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蘇る加藤清正のDNA!『熊本城』

どうも、城巡りおじさんです。

『虎は死して皮を留め人は死して名を残す』とは言いますが、虎を退治して城を残した人はそうはいないでしょう。熊本城の初代城主である加藤清正公はまさに偉人の中の偉人ですね。


熊本城は復旧工事の真っただ中

加藤清正像:奥にはクレーンが見えますが、熊本城の復旧はまだまだ時間がかかるそうな。

熊本地震から天守閣の復旧が行われ、今もまだ復旧の途上ですが、20数年ぶりに訪れてみることに。ちなみに完全復旧は2052年になるみたいです。

天守閣は見事に復旧されてますね。
国指定重要文化財の長塀も優先的に修復されたそうで、壮観です。

復興中だから見れる姿も

城×クレーンの組み合わせはなかなか見れませんよ!
ところどころ痛々しい姿も。
足場櫓みたいになってますね。

20数年ぶり、おまけに大きく損壊したものを復旧しているので、私の記憶の中の熊本城とは違ったものになっていました。昔訪れた方でも、城ファンの方がもっと多く観光に訪れたら、復興の励みになると思います。展示物も被災からの復興をテーマにしたものが多く見られました。

野鳥

熊本城に行って熊本城を見た!では記事に差別化が図れないので、周囲に面白いものはないかと探していたら野鳥園を発見!久々にバードウォッチングを敢行しました。

看板には9種の代表的な野鳥が!

安定のカラス

木の実を探して食べる行儀のいいカラスです。

声はすれども姿は見えず…30分くらいはカラスを追いかけてましたね。

あまりにも野鳥が見当たらないのでセミの抜け殻とか撮影しとりましたわ。

ついに発見

ようやく目が慣れて小鳥の姿が追えるようになり…
木の実をくわえたヤマガラを執念で捉えました。
どうも実を木の洞に隠す貯食行動をとっているみたいですね。
こちらはコゲラ
こちらは熊本市の市の鳥であるシジュウカラですね。
木の実を枝の上で器用に食べていました。


名城を証明した熊本城

熊本城がなぜ天下の名城と言われるのか。単に築城名手の加藤清正が建城したというだけでなく、実際に西南戦争で堅牢ぶりを発揮したからですね。

籠城側トップの谷干城さん。名前に”城”が入っているのもなにか運命的ですね。
初代農商務大臣にまで上り詰めた凄い人です。

横井小楠をめぐる維新群像の碑にて

以前、鹿児島市内の偉人を調べて回ったときに、維新10傑の一人、横井小楠の名を初めて知ったわけですが、熊本城近くの高橋公園に銅像が建立されていました。

中央の銅像が小楠先生ですな。
帰ってから「もうちょっといい写真は撮れなかったか?」と自問自答する日々を送っています。

↑ 以前書いた記事。最後にお土産屋さんで横井小楠の本を購入しました。

意外な出会い

群像の周りをうろついていると、一人のご老人に話しかけられました。
なんと本を出版されたご本人で、御年77歳、横井小楠の遺徳を伝える活動をされているそうな。

名刺をいただきました(連絡先などは消してあります)
熊本城の鉛筆画をポストカードにして販売されておりました。(ご友人が描かれた絵?…失念)

これから寒くなるので、天候等に気を付けて、壮健で活動を続けられますようにとお伝えし、お別れしました。

人の名にしろ城にしろ、後世に伝える人が居なければ現代に残ってはいないと改めて実感しました。『学問のすすめ』を最近ざっと斜め読みしましたが、最後に「人にして人を毛嫌いするなかれ」と締めくくられていました。

知らないことはネットで簡単に検索できる世の中になりましたが、文字と数字ばっかり追っかけてないで、たまには山から人里に降りてみないといかんですな。



ここまで読んでいただきありがとうございました。


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