バレンタインには日本の贈与文化が表れている

今日はバレンタイン・デーですね。ぼくはつねづね「日本は贈与大国である」「日本人には贈与回路が備わっている」と主張していますが、その論拠の代表例がこのバレンタインというイベントです。今夜はあらためてこのイベントについて考えてみましょう。

1 バレンタインが日本に来るまで

バレンタインが日本の贈与? 海外のものじゃないの? と考える人もいると思います。それはその通りで、バレンタインはもともと古代ローマのルペルカリア祭というお祭りに由来するもの。それがキリスト教に取り込まれ、聖バレンティヌスの名を冠したバレンタイン・デーとして定着します。初めは親子がカードを交換する日でしたが、20世紀になって恋人がカードや贈り物を贈り合う日となりました。
日本へ持ってきたのは神戸の「モロゾフ」と東京の「メリーチョコレートカムパニー」、どちらも現存する洋菓子ブランドですね。1950年代から少しずつ拡大をみせ、1960年代に日本中へと広がっていきました。
ここまでは海外も日本も似たり寄ったり。日本のバレンタインはここからが面白いところです。

2 義理と返礼の贈与ゲーム

日本でも流行となったバレンタインですが、ここから海外にはない独自文化が発展していきます。
一つめは「義理チョコ」です。義理チョコがいつから始まったのか定かではありませんが、1970年代頃にはあったようです。家族や恋人同士が愛情を表現する機会であった舶来の「バレンタイン」は、ここにきて日本古来の「義理」という生臭い概念と融合します。冷静に考えると字面がすごいですよね、義理チョコ。贈与が大好きな日本人らしい進化でした。
そして義理チョコが増えれば、必然的に生まれてくるのが「ホワイトデー」です。贈与論を打ち立てたマルセル・モースは、贈与に「返礼の義務」を発見しましたが、まさにその返礼の義務に名前をつけたのがホワイトデー。これは1980年代に盛んに行われた「ホワイトデーはキャンディーを贈ろう」というキャンペーンによって確立されます。ご存知のように今日ではキャンディにとどまらず、さまざまな返礼が贈られるようになりました。
加えて最近では恋人や義理に関係なく友人同士で贈り合う「友チョコ」も増えつつあり、なにがなんだかよくわかりませんが、もはやバレンタインの起源や風習など関係なく、とにかく誰かにチョコレートを贈りたいという欲求だけがぐるぐる渦巻いているようにも見えてきます。

3 バレンタインは廃れるのか、贈与は廃れていくのか

そんなバレンタイン加速主義の時代に「義理チョコをやめよう」という企業も出てきました。企業内で義理チョコの受け渡しを禁止する企業は前々からありましたが、2018年には業界大手のゴディバが日経新聞に義理チョコ廃止を呼びかける広告を出して話題となりました。大量の義理チョコと大量の返礼に辟易している人たちがいたのも事実で、徐々に義理チョコの大波は静まりつつあるようです。
さて、これは日本人のバレンタイン離れ、贈与離れを意味するでしょうか。わたしはそうは思いません。コロナで直近の売上は落ちていますが、2020年まではバレンタインチョコレート市場は拡大傾向でした。自分用が増えてきたのもありますが、新しく「世話チョコ」なども台頭してきています(これって「義理チョコ」と何が違うの?)
昔から日本ではある贈答文化が生まれれば、それが際限なく増殖し、最後には飽和状態を迎えて崩れるということを繰り返してきました。この先どこかでバレンタインも頂点を迎え、お中元やお歳暮のように萎んでいくのかもしれません。しかしそういうことを何百年も繰り返していること自体が、日本人の贈与好きを裏付けるものだと思います。

以上、日本のバレンタインについてのお話でした。何はともあれ、美味しいチョコレートが食べられるのはいいことですね。


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