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悪になったことはありますか?

 子供のころ、母親の運転する車で中島みゆきさんの「空と君のあいだに」をよく聴いていた。1994年の曲だから、僕は7歳だった。
 当時は歌詞の行間を読むような聴き方(?)はできなくて、言葉のまま受け取って解釈していた。

君が涙のときには 僕はポプラの枝になる

 というAメロは「ポプラ」が何なのか知らなかったので意味が分からなかったし、

空と君とのあいだには 今日も冷たい雨が降る

 というサビはあいだに降っているからは雨で濡れていないんだな、良かった、と思っていた。2番のAメロの歌詞が好きで、大人の男ってまぬけなんだなぁと呑気に思っていた。(そしてすっかりまぬけになった現在31歳の私である) 

 ただ、一か所だけどうしても納得できない歌詞があった。もやもやして歌詞カードを何度も読み直したりした。

 君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる

 ここ。サビの最後。ここがどうしても納得できなかった。母親に「どういう意味なの?」と質問したのを覚えています。
 母親は「君が笑ってくれるなら僕は悪になってもいいよーっていう意味だよ」と親切丁寧に教えてくれました。
 はいはいなるほどね・・・いや歌詞そのまま!馬鹿にしてんのか!と思った僕は「どうして笑ってくれたら僕が悪になるの?」と質問を変えました。母親は少し考えてから「それほど相手が大切で、笑っていてほしい存在なんだよ」と言いました。だけど、僕はまだ納得できなくて、「せっかく笑ってくれたのに僕が悪になったら相手が悲しむ」と訴えました(当時の感性よ。瑞々しいな。帰ってこい)
 母親はまた少し考えてから「そうだよねえ」と言いました。

 当時、親に何かを質問して、ひとつの答えが出ないことなどなかったので、この会話がすごく印象に残っている。何度も質問をする子供と面倒くさがらずに会話をしてくれた当時の母親にも感謝している。「歌詞って面白いんだな」と思えるきっかけのひとつだった。

 誰かに「笑ってほしい」と願うときに、何をしてあげられるのか、今でもはっきりとした答えはなくて、笑うどころか、自分のせいで涙を流す大切な人を何度も見てきたし、なかなか悪になれないもんだなぁ、と思っている。

#ブログ #中島みゆき #空と君のあいだに #歌詞


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