フローリオ家の盛衰

シチリアにVilla Igieaという豪華なホテルがあるのを藤澤房俊著「地中海の十字路=シチリアの歴史」を読んで知りました。

本著ではVilla Igieaの写真は載ってなかったので、グーグルで画像を見ると、泊まれば一九世紀の王侯貴族になった気分にさせてくれる、Villa Igieaはそんなホテルに感じます。

Villa Igieaはパレルモにある有名なリバティー様式の建築物と本著で紹介されてます。

パレルモには他にもリバティー様式の建築物があり、二〇世紀初頭のパレルモはベルエポックを迎えてました。

リバティー様式、ベルエポック、その芸術活動を支えたのが当時のシチリアの財閥フローリオ家であると「地中海の十字路=シチリアの歴史」で記述されてます。

本著ではフローリオ家は小さな雑貨店から始まって、その後に1大財閥に発展するものの、繁栄は第一次世界大戦前に終わったと、2ページ内23行にわたってフローリオ家の経歴が簡潔に記述されてます。

本著を読んでこんな豪華で繊細なパレルモの芸術活動を支えたフローリオ家の主人はどんな人物なのだろう、何をしたのかもっと知りたいと思い、ググってみるとフローリオ家に触れた記事はヴィンチェンツォ・フローリオ・ジュニアが1906年に開催したタルガ・フローリオの記事だけでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%

100年以上前に繁栄の終わったシチリアの財閥について.関心のある日本人は少ないということでしょう。

そこでタルガ・フローリオのwikiを英語表記にして、英語表記されたフローリオ家の人物を検索していくと、フローリオ家を財閥に発展させた人、フローリオ家の事業の破綻を止められなかった人など5人の人物にたどりつき、ある程度はフローリオ家の盛衰を知ることができました。

その5人の経歴について約して書いてみます。

ヴィンチェンツォ・フローリオ・シニアは1799年に南イタリアのカラブリア州に生まれ、生まれてすぐに家族はシチリアに移住します。

8歳で父親を亡くしますが、父親がパレルモで開いていた食料品店をヴィンチェンツォ・シニアの叔父が継いで繁盛させ、叔父からビジネスを学んで成人してから商才を発揮します。

1829年に叔父が亡くなるとヴィンチェンツォ・シニアが事業を受け継ぎ、相続した事業とは別の他の事業も手掛けて成功させ、フローリオ家をシチリア経済をリードする財閥へと発展させます。

1832年にマルサラワインの工場を設立、1841年エーガディ諸島のマグロ漁場をすべて借りて、マグロを加工するための工場も造る、工場でできたワインとマグロ製品をイタリア国内だけでなく国外でも売って大儲けします。

他にも硫黄鉱山に投資して硫黄貿易を始め、造船所を設立して貨物船を造って海運業を始め、銀行も創立します。

1868年にヴィンチェンツォ・シニアがパレルモで亡くなった時、フローリオ家は食品業、製造業、鉱業、海運業、金融業、貿易業を事業範囲にする会社を経営する大富豪となってました。

フローリオ家の事業はヴィンチェンツォ・フローリオ・シニアの子のイグナツィオ・シニアに受け継がれ、さらに発展します。

イグナツィオ・フローリオ・シニアは1838年にパレルモで生まれ、1868年に父親が亡くなると家業を相続し、1874年に新たなマグロ漁場を購入してマグロ事業を拡大させ、海運業では自社での製造だけではなく、ジェノヴァの海運会社と合併して船団を増やし、フロリオ家の海運会社は地中海貿易を独占すると言われるまでになります。

1891年にイグナツィオ・フローリオ・シニアは52歳で亡くなり、事業を息子のイグナツィオ・フローリオ・ジュニアが継ぐと、それまで繁栄していた家業は傾いていきます。

イグナツィオ・フローリオ・ジュニアは1869年に生まれました。

22歳でフローリオ家を相続し、1893年のシチリアの古い貴族出身の女性と結婚します。

その女性はフランカ・フローリオの名前で知られ、ジョヴァンニ・ボルディー二が描いた「フランカ・フローリオの肖像」を見たことがある人は多いでしょう。

貴品と華やかさのあるフランカ・フローリオと結婚当時は大富豪だったイグナツィオ・フローリオ・ジュニアの夫婦の姿に魅了された人々は数え切れず、パレルモのフローリオ家のホテルには欧州の王侯貴族、富裕層、有名な芸術家や文化人が集まりました。

フランカ・フローリオは詩人、作家、作曲家、画家、彫刻家など文学者や芸術家とも親しく交際し、彼らの活動を支援もしました。

夫でフローリオ家当主のイグナツィオ・フローリオ・ジュニアも、パレルモでマッシモ劇場が完成してから劇場の主要興行主となり、パレルモで発行される日刊紙に出資して主要株主になるなど、シチリアのベル・エポックを後援しました。

フローリオ家の後援する芸術がパレルモに華やかさを添え、後世にシチリアの観光資源となる建造物をフローリオ家はいくつも建設していきますが、二〇世紀になってフローリオ家の事業が衰退していくのを、イグナツィオ・ジュニアは止めることができません。

イグナツィオ・ジュニアは父や祖父と違って、新しい市場に関心を持たず、二〇世紀になって利用可能になったテクノロジーに積極的に投資することもなかったため、フローリオ家の事業の収益を向上させることができず、競争相手に敗れて市場を次々に失っていきました。

イグナツィオ・ジュニアには、ヴィンチェンツォ・ジュニアという弟がいましたが、弟は会社経営に興味はなく、弟もフローリオ家の事業の衰退を止めることはできませんでした。

事業には貢献しなかったヴィンチェンツォ・ジュニアでしたが、自動車を愛好する趣味を活かして一九〇六年にタルガ・フローリオという自動車レースをシチリア島に創設し、シチリアに注目を集めることでは貢献しました。

シチリア島の曲がりくねった道を走るタルガ・フローリオは、レース愛好家の人気を集め、ヴィンチェンツォ・ジュニアの死後の一九七七年まで開催され続けます。

不振となった事業の資金繰りのために金融機関から借り入れを行い、その後も事業を立て直すこができず、借入金の返済のためにフローリオ家の資産を切り売りする、ということをイグナツィオ・ジュニアは繰り返しました。

借金、債務不履行、資産売却、二〇世紀になってフローリオ家はこの悪循環から抜け出せず、一九三〇年代にフローリオ財閥は破綻しました。

非凡な親と子が競争に打ち勝って地位と大きな資産を獲得するが、孫の代になって競争に敗れて没落する、日本でも似たような事例はあると思う人がいるでしょう。

20世紀初頭の時代でも、競争相手に負けない力を維持しなければ、巨大な資本を持つ財閥でも没落するという出来事は、資本主義の厳しさを現してるように感じます。

フローリオ財閥をドラマか映画にしたら19世紀のシチリアの風俗と伝統に資本家、貴族、労働者、芸術家の希望と欲望と計算がぶつかりあう壮大な作品になると思いますが、ユーチューブで調べてるとDisneyがフローリオ家の出来事をドラマ化しているようです。

https://youtu.be/ne24uJ1qaDg?si=wfN167lZmBE0ZQcu

題名は「I Leoni di Sicilia」でしょうか。

見てみたい気がしますが、私の加入している配信サービスでは視聴できません。

そして正式な日本語字幕は無さそうですね。

できれば「I Leoni di Sicilia」に正式な日本語字幕をつけて、映画館で公開してほしいですね。

もし公開されたら見に行きます。

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