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死にたい若者の気持ち、わかりますか?

ゆうです。
みなさん。「希死念慮」という言葉を聞いたことがありますか?
簡単に言えば、「死にたい」とか「消えてしまいたい」と感じる気持ちのことなんだけど、最近の調査によると 18~29歳でこの希死念慮をもっている人の割合は 40% とも 60% とも言われているらしいのです。

あたしはこの年齢層にギリ入らないけど、大学で関わってる人たちはこの年頃が多いわけで、彼ら彼女らのかったるい気分をモロに感じています。

希死念慮は、自殺願望とは違うみたい。
自殺願望は、イジメとか失恋などによって強烈な絶望感にハマったときの、一時的な衝動のようなもの。
希死念慮は、これといった原因もなく、普段どおり生きているなかで散発的に襲ってくる想念なんだそうです。

まあ言葉の定義はさておき、なぜ死にたいのか本人にもよくわからないものなんでしょう。それは、なぜ生きたいのかわからないのと同義と言えます。

このような現象に対して、大人たちの分析が的を外しているように思えるんですよね。
まず、それらをうつ病のような精神疾患として捉えようとする専門家たち。
一部そういう人もいるでしょうけど、40% とか 60% も出現してる人たちを病人扱いするのは無理があるでしょ。
やっぱり日本はカウンセリング後進国なんだろうね。

それと、「昔はよかった」的な寓話ですべてを説明しようとする大人たち。
現在の 50代から上の年配者にこの傾向が強い。
あたしの師匠(社会学教授・60代)もそのケがあるんだよなー。
例えば、当時(1970~80年代?)は未来に希望がもてたとか、貧しくても楽しかったとか。(何がどう楽しかったのかあたしにはよくわからないけど)
その時代を知らない今の 10代 20代にとって、半世紀前との比較は無意味だと思うわ。

あたしは社会学を志す学者の卵として、現代の若者の希死念慮について彼らと同じ目線で考えたいと思いました。


「死にたい」と言う人に、「どうして?」とか「何があったの?」と理由や原因を求めるのはナンセンスです。
それは、人は「生きたい」と思うのが当然である、という前提を疑わない人の態度だから。

「あなたはなぜ生きたいのですか?」と問われたら、どう答えますか?
「まだやりたいことがあるから」
「愛する人、愛してくれる人がいるから」
「子孫の成長、世界の行く末を見届けたいから」
「今が楽しいから」
「この世界は素晴らしいと思うから」

それらが一つもない人はどうしたらいいの?

めちゃめちゃ不幸な人の話をしているわけではありません。
18~29歳の約半数がそうかもしれないって話です。

巷の学者や評論家は、それを社会の変化で説明しようとする。
家族の問題:核家族化、離婚の増加、毒親、非婚化
経済の問題:貧困、非正規雇用、競争、格差
第3の居場所問題:ネット化、分断、孤立

どれも希死念慮に寄与しているようには見える。
けれど、要因分解することで、問題が矮小化されていると思う。
社会の変化は、すべての年齢層が同じように実感しているはず。
それなのに、希死念慮は若年層に著しい。
若いから死にたくなるの?
違うよね。1950~60年代生まれの人たちは、10代 20代の頃がメチャメチャ楽しかったって言ってるし。

希死念慮は、「現代」の「若者」に特有だということになりますね。


ここから先は、あたしの独断的な仮説と毒舌が入ります。

現在の 30歳未満、すなわち 1994年以降に生まれた人にとっては、物心ついた頃から世界は完成していたのです。
「完成」にはいくつかの意味があります。

第一に、モノというハード面では、これ以上望むものなどない物質的環境がすでにあった。
第二に、新たなテクノロジーは情報処理と通信に関するものばかりで、全然ワクワクしなかった。
第三に、社会の仕組みというソフトの面では、政治も経済も学術もエンタメもガチガチに制度化されていた。

彼らにとっては、この完成されたクソ世界が原風景なんだよ。
そんな環境に生まれたら、ココロという最も大切な資質は育ちようがない。
1993年(平成 5年)生まれのあたしには、その「どうしようもできなさ」がわかる。

なんだよ、この出来上がっちまった世界は。余白がなさすぎて、何もできることないじゃないか。しかもクソだ。手をつける気にもならねえ。
あたしは何をするために生まれてきたの?

そんな若者に「甘ったれんじゃねーよ」と言いますか?
完成された世界に生まれた君たちは恵まれている、と。
大人たちは、昔と比較して、良くなった点・悪くなった点をあれこれ言いながら今を相対化できるからいいよね。
この狂った世界から人生がスタートした人の虚無感、わからないよね。


まともな人間ほど狂う、とあたしは思ってる。
学校に行けなくなった人。
会社に行けなくなった人。
社会からドロップアウトした人。
引きこもり。適応障害。うつ。
このような人たちは、世の中の異常さに耐えられなくなった、まともで健全な精神・知性の持ち主なんだ。

彼らはね、今を生きてるだけでもツラいんだよ。
稼げだの、生き残れだの、イヤでも目に入ってくる善意の大人たちの脅迫。
でも現実には何もできない。試しに何か始めてもうまくいかず余計に凹む。

今が地獄でも、この先の人生にいい事があると思えれば、人は生きようと考えるもの。
でも、そんなものありますか?

何があるかわからないから面白いんじゃないか。と大人たちは言うかもしれない。
いやはや。今どきの若者は、この先に何があるかくらい見えてるのよ。
今より悪くなることはあっても、良くなることはないってこともね。

今、すごくツラい。そしてこの先、もっとツラくなる。
もう生きていたくないって思うのも無理ないわよね。
自殺するほどの勇気はない。ただ、すーっと消えてしまいたい。
だって、このまま生きていても、今の苦しさが続くだけだもの。
ただ、一つだけ言いたい。
大人たちよ。
あなた方がこのクソみたいな社会をつくった。


そろそろこう言いたくなるでしょう。
大人たちは何をしてやればいいのだ?と。

大人たちが若者にしてあげられることは、一つだけだと考えています。
それは、より良い社会を残すことです。
今の大人たちも、先代が築き上げた社会を受け継ぎ、それを少しでも良いものにしようと努力してきたはず。
あなたが次世代にバトンを渡す社会は、先代から受け継いだ社会より良いものだと言えますか?

四六時中スマホを凝視して、人との対話を拒絶する大人たち。
ネット上に雑言を書き散らかして炎上に加担する低脳者たち。
昭和の労働倫理を 50年後の新世代に押しつけるゾンビたち。
メディアと広告が人間の行動を支配している世の中の仕組み。
そして、システムが狂っているのに声を上げないあたしたち。

若者はそんな大人たちを見て絶望しているんだよ。
この腐った社会は、若者がつくりだしたものではない。今の大人たちがつくったものだ。
その大人たちは、酸いも甘いも知る余裕からか、口では文句を言いながらも、このディストピアに近づきつつある世の中を許容しているように見える。
ふざけるな!って若者たちは叫びたいと思うよ。

今どきの 10代 20代はスマートでいろいろ悟ってるとあたしは思ってた。
でも、希死念慮について調べていて背筋が寒くなった。
この言葉も、自殺願望をリフレッシュしただけのプロパガンダ・タームなのかもしれない。
けれど、生きたいと思わない世代が出現したことを、世の大人たちは深刻に受けとめるべきだと思うのです。

若者は、大人たちをクレバーに観察しているものです。
大人たちが行動を改め、このイビツな社会を正常化することこそ次の世代に残すべき遺産ではないでしょうか。