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juke回顧録

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個人的主観juke in 大阪
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jukeとdommune

Dommuneでフルトノの名前が出た。 それだけで割とニュースだなぁ、、ヘヘェと感心していたが数日後、実際にオファーが来ることになる。 そして東北大震災がおき、大変不安な状況になったことを記憶している。 経緯は忘れてしまったが名古屋のGOOD WEATHERというパーティのERIさんが DJ RashadとBig dope Pを召喚し、ジャパンツアーを行うのでその日本人アクトとしてフルトノを呼んでくれたという。 東京公演は渋谷のModuleで行い、それに伴いDommu

juke 日本

世界に先駆けてアナログでのjukeのリリースを行なったのはマイクパラディナスのレーベル、PLANET MU のDJ ROCとDJ NATE のようだった。 リリースに際しdommuneで野田努さんのトークでこのリリース一辺が取り上げられる。 フルトノはその頃そんなにdjの出番が多かった訳でも無いというか、私の方が多かった。月10本行う月もあり、週末が2日、4週間と換算して、月8本なので 数でいうとそれ以上を常に目標としていた。目標にしていたとはいえ、努力できること

juke 大阪

やったぜベイビー と唐突に昭和を感じさせるテンションの高いメールがガラケーのメールボックスに入った。 フルトノからである。 今となっては使い心地すら忘れてしまったが、当時スマホもFacebookも今ほど普及していなかったとは時の経つのは恐ろしいほど早いものである。 なんだろうと電話するとマージナルレコーズの店長タトルさんのレーベル、NODEよりいち早くフルトノのjukeオンリーのmix CDが出ることになったらしい。 NODEは関西を中心に活動するアーティス

jukeは

さて、あの音楽がjukeというものだと知ったところで、私は今までのダブステップ、ダブ アブスト みたいなスタイルのdjを変えるわけでもなく、一通り教えてもらってから暫くはjukeの行く末を見守ることにした。 ここでスタイルを一気に変えてdjで使いまくれば少し今と違う現在があるかもしれないが、フルトノが現場で全然受けない場面に出くわしたりしていたり、男に影響を受けたと言われるのが嫌 みたいな頑固な部分があったり、今までのミニマル、渋い音楽 と一緒にかけるにはjukeは少し

jukeを知る

2017-03-29 22:31:49 jukeを知る テーマ:ブログ いいね!(1) その後二ヶ月ほど、ほとんど記憶がない。 それぐらいやばかった。 私は仕事と母親の補助をして、djがあれば行っていたとは思うが本当に思い出せない。 季節は流れ、秋口になり、徐々にではあるが母親も回復してきた。 まだ不安はあったものの元どおりの日々に近づいてきた。 そうなると、未だに引っかかっているあの男の音楽が何なのかが気になってきたのである。 あれは何なのか? あれ以来、未だミ

初めてjukeを聞く

私のワーホリ計画はそこそこ順調に進んでいた。 貯金も少しずつ目標に近づき、djのブッキングも増え、経験させてもらえることも増えてきた。 ドイツ語や英語を少しずつ復習し、あと少し貯めたら本格的にワーホリの準備をしよう。 そんな風に考えていた矢先、母親が入院し、リハビリが必要になる。 ある朝コンピュファンクでバーテンのバイトを終えるといるはずの母親がいない。 電話があり、なんと大腿骨を骨折し今里の病院に入院していた。そこからは省略するが、ただの骨折だ

jukeの前のdj

ベルリンはとても良いところだった。 私はベルリンで今も仲の良い友達に出会う事ができた。 沢山のクラブに行きいろんな音楽を聴きまくった。 そして最終的にミニマルダブが好きだ と気づき、このジャンルでdjすべきだと悟った。 そしてワーホリビザでベルリンに帰ってこれる様、貯金すべく働くべきだと考え、私は平日は事務員として働き、週末はコンピュファンクでバーテンのバイトをし、音楽の知識を得ながらバイト代でレコードを現物支給でもらい、djとして活動する準備をしていた。週一回は24時間起き

jukeに至るまで

2000年以降、私は新譜より旧譜が好きになって行った。私の新譜の感覚はほぼドラムンベース、エレクトロニカ、ハウス、テクノで留まった。そこから一度ジャズから遡り、ソウル、ファンク、ディスコ、ヒップホップ、ハウスと過去のライブラリーを辿り、土地柄と音楽の繋がりなどのイメージを蓄積していった。何の為にと突っ込まれると自分の為としか言いようがなく、自分以外の人にとっては全く無益なので時間もお金も無駄遣いと言われればその通りだし、何か特別でかっこいいことをしていると誇れるものでも無い。

jukeの前

jukeと出会う2年ほど前だが、私の人生は結構ヘビーな状態となる。詳しくは省略するが、女性の若い時というものは、世間一般にかなり強いカードである。 そのカードの効力がだんだん薄れてくると感じるのは、それを開き直るまでの間少しキツい。 美魔女などと持て囃す風潮があるが、私はそんなメディアと風潮に騙されはしない。圧倒的に若い女性の方が美しい40代より強いカードである。 私は私のカードは少し弱くなってきた。 と感じていていたんだと思う。 弱った女は北へ向かう。 ベルリンに三ヶ