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日本男子よ。男社会をやめよう

世の男性たちは、男社会特有の空気をどう感じているのだろう。
私は苦手です。
ごく身近なことで、男社会の息苦しさを、男の立場からぶちまけてみます。
私の真剣な悩みを聞いてください。そして貴男の本音をお聞かせください。

日本男子の早食いについていけない

東京勤務時代、職場の同僚(男性)たちと一緒にとるランチが苦痛でした。
食べるスピードが全然違うからです。
彼らが食べ終わる頃、私のお皿にはまだ半分近くの食べ物が残っていました。
彼らは私が食べ終わるのを待ってくれるのですが、その間、会話があるわけでもなく、私が食べるのを黙って見ていました。
鈍感な私でも、彼らの「さっさと食えよ」という圧力を感じます。
彼らを待たせないよう、私は 1分でも早く食べ終えようと頑張りました。
咀嚼するのに時間がかかりそうなおかずを敢えて残すこともありました。

私は、自分が食べるのが遅いとは思っていません。
定食などのランチなら 15分以内で食べていたと思います。
彼らは 7, 8分ほどで完食していたことになります。

この人たちは女性と食事をしたことがないのだろうか?

私は、同僚たちと昼食を共にすることを大切だと考えています。
なので、苦痛に耐えながらそんなランチ生活を続けていました。
あるとき、改めてよく考えて、職場の人間関係をスムーズにする「潤滑油」と、お昼を自分のペースで食べる「心身の健康」とを天秤にかけました。

それ以来、私はランチに一人で行くようになりました。

孤独のグルメ2

女人禁制の社交が楽しくない

ドイツ駐在時代のこと。
私以外に日本人の駐在員はいましたが、部署が別だったこともあり、日常的なお付き合いはほとんどありませんでした。

ある日、新年会のお誘いを受けました。
日本語の招待メールが来たので、日本人だけで新年会をやるのだと理解しました。よくある話ですね。ただ、招待メールの宛先を見て、ゾワッとしました。
女性が一人も誘われていないのです。
その会社で働く日本人は、男性が 10 数名ほど、女性は 4, 5人いましたが、宛先には男性が全員入っており、女性は一人も入っていませんでした。

なんかの宗教ですか?

女性を一人も呼ばない(呼べない?)理由を考えてみました。
ストリップショーでも観に行くのか?
CA と合コンするとか?
霊山ツアーか?
だんじり?

だんじり4

どれもありえなそうです。「新年会」ってタイトルですから。
わかった! 新春相撲大会か!(土俵は女人禁制らしいので)
って、それくらいしか思いつかないわけですよ。

それでも、違和感に目を瞑って参加することしました。
そしたら、ごく普通の飲み会でした。
やっぱり、女性を呼ばない理由がわかりません。

二軒目は、ビリヤードやダーツのあるバーでした。
男たちは、ゲームの勝負で盛り上がっています。
つくづく、野郎どもの遊びはつまらんなあ、と感じます。
私はそれまでの会社員生活で麻雀やゴルフにも人並に付き合ってきたけど、あまり楽しいと感じたことはありませんでした。
それは、会話が全然面白くないからだと思います。

ビリヤードしながら、私もギリギリ楽しんでいる態度をキープしていますが、なんか私だけ浮いていないか? というアウェイ感が拭えません。
そして、あることに気づきました。

私以外全員、技術系の部署の人たちだ。

なるほど。そういうことか。
いわゆる理系出身の技術者は、男子校だったり理系クラスだったり、男だらけのホモソーシャルな世界で生きてきた人たちなんですよ。
私も理系出身なのですが、大学 2回生のときに文転したので、この同質性を重んじる感覚を忘れていました。

彼らは ”男子・理系・技術屋”の結束を神聖なものとし、男だけのサークルを作りがちです。飲み会に女性を呼ばないのは、彼らにとって当たり前の感覚なのでしょう。
これは、彼らなりの気遣いでもあると思います。
10 数名の理系男子クラスの中に、数人の女性が入るのは、女性のほうもさぞ居心地が悪いでしょうからね。

だったら(技術屋でない)私も呼ばなくていいよ、と思った。
せっかく誘っていただいたのに、申し訳ないのですが、私は気の合う女性と飲んでバカ話してるほうが 100倍楽しいんですよ。

それ以来、男たちの社交にはいっさい参加しないことにしています。

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敬称の使い分けがメンドクサイ

このような社交を繰り返している男性たちに、デリカシーを求めるのはムリというものです。
男子だけの飲み会では、この場に女性がいたら引くだろうな、という会話が平然と飛び交います。
彼らは、言っていいことと、言ってはマズいことの線引きができなくなっています。しかもその彼らが爆笑する話に、私はまったく笑えませんでした。笑いのセンスまでズレているのです。

極めてせまい、同質なグループ内で生きていると、自分たちと異なる存在を想像できないのでしょう。
食事のペースを相手に合わせることができないのも、根は同じだと思います。

つまらない男子会を少しでも有意義に過ごすために、文化人類学の研究対象として彼らを観察することにしました。
彼らを見ていて強烈に感じるのは、絶対的な “序列” です。
どう見ても同質な彼らですが、そこには圧倒的な上下関係があり、その鉄のプロトコルを遵守する言動・態度を絶対に崩さないのです。

日本の会社組織における上下関係は何で決まるのでしょうか?
①入社年次 ②年齢 ③役職 の順番で決まる、と私はみました。
いつ入社したかが一番に重視されるということです。1年でも先に入社した人は ”先輩” なのです。先輩は絶対的に上にいる存在です。
例えば、2000年に入社した高専卒の Aさんと、2001年に入社した大学院卒の Bさんがいるとしましょう。
Bさんは Aさんより 3歳年上ですが、先輩は Aさんのほうです。先に入社した Aさんのほうが序列は上なのです。

これとよく似ているのが、お笑い芸人の世界だと思います。
芸人さんが、先輩を “兄さん” ”姉さん” と呼ぶアレですね。
芸人の世界でも、業界に入った年次と年齢が逆転しているケースはありますが、優先されるのは年次のほうではないでしょうか。
「年上やけど後輩」みたいな言い方がそれです。

①入社年次と③役職が逆転しているケースはやや微妙なことになります。
2000年入社の課長と、2001年入社の次長がいるとしましょう。
課長(先輩)は、上役である次長(後輩)に対して形式的な礼儀を見せつつ、先輩としての上から目線は維持しています。次長は、先輩である課長に対して遠慮と敬意を崩しません。それでいて、先輩に命令する立場なのです。
会社が年次と役職の逆転現象を避けるのは、この微妙な空気を嫌うからでしょうね。
(お笑いコンビの次長課長は NSC の同期らしいので問題ないんだろう)

先輩後輩の間でも、役職がかけ離れている場合はまた少し違ってきます。
売れない先輩芸人がダウンタウンに対する態度、と言えばわかりやすいでしょうか。

飲み会2

上下関係の文化人類学的考察が長くなりました。
この上と下の関係を端的に表すのが、名前の呼び方らしいんですね。

〇〇部長のように肩書きで呼ぶ習慣がなかったその会社では、先輩に対しては「さん付け」が徹底されていました。これは鉄則のようです。
奇妙なのは、先輩が後輩に対して「さん付け」しないのもまた鉄則だということ。しないというより、さん付けしてはいけないらしい。
私がある同僚の人(私より後輩だったらしい)を「〇〇さん」と呼んだら、「おいおい。お前が〇〇に、さん付けはヘンだぞ」と注意されました。

後輩に対しては、「呼び捨て」と「くん付け」の二択になります。
この二択がまた曲者くせものなのです。
何をもって使い分けるのか、明確に説明できません。
男子会の観察から発見したのは、次のような仮説です。

年次差が大きいほど、呼び捨てする傾向(目安として 4年以上?)
長年知っている相手には、呼び捨て(2年以上?)
気の弱そうな相手には、くん付け
気の強そうな相手にも、くん付け

論理が破綻していますが。

そろそろ、こう言いたくなってくるのではないでしょうか。

メンドクサイなーオマイら。

この男社会における敬称の使い分けは、メンバーの序列によって厳密に定められた戒律です。
それを繰り返し実践することは、その秩序をメンバーに再認識させながら、男社会を拡大再生産するための知恵なのだと思います。

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提言

すでに強固に出来上がっているホモジニアスな男社会を憂うは詮無きこと。
ならばせめて、それが少しでも改善されることを願う。
世の男性諸君に提言したい。

✅ 昼食は女性を交えてゆっくりとってはどうか
✅ 男子会的な社交イベントをやめてはどうか
✅ 敬称を「さん付け」に統一してはどうか


(追記)
「やめよう」シリーズの第 1話です。

👇 第 2話です。