加藤清正

武者返しの石垣

ご存知とは思うが、10月5日から14日まで、復旧工事が進む熊本城が特別公開されている。天守閣が被災前の威容をほぼ取り戻したということで嬉しいかぎりだ。

ご存知と思うが、熊本城は加藤清正公が築城した。加藤清正と言えば、あの「365歩のマーチ」で有名な大物歌手・水前寺清子が芸名をつけるにあたって清正公の清を一文字もらったことで有名だ。

また熊本城はあの剣豪宮本武蔵が晩年を過ごしたことでも知られてい

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読書感想文「八本目の槍」今村 翔吾 (著)

世に響いた「賤が岳の七本槍」それぞれを描く短編集。同級生,同期入社組の関係である。いつまでも,当時の話しで盛り上がれる互いの関係を持ちながらも,三成の死をそれぞれが解きほぐす。七本槍と三成と経済の組み合わせを一冊の本とした著者のアイディア勝ちである。
 財政と金融の実務官僚として,その仕組みを握ってしまった三成。兵站の供給だけでなく,戦争を止めるのは財政であると,その本質を見抜ぬく三成のヴィジョン

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押方氏について

押方さんという方が今現在も高千穂におられます。

豊後より大神惟基の長男政次が高千穂へ来られ、初代高千穂太郎と名乗ったのは938〜947年頃とされているので、この頃から土地の名前を苗字にするのが主流だったのでしょうか??

土地の名前を名乗る事で、その土地を支配しているという意味合いもあったのかなと思います。

今現在、土地の名前が残っている苗字は「押方」「田原」「河内」あと、「飯干」もですね。

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豊臣秀吉と庶民経済

・今日は。
5月も終わり、梅雨に入りました。
色々と忙しく、往生難儀しております。
あれだけの文を書くと、調べ物や
時間を割いて、合間に書くと大変な時間になりました。
たま〜に見てる人は・・・おりますでしょうか?
もし、フォローしてても、ふらっと見てくださる人も気長に見て下さい。
さて次は、「信長」の次はとなると、
やはり「豊臣秀吉」です。
「信長」は「社家」と言う出自を使い、
「南朝」に関わりの

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no.256天気/秀吉「朱印状」/ひこにゃんピンチ/新元号 - 管理人(声・上地未姫)
voicy.jp/channel/415/43…
#Voicy
#天気
#豊臣秀吉
#加藤清正
#ひこにゃん
#新元号
に関する記事を紹介!

熊本郷土料理・太平燕&辛子蓮根

< 2015年・熊本&宮崎の食材探しの旅⑨:最終回>

最終日は、熊本市内へ。
飛行機の時間まで、熊本市内を観光後、昼食は、熊本郷土料理のひとつ、太平燕(タイピイエン)を目指します。

加藤清正公の像の前を通り、熊本城へ。

熊本城です。

2016年4月16日に発生した熊本地震で、大きな被害を受けました。
復興のシンボルとして、現在、復旧中です。
もちろん観光できますので、詳しくは、下記「熊本城

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DVD日記 #1 『関ヶ原』--6時間で描いた大作ドラマ

天下分け目の関ヶ原合戦といえば、歴史の教科書にも載る有名な戦い。
また司馬遼太郎の小説でもよく知られている。
それを原作にした6時間の大作ドラマが、
今回紹介する『関ヶ原』(1981年放送)。
私は大学生の頃に、ビデオで観たのが最初です。

あらすじ

「法が通らぬ時は、戦野で堂々と雌雄(しゆう)を決する。義の旗を立て、あの男と戦う」

慶長3年(1598)、天下人太閤秀吉(宇野重吉)が没すると、

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会津鶴ヶ城の基礎をつくった加藤父子

武士道の心を今に伝える城下町・福島県会津若松。
戊辰戦争時の白虎隊の悲劇とともに、会津の
シンボルといえば名城・鶴ヶ城(会津若松城)である。
その基礎をつくったのは、賤ヶ岳七本槍の一人だった。

目まぐるしく替わった城主

武士道の心を今に伝える城下町・福島県会津若松。
戊辰戦争の折の、会津藩の壮絶な戦いぶりと白虎隊の悲劇、そこで発揮された会津武士道の見事さは、今も多くの日本人の胸を打ってやみませ

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【小説】秀頼と家康の会見③

豊臣と徳川。天下を分けるその両家の代表が会見をする。この会見が実現した大きな理由の一つに彼がいた。豊臣の時代に台頭し、時代の趨勢の中、徳川の世の中を認めつつ、豊臣への深い愛情を微塵も失ってはいなかった。

加藤清正である。刀鍛冶の子として生まれ、戦国乱世の時代を生きぬき、秀吉の生母と遠縁であった関係から、秀吉の小姓として仕えることになった。武の道を歩むことになる、その最初の一歩であった。秀吉はこの

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スキ有り難うございます。なるだけ多く発信していきたいと思います!
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