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網膜剥離と星野源”地獄でなぜ悪い”

このnoteを書きながら聴いた曲その①

網膜剥離で右目の視力を失った2021年の4月22日、わたしは一人暮らしをしていた埼玉のアパートで入院前最後となる休日を過ごしていた。これからどうなるかわからなかった。つい2日前まで普通に見えていた右目の視力はもう二度と戻らないのかもしれない。

母親は、一刻も早く入院して手術を受けることを奨めてくれた。しかしわたしは人生最後の休暇のような気持ちで「今日だけはひとりにしてくれ」と頼んだ。電話先の母親はしばらく間を置いたあと「わかった」と言った。既に網膜がすべて剥がれていた右目は、完全に死んでいた。深い深い暗闇はこのままにしておけば、永遠のものになる。
わたしは母親に、ありがとう、と言った。
母親にありがとうと言うのはただの口癖でたいした意味はなかったのだけど、電話を切ってひとりぼっちになった左目で窓の外の景色を見て、ありがとうか、母親はその言葉はどう捉えたかなぁ、と少し考え込んでしまった。
小さいころから視力が弱く小学生のころには当たり前にメガネをしていて「暗いところで本読まない!」とか「目掻かない!」とかしょっちゅう怒られていた。それらの生活習慣が網膜剥離にどれくらい影響を与えたかは分からないが、母親は落胆しているだろうなぁ、と思った。失明となれば、今までと同じように生活することは難しくなる。子供のころから「五体満足でよかった」とことあるごとに言っていた母親からすれば、息子の身体が不自由になることはとても辛いことだと思う。もしかしたらその痛みはわたしより深く心を傷つけたかもしれない。

このnoteを書きながら聴いた曲その②
ENDLICHERI☆ENDLICHERI「ソメイヨシノ」
※YouTubeにない

窓の外には向かいのお宅の庭に桜が見えていて、花びらがはらはら散っていた。
ENDRECHERIのソメイヨシノが脳内で再生されて、剛さんが「叫ぶ声がまた 墜落した」と歌っていた。わたしは叫ぶことすらしなかった。ただ埼玉に存在していただけだった。

突然襲った網膜剥離という病気への苛立ちもあったが、わたしは34年間、様々な景色を見せてくれた右目へ感謝を感じていた。
医療が発達したおかげで視力が復活する可能性は残されていたが、これがもし100年前だったら、おそらく手術なんてできなかっただろう。
シンプルに“右目だけ先に寿命がきたんだ”という感覚だった。

網膜剥離に罹る何年も前に「離れた左腕」という短い話を書いたことがある。
『医者から貰った抗生物質を飲まなかったのがいけなったのか、ぼくの左腕は肩からすっぽりと抜けてしまった』という書き出しから始まる。
この主人公は壊死して取れてしまった左腕に特別な執着は見せず、あろうことかコンビニのゴミ箱に捨ててしまおうとする。(それは店の迷惑を考えてやめたが)
結局は、家の庭で新聞と一緒に燃やして火葬することを思いつき、適当な戒名をつけて、燃えていく左腕を見ながら少しだけドラマティックな空想をして、ぼろぼろになった骨を見て、満足して家に戻り「疲れた」と言って眠ってしまう。

右目を失ったときも同じようにわたしは早々に治療を諦めて、手術や入院にかかる費用を浮かすことはできないだろうかと考えていた。
人はいつか死ぬもので、そこに抗うということがわたしにはあまりよく分からない。長生きしたいなんて全く思わないし、なにかを成し遂げる才能も裁量も持ち合わせていない。尊敬する人たちとの差は広がるばかりだ。ここが地獄なのだとしたら早く違う場所に行きたいし、今が悪夢なのだとしたら、どうにかして目を覚ましたい。

不眠症のわたしにとって夜はあっという間に終わってしまう。朝日は眩しくて見れたものじゃない。網膜剥離になったとき、やっと永遠の夜を手に入れたんだ、と思いくすくすと笑った。こうやって死んでいくんだ、こうやって最期はくるんだ。そう思いながら桜を見ていた。これが2021年の桜。

今は2022年の冬になろうとしている。わたしの右目はわずかだが光を手にした。文字は読めないし、細かな形は判別できないが、これが人(医療)に与えてもらった光だ。文句は言わない。おかげでわたしはまだ生きている。

このnoteを書きながら聴いた曲その③

2022年10月18日の星野源のオールナイトニッポンでゲストのマフィア梶田さんが星野さんの「地獄でなぜ悪い」という曲の歌詞についての想いをお話されていた。梶田さんが経験してきた“地獄”の視え方と星野さんの“地獄”はおそらく似ている部分があるのだろう。
歌詞の考察はしたくないので書かないけれど、星野さんは同じ地獄でわたしのことも待ってくれている、という感覚になった。
ここは地獄だ。紛れもない地獄だけど、俺はここで生きてるよ、君も来るんだろう?ここで待ってるよ、と。

このnoteを書きながら聴いた曲その④

2023年の桜はどんな風に見るのだろうか。今は未だわからない。水面は揺れている。
もう少し、もう少し生きてみる。

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