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生産しない者が生産する者を搾取する構造について話そう

前回の記事「労働の自由。結婚の自由」のコメント欄に、ホワイトカラー層がグルになってブルーカラー層と消費者を搾取している、と書いた。
大企業が支配的な社会とは、具体的にどういう構造になっているのか。
実例をもとに暴露したいと思った。


莫大な本社コスト

とある大手メーカーとしておこう。
全社の総社員数は約 6万人。
そのうち生産に従事する社員が 3万人。
販売に従事する社員が 2万人弱である。
そのほか本社系社員が 3000人。研究開発系の社員が 2000人。サポート業務系の社員が 5000人といったところ。

本社の社員数は全社員の 5%だが、その人件費総額は日本円にして 800億円ほどになる。
そのほとんどが不要な人員である。
具体的には、人事部・経理部・IT部・法務部・広報部といったおなじみの部署と、コンプライアンス部・サステイナビリティ部・内部統制部など新興の部署のことだ。

さすがに人事部や経理部はないと困るだろう、というのは昔の話である。
例えば、今どきの人事部は、コンサルティング会社を使ってアジャイルだのパーパスだのと言葉遊びをするのが主な仕事なのだ。
「百害あって一利なし」という言葉がこれほどふさわしい仕事はない。
経理部は、基本的にやることがない。昔ながらの経理業務はすべて SAPというパワフルな ERPがやってくれるのだから。
その結果、経理部員の仕事は社員の相談に乗ることくらいしかないのだが、ただでさえ鬱陶しい会計ルールのことで経理部に相談するおめでたい奴などそうそういない。

新興部署の要らなさ加減は言うまでもなかろう。
コンプラは、やっぱり外部のコンサルを使って社員教育用の動画を作らせている。
サステナは、紛争鉱物 (conflict minerals) の原産国一覧表を作成したりしている。

それくらい無駄な作業でもしていないと、毎日が退屈すぎて気が狂ってしまうのだろう。
あるいは、過分に高い給料を正当化しつつ職を守るのに必死なのだ。
彼らは、生産や販売に従事するエッセンシャルな社員の 3倍~10倍の給料を受け取りながら、精神の健康を害することなくクソどうでもいい仕事をやり続けなければならない。

生産者の取り分は 5%もない

この企業に小売価格が 100ドルの製品があるとしよう。
100ドルを部門別のコストに分解すると下図のようになる。

「製造原価」は、製品を生産するのにかかった原価で、原材料費・労務費・製造間接費等からなる。100% 必要なコストと言える。
「研究開発」は、研究・開発部門の人件費が 8割以上を占める。新製品の開発には必要なコストだが、既存の製品にはほぼ不要である。
「販売・マーケティング」は、営業・マーケ部門の人件費、広告宣伝費、リベート等を含む。どこまでが必要なコストか判定しにくい
「本社・その他」は、本社とサポート部門(バックオフィス等)の人件費を含むが、本社の人件費が半分以上を占める。100% 不要なコストである。
「利益」は、本体の営業利益と卸小売マージンを含む。

この企業は、ハイテク機器を製造販売しているメーカーである。
無論、コストの内訳は業種によって異なる。
医薬品業界なら研究開発費がずっと大きいだろうし、差別化しにくい飲料業界は広告宣伝費がもっと大きいというように。
ただ、どの業界においても、必要不可欠な製造原価の割合は意外に小さく、全く不要な本社コストの割合が過分にデカいところは似たようなものだろう。

製造原価は 100ドルのうちの 25ドルだが、その 8割以上を原材料費が占めるので、生産に従事する社員に支払われる賃金は 5ドルもない。
全社員 6万人のうち半数を占める 3万人の生産社員の取り分が 5%未満?
彼らがいなければモノが作れないというのに?

かたや、本社社員に支払われる給料が 800億円。
それらはすべて固定費であり、生産にいっさい寄与せず、全く不要どころか有害でしかない仕事に支払われているのである。

なぜブルーワーカーの賃金は低いのか

企業というのは、儲けたお金を各ステークホルダーに分配する機構である。
✅株主にいくら(配当金)
✅仕入先にいくら(仕入代金)
✅社員にいくら(賃金)

社員間の賃金の分配を決めるのも企業である。
製品を生産している社員に 5%分配し、何も生産しない本社社員に 10%分配するのは経営の意思だということだ。
(生産社員が 3万人、本社社員が 3000人であることもお忘れなく。ただ、そこから一人当たりの給料に換算する気力はもはや私にはない)

どうしてこんな非人間的なことができるのか?
工場で原価管理をやったことがある人なら、その答えを知っているはずだ。
コストセンターとしての工場の使命は、製造原価を極限まで削減することである。
原材料調達コスト、設備のメンテナンスや光熱費を1円でも低減せよ、とのプレッシャーに晒されている。
そして、労務費に対しても同じ発想で極限までコストダウンしようとする。
つまり、原材料と機械と人間を同列に扱うのが工場というところなのだ。
生産に従事する社員は、労務費 (labor cost) という名の単なる数字でしかなく、安く調達できるほどよく、下げるほど褒められ、いくらでも替えの利く「生産手段」なのである。
いったい、いつの時代の話をしているのだ?と思われただろうか。
私は、今の話をしている。
これが、西暦2024年の現在でも罷り通っている論理なのだ。

では、なぜ何も生産しない本社社員の給料がバカ高いのか?
ひとつの説明はこうだ。
本社社員は何も生産していないから、生産性で賃金を決めることができないのである。
皮肉なものだ。製品を生産している社員は、労働時間と生産数量という数字で管理されているため、生産性に基づく最低の賃金に抑えられるのに対し、本社社員は何も生産していないがゆえに、貢献度を数値化できない。
その高い給料には何の根拠もないし、そもそもホワイトカラーの生産性という概念自体が怪しいのは周知のとおりである。

なぜ何の根拠もない給料を払っているのか?
これでは大金をドブに捨てているようなものではないか。
だいたい、何も生産しない本社社員など雇わなければいいではないか。

エクセレントカンパニーとしての体裁を整えるため、というのがわかりやすい説明だろう。
大企業に人事部や経理部がなくては恰好がつかないし、コンプラやサステナやダイバーシティやインクルージョンや LGBT といった時代のトレンドを採り入れないと、反社のような株主から脅迫されるのである。

私はもっとシンプルな説明で十分だと思っている。
資金が有り余っているからだ、という理由である。
儲かりすぎているのだ、大企業というやつは。
利益が出すぎると、税金を多く取られるし、配当をもっとよこせ、と株主が騒ぐし、世間からの風当たりも強くなる。
だから、営業利益をほどほどの水準に着地させるために本社を肥大化させ、何も生産しない本社社員に稼ぎすぎたお金を配っているのだ。

生産者を搾取する共犯者たち

誰が悪いのか?
という観点で、前項の主旨をいったんまとめよう。
複数の集団による共犯関係ができあがっている、と私は考える。
ひとつは、大企業の経営層である。
「君たちのおかげですばらしい製品が作られている」と言いながら、彼らの賃金を最低限に抑える一方で、自分の直下にブルシットな部署を増殖させて枕を高くして眠る連中だ。

ふたつめに、ホワイトカラーの社員である。
同僚とそれらしいおしゃべりをして、給料分の仕事をした気になっている社員がいる。
仕事の無意味さを悟り、確信犯的に遊んでいる社員もいる。
一日中パソコンに向かって、燃えるゴミを増やしている社員もいる。
思いはそれぞれだが、彼らに一筋の後ろめたさもないとは私は言わせない。

みっつめは、世の中に新たな仕事を捻り出す団体である。
古くは SOX法を広めた輩がそうだったし、人権団体や規制当局、国連や WHO も同類と言える。
自分らのメシの種を作っているわけだ。
先進国グループの悪知恵に無邪気に追従する日本の政府・企業・学者どものあさましさよ。

順序としては、そういった圧力団体や当局がくだらない法制を作り、企業経営者がそれにフォローして、新たなブルシットジョブのマーケットが形成され、ホワイトカラーがそれを学び始める、という流れである。
そういう意味では、経営者も口入れ屋もホワイトカラーも受け身と言えなくもない。
しかし、小賢しく立ち回って新たな錬金術の恩恵にあずかろうとする連中は共犯関係としか言いようがない。

こうして、粛々とモノを開発し生産し販売するエッセンシャルな労働者は、この共犯者グループから搾取され続けているのである。
全体のパイがほぼ一定の中で、目ざとくマネーを掠め取る者たちがいれば、私はそれを「搾取」と断ずる。

消費者は無駄に高く買わされている

ガルブレイスという経済学者が 65年前に書いていたことがある。

富の格差が拡大していても、社会全体の富が増えることで、貧しい者の富が少しでも増えているうちは、格差に鈍感でいられるのだ。

『ゆたかな社会』

つまり、社会全体の富が横ばいになったら格差問題が顕在化するぞ、という警鐘である。
その意味で、富の格差は比較的新しい問題なのだ。

国内で生産した価値の総額 (GDP) が一定のもとで搾取されているのは、賃金が低く抑えられる構造になっている “本来の” 労働者である。
いまひとつ搾取されているのは、一般の消費者だ。
ある製品のコスト内訳の図を再掲する。

この製品の適正な価格は 60ドルかせいぜい 70ドルといったところだろう。
それを消費者は 100ドルで買わされている。
なぜかはおわかりだろう。
消費者にとって全く必要のない本社の人件費、頼んでもいない新製品の開発費、ウザいだけでしかない広告宣伝費などが価格に上乗せされているからである。
消費者は、これらの虚しい仕事をやらされている憐れな人々にかなりのお金を貢いでいることになる。
本当にかわいそうな人たちにはそれくらい貢いであげてもいい気がするが、実態はその大半が高給をもらって遊んでいるか有害物質を増やしているホワイトカラーである。
生産者であり消費者でもある人は、二重に搾取されている。
10%の消費税がかわいく思えてこないか。


これで私の考えはほぼ言い尽くしました。

以下、蛇足ながら。
じゃあどうすればいいんだ、という話を少しだけさせてください。
理想的には世の中の搾取の構造が変わるべきだと思いますが、それには相当な時間がかかるでしょう。
そこで、現状を所与としたときに、一個の人間としてどのような生存戦略があるのか考えました。

まず、搾取する側になる人は、小さなゲインの後に大きなロスが待っていることを覚悟したほうがいいと思いました。
搾取する側になろうとしていろいろと頑張った結果、心をなくしたり、大切なものを失ったり、生きる意味がわからなくなってしまった人が巷に溢れています。
彼らがそこから人生を立て直すプロセスにヒントがありそうです。
絶望。どん底。虚無。
最悪の状態からでさえ這い上がる力が人間にはあるということ。それを知れば、この世に怖いものなどなくなります。
食糧と空気を除けば、すべては心の問題に集約されます。

搾取する側にならない人の選択肢は、「搾取される」と「搾取されない」の2つです。
「搾取される」を選ぶなら、喜んで搾取されてやればいいんじゃないでしょうか。生産者としてエッセンシャルな仕事をし、消費者として企業に貢いでやりましょう。
「搾取されない」を選んだら、働かず、何も買わない。それでも生きていけますよね。搾取されない生き方を選ぶほどの、強い心の持ち主であれば。

どの生き方を選んだとしても、トータルではプラスマイナスゼロという気がいたします。