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その"""運負け"""は本当に運負けなのか

どうもです。

その"""運負け"""は

本当に運負けなのか


スタンプ打たれなければ勝ちだったのにスタンプ打たれて事故負けしたわーおもんねー
初手からエネもサポもなんもこんでワザ宣言できずに負けたんだが!運負けかよー
とりひき3回できるのに必要カード全然揃わなかったしさすがにこれは運負け


これらに類似したような発言は自分もしたことがありますし、きっと多くの方がしたことあるのかなとも思います。
でも、これってほんとに運負けなのでしょうか?

シールド戦を通してそんなことをふと思ったので、文字に書いて可視化して残しておこうというのが今回の記事になります。 


1.カードゲームの勝敗を決める要素

自分の思考を整理する上でまずはここを明確にしておきたいです。カードゲームの勝敗を決める要素には何があるのか。
ポケモンカード以外のカードは触る程度にしかしていませんが、恐らくカードゲーム全般に言えることかと思います。
結論としては

①構築
②プレイング
③運

この3つです。
意外なものは何1つない当たり前な結論だと思います。

ガチのピカゼクと500円スタートデッキが戦ったら前者が勝つでしょう。これが構築の差。この「構築」の要素には採用されている「カードパワー」という意味も含んでいます。
仮に60枚同じルガゾロミラーをしたらならば、よりしっかりと勝ち筋を追って取引で切るカードを間違えなかったほうが勝つでしょう。これがプレイングの差。強い人ならミラーで後攻でも勝てます。
お互いの構築が同じルガゾロミラーをして、プレイングスキルも全く同レベルだった場合勝敗をつけるのは運の差。ゾロアークを何匹たてられるか、サイドに何を埋めるか、必要なカードを正しい圧縮をした後に手札に引き込むことができるかなどなどは運の差以外の何物でもないでしょう。

カードゲームの勝敗を決める要素はこの3つと見て間違いないでしょう。


2.「構築」と「プレイング」と「運」の関係性

では、この3つの中でどれが最も大事なのでしょうか?

この問いに答えるために3つの要素がどのような関係性なのかを理解する必要があります。
個人的結論から言うと、ピラミッドのような関係性です。

このようなイメージになります。下から順に構築→プレイング→運。もちろん、順番にも意味があります。

ピラミッドって当たり前ですが歪な形だと成立しません。今回のピラミッドにおける歪な形とは「運が大きすぎる」や「構築が貧弱すぎる」などですね。 

構築が弱ければプレイングの土俵にはあがれないのです。どんなにプレイングが上手な人でも500円スタートデッキでガチのピカゼクに勝ち越すことは無理でしょう。プレイング勝負をするためには、ある程度の構築レベルがなければいけないのです。
貧弱でボロボロな構築の上に、どんなプレイングや運をのせてもそのピラミッドは崩れるものなのです。

運という要素がプレイングの上にのっていることを説明していきます。
前書きにも書いた「あと1ターンあれば勝ってたのにリセットスタンプで事故らせれて負ける運負け」を具体例に考えていきましょう。
当たり前ですが、"あと1ターンで勝てた盤面"ということはゲームは終盤です。序盤中盤を経ての終盤なわけです。さて、この序盤中盤のときにプレイングミスは0だったと言い切れるのでしょうか?最善のプレイングをし続けられていたのでしょうか?

ポケカをやってて割と初期の頃に、ほとんどのポケカプレイヤーが知っているであろう有名強者がジムバトルか何かで負けているのを見かけました(自分が対戦相手だったか、自分も同じ対戦イベントに参加していたかの記憶は定かではないですが)。その時の発言が印象に残っています。

「最終ターンに運悪くカードを引けずに負けてしまったが、そもそも自分は1ターン目にプレイングミスをしている。あそこでプレイングミスをしていなければそもそも最終ターンにこの盤面になっていないのだ。だからこれは運負けじゃなくてプレイングミスによる負けだ。」

もちろん、数年前のことですので一言一句同じというわけではないですが、こういう内容の会話をされていました。

最善のプレイングをした上で始めて運での勝負をすることができるわけなのです。カードゲームなのでさまざまな分岐ルートが存在します。運による要素で負けたと感じたとき、その瞬間以前の自分の選択が全て正しかったのかを考える必要があります。
もし、1つでも間違いがあったのならばそれはプレイングミスによる負けです。運負けではありません。
もし、1つも間違いがなかったと思ったときに「◯◯というルートがあったのではないか」と指摘されたとき、これは実力不足による負けです。当然、運負けではありません。

具体例の話に戻りますが、リセットスタンプで事故らされないために最善のプレイングはできていたのかという話になります。
・盤面の要求値はなるべく少なくすることができていたのか(グズマ1枚で勝ちの盤面よりもエネ1枚で勝ちの盤面の方が要求値が低い)
・山札の圧縮は適切にできていたのか
・最終ターンの当たりカードを無駄に使ったシーンはなかったか
などなどですね。ほとんどの場合何かしらのミスがある場合が多いです。
90点のプレイングでは自分はダメだと思っています。90点のプレイングゆえの運負けはプレイング負けです。100点のプレイングをして始めて運負けになると考えています。

ちなみに、プレイングについては構築があって始めて土俵に立てるとも説明しています。ゆえに100点の構築があって、初めて100点のプレイングができるのです。

このようにして構築とプレイングの要素があった上で初めて運の話になるのです。

構築×プレイング±運=実力

のようにも考えられるかもしれませんね。
たまにいますからね。構築やプレイングがあれなのに運がはちゃめちゃに強い人。

構築、プレイング、運、この3つの中でどれが1番大事なのかというと自分は全ての土台になっている構築が1番大事だと考えています。まぁ、ぶっちゃけると全部大事なんですけどね_(:3 」∠)_ 


3.運負けはイライラするものなのか

「運負け」に対する考え方を上のように思ってから負けた時にイライラすることが減りました。だって、

負けてるのは実力のせいですから。

反省したり凹むことがあったりしてもイライラすることは減りました。CL新潟のときはちょっと受け入れられませんでしたが笑。

それでも、100点の構築と100点のプレイングを用意できたにも関わらず運による要素で負けてしまうことはあるかもしれません。しかし、これは当たり前のことなのです。カードゲームという運の要素があるゲームをしている以上、そこは受け入れなければならないのです。

ある程度の運の要素を受け入れるのは大事です。
ゲンミミオムスターを握ったとき、フーパに当たったらしょうがないと割り切りました。
エンニュートHANDを握ったとき、ペルシアンに当たったらしょうがないと割り切りました。
グレイシアユキメノコを握ったとき、エネ引けなくて負けたらしょうがないと割り切りました。
その要素が原因で負けたときはしょうがないのです。どうしようもないことにイライラしてもしょうがないのです。どうやったとしても運の要素は付きまといます。

ちなみに、Aという運の要素を受け入れてそのAが原因で負けたとき、それは運負けではありません。実力負けです。Aという運の要素を受け入れなくてもいい選択をできない自分の実力が足りていないだけなのです。
100歩譲って実力負けという言葉が厳しいとしても、決して運負けなどではありえません。  

負けてイライラして運負けアピールをする行為は"自分の実力が足りていないことを認めたくない"という自衛から生まれる行動なのかなと考えています。少なくとも自分が運負けアピールしてるときはそうです。まぁ自分は可愛いものですからね…甘くしたくなっちゃいますよね…

でも、そこでイライラするのではなくそのエネルギーを反省することに生かすと成長できると思うんですよね。
イライラしない方が誰も不快にならないし自分も成長できるし一石二鳥!

とはいえ、どうしても運の要素が絡むカードゲーム。"避けようのない運負け"はあります。"避けようのない運負け"をどこに定義するかは人それぞれかもしれませんが、仮にこの負け方をしたときイライラしてたらそもそもカードゲームが向いていないので運への考え方を改めるべきかと認識しています。

※ここに書いてあることは、あくまでも一個人の意見でありますのでそこだけはご了承ください。  

いかがでしたでしょうか?

感想とかを何かしらの形でもいいので伝えてもらえると喜ぶかもしれません。最後にデュエルマスターズのとあるカードのフレーバーテキストの一部を紹介して〆させていただきます。


(中略)
ただし、その運だけのゲームに参加する資格があるのは、適切なプレイをして、リスクを背負ったプレイヤーだけだ。
(中略)
        ーDMGP2nd 準決勝よりー

それでは。

#ポケカ  #ポケモンカード  #ポケカ記事

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