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喪失を実感する時とは

お盆がすぎ、夏が終わる。そんな日にふと、色んな人との別れが今後増えてくるのかな、と思う。

死や喪失について考えるとき、おばさんのことを思い出す。正確にはおばあちゃんの妹なので叔祖母と呼ぶらしい。」「おおおばさん」なんて呼んだことはないのでここではおばさんと書く。

実家は二世帯でおばあちゃんと共に暮らしていた。おばさんは家から徒歩数分のところに住んでいてよくおばあちゃんとおばさんは互いの家を行き来していた。

本当に小さな頃から家にあそびに行っていたからとても近い親戚だった。だから自分の中では準家族のような存在でもある。

そんなおばさんが亡くなったのは社会人1年目のときだ。社会人1年目は仕事が忙しかったことや状況して一年目でいろんなことにあくせくした日々を送っていて唯一北海道に帰らなかった年だ。

そうこうしているうちにおばさんは病気が急に進行して亡くなった。病状が進行したのも亡くなったのも自分が北海道にいないうちに起きたことで、同じ世界の事なのに違う世界の話のようだった。お葬式にも行けなかった。おばさんが亡くなったという連絡を受けたときは何をしていただろうか。会社にいた気がする。夜だった気がする。思い出せない。とにかくもみくちゃに働いていたことは覚えている。

だからなのか、おばさんが亡くなったという事実は頭ではわかっているけど、感覚ではわからないままなのだ。

私は社会人2年目の夏休みにやっと北海道に帰った。一年半ぶりに帰る地元はなんだかパラレルワールドのようだった。せわしなく変化する自分や、変化の街東京とは裏腹に地元は、特に平均年齢が60歳くらいである実家の周りは、変わらないままだった。小学生か中学生くらいに切り取った風景がそのまま再現されたようだった。

その時やっとおばさんの家にお参りに行った。おばさんの家の庭も生前と変わりないような景色が広がっている気がした。iPhoneを開くと庭の前に写っているおばさんの写真が出てくる。

そしておじさん(おばさんの夫)と挨拶をして、仕事はどうだいだなんて、変わらない雑談をして、お参りをした。ああやはりおばさんは亡くだったのだなあと思った。だが、それでも実感としては弱かった。おばさんはどこかに出かけていてただいまって帰ってくる気がした。だけどお参りにはこれてよかったと思った。

この経験を経て、忙しく生きすぎると、気づいたらどんどん時は経って気づいたらみんないなくなって実感もないまま自分の人生も終わってしまうのではないかと虚しくなった。それから縁のある人には会えるうちにできるだけ会っておくことを心がけている。

帰省をしたときに何度かまたお参りに行った。それでもなぜか実感はしっかりとはわかないままなのだ。きっとこの先もおばさんが亡くなったと感覚で受け止めれられる日はないのかもしれない。

例えば同じ家に住む家族や親友のようにもっと身近な人が亡くなる経験はまだ少ないので人が亡くなるってどういうことなのかを本当の意味で私はまだ知らない。きっと人が亡くなった悲しみや寂しさは「心の底から今その人と会いたい」と思った時に会えないという事実が立ちふさがったときにわきあがって来るのだと思う。

そう、自分にとって人が亡くなる悲しみとは、亡くなることそのものよりもまた会うことができない、もう話せない、その人との思い出や可能性は増えない寂しさのことのようだ。

だから大げさにいえば誰かと縁が切れれば、会うことがなくなれば、自分の中でその人は例え生きていても亡くなったのと同じなのだ。

そんなことを考え綴ってみた夏の終わりの夜。特に結論もないのだけれど、ここまで読んでくれてありがとうございました。


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