監督とプロデューサー
前回は映画「トラトラトラ」の日本側のことを書きましたが、今回は田草川弘著「黒澤明vs.ハリウッド」を読んだ後のアメリカ側についての感想を。
「トラトラトラ」を制作する20世紀フォックス社のヒエラルキーについて。
トップが株主、それから順に下がって重役会、社長、制作本部長、プロデューサー、日本側ユニット製作主任とアメリカ側ユニット製作主任、その下に日本側ユニット制作請負の黒澤プロダクションと並立してアメリカ側ユニット制作請負のプロダクション、その下に監督として黒澤明とアメリカ側監督がいるというのが20世紀フォックス社の認識だったと本書にあります。
しかし黒澤明は自分が映画の総監督だと思い込んでいました。
黒澤監督より立場が上なのは社長だけだ、と黒澤明は認識していたのかと本書を読んで感じました。
誤認識の原因は、20世紀フォックス社との交渉を任されていた黒澤プロダクションの担当者が、両者の発言権は同等で「トラトラトラ」はクロサワの映画として世界に売る、と公言し黒澤明もそれを信じていたからです。
「トラトラトラ」の日本側監督に黒澤明を20世紀フォックスに推薦したのはプロデューサーのエルモ・ウィリアムズでした。
エルモは「羅生門」から黒澤明に注目していて、黒澤明の映画で最も愛する作品は「生きる」、映画作家として黒澤明を尊敬していたと本書で語ってます。
自分を総監督と認識する黒澤明は、日本側監督という立場を超えた要求や提案を20世紀フォックス社に送り、エルモを当惑させます。
エルモは黒澤明との仕事に苦労しつつも、できるだけ黒澤明に協力しようとしたのが、本書でわかります。
黒澤明は英語が話せないので、20世紀フォックス社との交渉には英語のわかる黒澤プロダクションの担当者がついてました。
映画製作の話し合いを重ねて、プロデューサーのエルモは黒澤明が契約を正確に認識していないと気づきましたが、20世紀フォックス社が通訳を用意して、契約内容を改めて確認したという記述はありません。
「トラトラトラ」は大作映画ですから、やるべきことはいくらでもあり、一度結んだ契約を再確認する暇は無いということでしょうか。
もし再確認ができていれば、監督解任という悲劇を避ける可能性は少しはあったかもしれないと思います。
「トラトラトラ」制作が発表されたのは1967年4月28日、黒澤明の強いこだわりによって撮影が進まず、映画完成の見通しが立たないと考えた20世紀フォックス社は1969年12月24日に黒澤明を解任します。
田草川弘氏がアメリカで契約書を確認したところ、撮影予定の未消化に期限があることが明記されていて、撮影未消化の期限を超えたための解任は不当ではないとのことです。
しかし契約書を読んでない黒澤明は、期限を知らず解任されるとは思ってなかったようです。
必死に取り組んだ仕事が打ち切りになり、打ち切りになった後に契約書を読むと、契約解除に瑕疵はなく抗弁もできない。
こんな体験をしたら、黒澤明だけでなく誰でも大きな精神的ショックを受けるでしょう。
「トラトラトラ」制作契約前に、20世紀フォックス社の要求をしっかり日本人に伝えることができる通訳を伴って、エルモ・ウィリアムズが黒澤明と直接交渉できればよかったのにと感じます。
解任という結末が因縁となって、エルモと黒澤明は映画について話し合うことは二度と無かったようです。
総監督でなければ黒澤明は「トラトラトラ」の監督を引き受けなかったと思います。
エルモは「トラトラトラ」の後もアメリカ映画の仕事を続けてたので、黒澤明を総監督にできる企画があったかもしれません。
総監督黒澤明にふさわしい企画をオファーし、編集権や期限も当事者はすべて知ってるまで詰めて契約し、プロデューサーはエルモ・ウィリアムズ、総監督は黒澤明、こんな企画が成立したらどうなったでしょう。
撮影では激しい議論や葛藤があり、スムーズに完成はしないでしょうが、監督解任という悲劇は起きず、完成した映画は傑作になったかもしれないと思います。
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