見出し画像

~鎌倉詣で〜あなたの知らない鎌倉裏路物語

2月に知り合ったばかりの元気そうだったお友達の気持ちが 落ちこんでいるというので一緒にランチをすることにした。新型コロナウイルス感染症(COVIC-19)が世界でパンデミックになっているにも関わらず、観光地の鎌倉には人が集まっていた。

目的地は 「源頼朝の墓」。彼女が お家に居ついて困っているというので、その男性1、女性2が一つに絡み合った弱い浮遊霊団を連れ来てもらって、鎌倉殿の元で精進してもらうことにした。

人通りの少ない裏通りの空いているお店でランチを食べ、いざ鎌倉殿の処へ!今小路を通り寿福寺のところで線路を渡り 旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)の遊歩道を通らせていただき鶴岡八幡宮西鳥居から入って流鏑馬馬場を歩きました。 鳥居のところの階段から前を向くと並木道になっていますが、ここは年に2回の流鏑馬によって清められているため、本当にすがすがしいです。中央で交差する参道で立ち止まり、本殿へ向かってご挨拶、そのまま突っ切りました。今回の目的地は「頼朝の墓」。 新型コロナのことも考えながら人避けをしながら歩いていただけですが、どうも正しい道だったと最後に判りました。

「ご縁結び1」

まずは 鎌倉国宝館の奥に位置する白幡神社でお参りです。感染症の影響で手水舎の柄杓はなくなっていたのですが、申し訳なく思いつつも、御祭神の源頼朝公と実朝公へご挨拶してから、西御門のお墓へ向かいます。ちらほらと咲き始めた桜を見上げていると台湾リスが桜の花の芽をコリコリと食べている最中でした。

画像1

「ご縁結び2」

頼朝の法華堂があったとされる白旗大明神、白旗神社へご挨拶。(源頼朝は正治元年(1199)1月13日に死去。頼朝の持仏堂に葬られその後、法華堂と呼ばれたそうです)。 手を合わせ頭を下げた。踵を返してゆっくり歩きだしたその時、首から肩、背中にかけて ファ~ と温かいなものが被さってきた。ショールというより 空気の塊。それも赤いイメージ。

階段を上って、友人がお参りしている間、周辺を一回り。
鎌倉らしい空気感。
すでに人ざるものたちと自然が融合した感じがたまらなく懐かしい。

風が山の木々の葉をざわつかせている。

「いる」

手を合わせ、静かに風と木々の声を聴いていると、左耳だけが聞こえる不思議な声。蝉の声のような小さく 繰り返している

「・・・・ウ・レン・ゲ・キョウ、ナム・ミョウ・ホウ・レンゲ・キョウ、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経

聞き取れた瞬間、なぜか怖くなかったです。

どこかでお経を読んでいるのかと思い、目を開け見まわしたら、唱題の声は消えました。

そして、ちょうどお友達もお参りが終わったところでした。

実は、歴史的なことはあやふやでよく時系列が判らず、最初にお友達を「頼朝の墓」へ案内しようと思い付いただけで、あとは何一つ計画しないで足の向くまま気の向くままで過ごした一日でした。ですから、このnoteも調べながら書いています。

参拝した日も 3月22日(日)偶然お彼岸中だったので、風に乗って唱題の声が運ばれてきたのかもしれません。偶然なのかもしれませんが、その時も、なぜ南無阿弥陀仏ではなく、南無妙法蓮華経だったのか。 私にはその違いもよく解らない程度しか宗教についての学がありませんでした。

「ご縁結び3」

疑問に思いながら二人で、駅に向かって歩いていく途中、一休みをしようと、チラシを配っている和装の女性に促されてはいったのが和喫茶「茶凛」。そこで語られるお茶の世界の広さと歴史の深さから飛び出してきた栄西の名前。「どこかで聞いたことがあるな。。。」と 思いながら、新しいご縁を楽しみました。

そして、調べました

栄西は、鎌倉で頼朝の庇護を得て 天台密教と禅の兼修道場として寿福寺(行きしなに通った今小路通り沿いー 鎌倉時代以前からあった古い路にあったお寺)を建て、日本初の茶の専門書「喫茶養生記」を頼朝に献上したことも調べて、頼朝と繋がりました。

白幡神社が法華堂跡地であり頼朝の墓廟だったことも、お茶のことも、(墳墓堂になる前は頼朝公の持仏堂)何も知らずにいました。当然ながら頼朝が法華経信仰し、写経や暗誦(あんじゅ)を日々行い、「法華八幡の持者」と称されていたことも新しい学びでした。

お題目の唱題は今では、日蓮宗の教義となっていますが、頼朝公の時代にはまだ日蓮は生まれていません。平安時代でも天台宗の修行の中でお題目を唱えることはあったとWikipediaにはありましたが、いったい誰の声だったのでしょう。

ただ今回、法華経を信仰していた頼朝公へ対して、礼を欠くことなくご参りできたのではないかとほっとしています。

人の波に乗れなくても 楽しい一日になりました。
そして新たな知識も得ることもできました。

「啐啄同時」そんな一日でした。

転んで痛めた首の痛みが、法華堂跡地で感じた温かみと一緒に消えていました。

啐啄同時(そったくどうじ)
『碧巌録』第七則「法眼慧超問佛」に「舉僧問法眼。慧超咨和尚。如何是佛。法眼云。汝是慧超。法眼禪師。有啐啄同時底機。具啐啄同時底用。方能如此答話。所謂超聲越色。得大自在。縱奪臨時。殺活在我。不妨奇特。然而此箇公案。諸方商量者多。作情解會者不少。不知古人。凡垂示一言半句。如撃石火似閃電光。直下撥開一條正路。」(挙す。僧、法眼に問う。慧超、和尚に咨す、如何なるか是れ仏。法眼云く、汝は是れ慧超。法眼禅師、啐啄同時底の機あり、啐啄同時底の用を具して、方に能く此の如く答話す。所謂声を超えて色を越えて、大自在を得たり。縱奪の時に臨み、殺活我に在り。妨げず奇特なることを。然れども此箇の公案は、諸方に商量する者多く、情解の会を作す者少なからず。知らず、古人およそ一言半句を垂示するに、撃石火の如く、閃電光に似て。直下に一條の正路を撥開することを。)とある。啐(口卒)(そつ);驚く、叫ぶ、呼ぶ。啄(たく);ついばむ。鳥が嘴で物をつつくこと。雛が卵の殻を破って出ようとして鳴く声を「啐」、母鳥が外からつつくのを「啄」とし、師家と修行者との呼吸がぴったり合うこと。機が熟して弟子が悟りを開こうとしているときにいう。禅で、機が熟して悟りを開こうとしている弟子に師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くことを啐啄同時という。 参照:茶の湯の楽しみ|茶道http://verdure6.web.fc2.com/index.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?