電力の鬼からDMOについて学んだこと

先日参加した、狂犬ゼミで木下住職から紹介いただいた本を読みました。

現在の一般電気事業者(北海道電力、東北電力、東京電力、北陸電力、中部電力、関西電力、中国電力、九州電力、沖縄電力)が世の中にあるのは、著者でもある、松永安左エ門のおかげであることが分かる内容になっています。電力の鬼と呼ばれるほど、その人生を電力事業に費やした訳です。本を読む上で念頭に置いたのは、なぜ補助金事業がなくならないのか?ということでした。生活していく上で必要不可欠なインフラがどのように生まれ、なぜ国が入り込んだのか?とても気になる部分でした。

◾️電力事業は民間が切磋琢磨し、育てていった

私はこれだけの巨大な事業を初めから国が主導して作り上げたとばかり思い込んでいました。西鉄が生まれるきっかけになった例では、市街電車を走らせるという計画が現地で推し進められていた程度で、民間事業者が身銭を切って会社を作り実行していったのでした。当然、同様の事業を行うライバル企業も誕生するものの、合併により規模を拡大していきました。こういった市街電車を作るとなると、今であれば国からの補助金が入る事が必須になるのではないかと思います。この辺について、筆者もこのように語っていたのが印象的でした。

「産業の振興は皆さんの発奮と努力が第一です。官庁の力に頼るなどは、持ってのほかです。官僚は人間のクズだ。官庁に頼る考えを改めない限り、日本の発展は望めない」

今でいえば、都市計画マスタープランを作るのが行政の役目であり、その具体的な建物は民間企業がお金を出して作り上げていくのが、良い街づくりの形なのかなとも思います。マスタープランどころか拠点になる建物も作ってしまい運営を民間に委託するような今の形は失敗しているケースも目にします。著者が語った”産業の振興は皆さんの発奮と努力が第一”というのはまさに役割がはっきりしていると思えるものです。

◾️戦争が始まったら国策会社に奪われてしまう

電力は兵器を作ったりする上でも大切なインフラになっていくと想定できます。それをお国のためと苦労に苦労を重ねて作り上げたインフラを国策会社を作られ、奪われてしまったのです。これは現在の行政が作ったものを民間が委託を受けて、投資しながら育て上げたものをいとも簡単に議会やら行政の都合や考えではしごを外され別会社に委託されてしまうような構図に非常に近しいものを感じます。

それでも戦後になり、審議会が作られその委員長に選任されるところがこの人が凄い方なのかが分かります。しかし、その時にはすでに民間事業の会社ではなく、国の会社になってしまっているのは何とも言えない気持ちになりました。GHQが方針として注文をしていたのは、パブリック・ユーティリティー・コミュニティ(公益事業委員会)を設けて電気事業の行政にあたらせる、政治の圧力が事業にかかることのないようにするというものでした。すでにアメリカではこういった民間企業の良さを活かす制度が第二次世界大戦前に出来ていたと思うと、凄いことだと思うと同時に日本では未だになぜ上手く活用できないのかが理解できないとも思えました。

ここが補助金を入れるための理由だと思っています。つまりは、始めやすい状況を作り出すためにお金を投資するイメージなのでしょう。それは行政が良かれと思って行なっていますが、方針に口を出せる上、何かのときにはしごを外すことができる訳です。当然、入り込む民間企業はお金を本気で取り組むかどうかは非常に微妙な感じになります。

◾️民間企業形態、私企業にすることを諦めない

著者が現在の一般電気事業者(北海道電力、東北電力、東京電力、北陸電力、中部電力、関西電力、中国電力、九州電力、沖縄電力)案を作っていましたが、分割することの不利益さや非効率さを指摘され反対されていたのでした。しかし、GHQを相手にしてでも一切ひるまなかった著者は凄いと思えました。ここでもやはり、現在と通ずる部分を感じます。利益と効率を考えれば、統合されていくのが今の時代なのでしょう。しかし、全国になれば自由企業としての動きは鈍くなり、独自性は作るための合意形成も難しくなっていくのでしょう。これは全国チェーン展開で拡大した企業が平準化されていき魅力が薄れていく姿と似ているようにも思えました。

私案を作り、諦めない姿は非常に大事なことを教えてもらっているようにも思えました。承認されますが、著者のための電力事業と見なされ、当時の吉田首相や世間からバッシングを受けます。電源開発を行うための整備にお金がなく、値上げを断行します。これに政府は反対し、世間からも批判を受けるのです。しかし、著者は折れませんでした。凄いの一言です。だからこれだけ今でも日本中に電力が供給されているのです。当時は大変なことだったのでしょうが、今はこの方がいたからだとありがたみを感じるべきなのではないでしょうか。

その後、電源開発促進法が衆議院に出されます。しかし、このときも著者は反対しているのです。理由が痛快そのものです。

「なぜ私が電源開発促進法に反対したか。言うまでもなく電源開発を国営事業にしたからである。国営は経済的でもなく、サービスもわるい。第一、自由闊達な民間事業でないと、民族永遠の生命源である「人」が育たないからである。」

これ、今も同じではないですか?私はDMOのあり方でもこのことはとても気になっています。国はお金を投じて、委託企業が実行し続ければ、いつまでも「人」は育ちません。

◾️大所高所から見れるかどうか

著者が値上げを断行する理由を説明した際に、国全般に繋がることだからと伝えたとあります。これは、現在の国の事業も前提はこの考えと同じなんだと思います。しかし、企業存続だと思えばお金の切れ目と共に終える「自分だけよければいい」というスケールの小さい話になってしまうのかもしれません。「共存共栄」という大正から昭和にかけて日本が発展してきたときの実業家の考え方は今、必要になっていると思えます。

この本が教えてくれたことはたくさんあります。今、苦しいときではあります。それを国がお金を出してくれないからで叩き続けるのはどうなのかと思っています。一例ですが、インバウンドの右肩上がりだったことは今ある日本の魅力からの数字でしかないと思えます。すでに天井になりつつあったのです。その恩恵を受けていた企業は打撃が大きいでしょう。しかし、元々の地域住民がその地域に埃や愛着を持てるようすると言う原則をもう一度見直した方が良いと思います。地元に人に利用してもらうことでまた見えることやチャンスになることもあると思います。今だから出来ること、これから必要になることを考え抜くことが必要なことなのではないでしょうか?

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