吾郎月おじさん

吾郎月おじさんは泣いていました。男の人にしてはかなり薄い肩を、ひらひらとゆらして歩きながら。いつも、こうして夜道で泣くのです。夜だから悲しいわけではなく、吾郎月おじさんは毎日、朝から夜までたくさん涙を流します。首もとにくっきりと遺った手術の傷痕を、右の人差し指で撫でてから、ゆっくりと首を動かして夜空を見上げます。常にサングラスをかけているので、星はほとんど見えません。サングラスは度入りで、これを外しても光の輪郭がぼんやりと滲むだけです。何秒間か立ち尽くしたあと、吾郎月おじさんはまた歩を進めます。 

ひとりになった時、吾郎月おじさんは心底ほっとしました。家族も、友達も、恋人も、誰もいない生活というのは、どこに居ても誰に対してもどこか申し訳ない気持ちで暮らしてきた吾郎月おじさんにとっては、まさしく「解放」と呼べるものでした。

しばらく泣くと、喉の奥がくわんくわんと痛みます。激しく嗚咽して泣いたあとで、吾郎月おじさんはいつもシュークリームを食べます。近所のケーキ屋に売っている、クリームがたっぷりで、シナモンパウダーのかかったやつです。昔は甘いものを好んで食べなかったのに、ひとりになった途端にシュークリームが好物になりました。「ふかがわ」と丸ゴシック体で書かれたプレートを胸につけた店員からシュークリームをひとつだけ買い、吾郎月おじさんはまた歩いて家へと帰ります。

吾郎月おじさんはぺたんとフローリングの床に座り、わずかに開いているベージュ色のカーテンを眺めながらシュークリームを食べます。急ぐ理由はなにもないのに、眉間にしわを寄せて、もくもくと、なにも飲まずに食べます。あっという間に食べ終わると、吾郎月おじさんはそのまま床に寝転んで大の字になります。口の中の甘みが、喉から食道を通って胃に流れていくのがよく分かります。この部屋はいつも空気が濁っていて、床にはざらざらした砂ほこりがたまっています。吾郎月おじさんは、両手と両足を床にぴたりとつけて、目を閉じます。美しい女性が脳裏に四人浮かびました。それぞれの女性の笑顔や息遣いが、ノートの頁をめくるように次々に浮かんでは消えていきます。吾郎月おじさんは、そのうちのひとりの名前を呼ぼうとしましたが「あ」としか言葉が出ず、その瞬間に目が覚めました。

吾郎月おじさんは再び涙を流します。でも、ほんのわずかだけ幸福で、手に体温を感じることができました。そして、また泣いて、ひとりで悲しい夜を終えて、ひとりで悲しい朝をはじめます。思い出はいつでも吾郎月おじさんのそばにいるのに、吾郎月おじさんは本能的にひとりで生きることを選びました。つけっぱなしでいて、いつの間にか抜けなくなってしまった薬指のリングをもてあそんでは、遠い日々の記憶を懐かしむのでした。


donor -12- yushi tojo


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