移動を可能になっていました。
また、ご両親の献身的な指導と支援、盲学校の素晴らしい先生方の指導とそれにもまして彼の意欲的な学習態度が実を結んでいったのです。私と彼の町探検は、次第に点字の学習、耳だけでの歴史学習、数学の暗算による計算特訓、音声教材による英語の練習などなど、言葉にできないような猛特訓へと発展していきました。
視覚障がいを乗り越え、大学に合格することは決して簡単な道のりではありません。しかし、彼の全力が、周囲の全力を引き出し、加速させていくのでした。

大学受験と学校生活

全盲の彼は、代筆や代読など必要な試験制度を活用し、見事大学生として19
歳の春を迎えることができました。日本の入試制度は、障がいをもっている人にも公平に学問の道を開いています。しかし、その門の前に立つには、本人と周囲の人間の並々ならぬ努力が必要です。
彼は、大学に入学した後も、多くの学友や学校関係者に支えられ、そして、支えてくれる人々を心から大切にしています。私が彼から学んだことは、たくさんあります。彼が社会で活躍していくことが今の私の楽しみです。

先日、彼がくれた電話で「先生がくれたモナ王が、自分にとっては今でも一番うまかった食い物ランキング1位です。」と話してくれたことがつい嬉しくて今日のコラムは、ついつい昔話になってしまいました。

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