見出し画像

平等と、公平と

DNFです。

今回のテーマは【平等】【公平】です。
『この二つとても似ていて、違いが良く分からない』という方も多いのではないでしょうか。

というか私が良くわかりませんので今回皆さん一緒にお勉強しましょう。


【平等】【公平】と聞くと、この有名なイラストを思い浮かべる人が多いかもしれません。

平等(EQUALITY)とは
個人間に、あるいは集団間に、なんらの差別もない状態。

コトバンク

公平(EQUITY)とは

すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。

コトバンク

辞書にもよりますが、文面を見た限りでは【平等】【公平】という言葉は一見して違いがなかなか分かりにくい状態になっています。

このままでは話が進まないので、これらを私なりの解釈で『上記イラスト』と『現実での用法』を踏まえた解釈で、以下のように表現します。

数値的、視覚的に等しいもの、差別のないものを平等と呼ぶ
・道徳的、感情的に調整したもの、納得させるものを公平と呼ぶ

※公平の概念に関して、後述する公平性の原則を元に解釈しております。

実際にいくつか例えを出してみます。

平等の例示

  • 国民全員に10万円を交付する。

  • 男女の性別による定員を等しく50:50にする(男女平等)

公平の例示

  • 所得に応じて税率を変える。(富裕層ほど大きく納税する)

  • 男女の性別等で保険料に差を付ける(公平性の原則)

だいたいこのような区分けで合っているものかと思われます。

【平等】はとても分かりやすいですが、【公平】は少しフワッとしていますね。

そもそも【平等】【公平】という言葉を、法律や公共の場でハッキリ聞くことは多くないのではないでしょうか。

私は何かあげろと問われれば思いつくのは【法の下の平等】【公平性の原則】、あとは良く耳にするのは【男女平等】でしょうか。

法の下の平等

これは"全ての国民は【平等】に法によって権利が保護される"というものです。ただし法は国民への義務も【平等】に課しています
大原則としてあげられる義務は【教育】【就労】【納税】ですね。極端に言えばこれらを怠ると【法の下の平等】からは外れるという事です。

たまにニュースなどで「外国人が法もしくは制度によって保護されず、【平等】ではない」という問題が報じられることがありますが、外国の方は日本に来ただけの状態では"非居住者"という扱いであり【納税】していませんので、国民という扱いにならず【法の下の平等】からは外れてしまうのです。

公平性の原則

保険会社や保険種類にもよりますが、生命保険や医療保険はとても【不平等】なシステムになっています。

特定の職業、病歴によって制限を受けることがありますし、男女の保険料が異なることがほとんどです。なぜこのような作りになっているかというと、これらは金融、保険業界用語で言う【公平性の原則(公平の原則)】に従っているのです。

性別や職業によって保険事故リスク(保険金が支払われる可能性)というのは変わります。「そんなの人によるじゃん」と言われるところなのですが、きちんとした統計データを用い【大数の法則】に倣い、被保険者が多ければ多いほど結果は収束していき概ねの予測が立てられるものとなっています。

最終的には配当金等で還元しさらに調整されるものですが、決して【平等】にはなっていません。かといって実際に保険事故リスクが違うものを平等に扱ってしまう事は【不公平】になります。

保険事故の確率の差を考慮して保険料を【不平等】にすることで限りなく【公平】に扱っているのが保険であると言えるでしょう。

※【結果平等】という呼び方をする方もいるかと思いますが、現実に存在する呼称が【"公平"性の原則】のため【公平】と定義します。

【平等】と【公平】

さて、冒頭で『この二つとても似ていて、違いが良く分からない』と述べましたが、【平等】と【公平】って真逆なのでは……と思えてきましたね。

【平等】【不公平】を招きやすいです。もし税金を貧困層も富裕層も同じ額面を納付だったら多くの人が納得いかないことでしょう。

そして【不平等】【公平】を保つことがあります。

【公平】とは【不平等】を前提にしたバランスの取り方と言えるかも知れません。

男女平等、平等の問題点

さて圧倒的に耳にする言葉として【男女平等】があります。

例えばとある学校が性別毎に、70人:30人の生徒を受験により募集したとします。しかし、これでは【男女平等】ではない募集人数ですね。

では50人:50人の受験募集をしたとします。

すると片方の性別の50人の合格者のうち最低点数が50点に対し、もう片方の性別の50人の最低点数は52点でした。つまり後者の性別の51点の人は、前者の性別の50点の人よりも点数が高いにも関わらず不合格になったということですね。これも【男女平等】ではないですね。

さて、しかし次に点数基準で採用すると、また人数が50:50にならずに【不平等】になる事が目に見えています。

片方の視点で【平等】にしても、もう片方が【不平等】になるのです。

なぜこんな事がおきてしまうかというと、理由は簡単です。男女で分けて考えようとしているからです。分けなければ「人間が100人合格した」で何の問題も起きません。

しかしそれができないのが社会です。

それは何故か。

真の平等とは

そもそも私たちは【平等】な存在ではありません。

ほとんどの人は『人は生まれながらに【不平等】だ』と語るでしょう。
人種も性別も、望むことなく与えられたもので生きていくしかありません。

何かを【平等】にしても、他の何かに新たな【不平等】を産む事もあります。元々【不平等】ですから、言ってしまえば際限なく【不平等】とか【差別】とか呼ぶことが出来てしまうのです。

もし【真の平等】が存在するのであれば、何もかもが同じ存在としてこの世に生を受けなければいけません。しかしながら私たちはみんな違っていて【平等】になる事は無いのです。

【真の平等】は未来永劫有り得ません。

差別との向き合い方

私たちは生まれながらに【不平等】であり、区別される存在です

甲斐たくとさん(@kai_anime6420の記事が分かりやすいと思うので是非お読み下さい。

甲斐さんのおっしゃる【差別】が私のこのnote内での【不平等】に近いものかと思いますが、人は生まれながらに解消できない個人差があり、【不平等】であることは受け入れなければいけません。

また、甲斐さんは記事の中で『良い差別と悪い差別がある』という文意で書かれていますが、【不平等】であることが悪い差別、すなわち【不公平】に繋がるとは限らないということです。

【不平等】な存在をいたずらに【平等】に扱ってしまえば【別の不平等】や【不公平】が生じ、軋轢が生じ、対立構造が生まれるだけなのです。

自国に存在する【法の下の平等】は確かに私たちに【差別】の無い【平等】の権利を保障してくれます。しかしその【平等】【真の平等】には絶対になりません。

【不平等】な私たちでも、
【法の下の平等】で誰もが幸せになる権利を持ち、
他者に排除される(悪い【差別】)こと無く、
時には【差別】(区別)されながら、共存していく社会。

そのような社会の実現を、【多様性が認められる社会】と呼び、【公平性】という他者とのバランスを求めていくことが大事なのでしょう。

まとめ

以前こういうnoteを書きました。

この記事を公開したとき、本題ではなく前半に意見が来たりしたのですが、私は『女性専用車両』には一定の評価をしています。それと同時に"【男女平等】の観点から男性専用車両を設けるべきだ"という声に関しては反対しています。

何故なら性被害の実態には男女に差があり、その差を考慮して女性側に措置を行うのは【公平】だと感じているからです。また【平等】を重んじて男性専用車両を設けた場合には対立や新たな問題を産む事が予測され、専用車両の推進自体が本質からも遠ざけることになると思っています(最終的には女性専用車両撤廃して欲しい)。

そう、だからきっと私は【平等】主義ではないのでしょう。

【公平】は、公正に、かつ移り行く個別の判断が求められる、とても難しいものです。それでも幸せを求めるために【平等】だけを追求していては行き詰るのだと思います。

共存と、公平さを求めて。

まだまだ勉強していかなければいけません。



ご読了有難うございました。

DNF@P_drenreb

よろしければTwitterアカウントのフォロー等お願いします!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?