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留学というサービス形態でエンジニア・プログラミングスクールを提供する理由

こんにちは、フランジアというグローバルに1200人規模の開発チームを抱えるIT開発会社のフィリピン・セブブランチのマネージャーをしている西出です。

私が管理するセブブランチでは、アジアの英語圏からシンガポールや香港などのトップスタートアップと開発ができる英語ベースのハイレベル開発チームを立ち上げながら、セブという土地柄英語学習に来る多国籍な若者に向けたテックスクール・プログラミングスクールを運営しています。

2020年度の小学校でのプログラミング教育の必修化や、エンジニア人材の不足、そもそも社会全体がテクノロジーによって刷新されていく時代である昨今、プログラミングスクールは乱立し、どこもかしこも活況を呈していますね。そんな中で、グローバルなIT開発会社として1000人以上の規模を誇るフランジアが、フィリピンセブ島において「留学」という形態でテックスクール・プログラミングスクールを提供している意味について、このnoteの記事で紹介したいと思います。

文化的既成概念を捨て、異文化や多様性へのオープンネスを体得できる

そもそも、今の時代において「留学」とはどのような価値を持つでしょうか?私たちが考える「留学」の意義は、「語学の学習」ではありません。「異文化を体験する」ということです。

私たちフランジアは、ベトナム、バングラデシュ、フィリピン、カンボジア、シンガポール、日本に拠点を構える多国籍なIT開発会社なのですが、基本的にはベトナムを中心としたアジアの発展途上国を大規模拠点として仕事をしています。そんな中で私たちが体感的に感じていることは、ベトナムやフィリピンのITエンジニアが、もはや日本の一般レベルのエンジニアより、プログラミングスキルにおいて優秀な人材である、ということです。

その際私が驚きを持ってしか語れないことが、例えば私の拠点であるフィリピンの場合、
・大学生は4年間1台の低スペックラップトップで耐えるのが通常であること
・インターネット環境がそもそもかなりの低速環境がベースであること
・スマホを使ってネット環境にアクセスできている大学生はかなりの少数派であること
というような状況が一般的であるのに、フィリピン人のエンジニアは想像をはるかに超えたプログラミングスキルを持っているということです。

私自身初めて途上国を回ったときには、未だにゴミゴミとした町並みやストリートチルドレンが歩きまわっているという環境、携帯インターネットは未だに3G(3年ほど前です)、というような状況で、「やはり途上国は途上国である」と、ある種暗黙に見下しててしまうような観点を持っていました。
ですが、特にIT系の技術者と一緒に仕事をするようになって気づくのですが、現地のエンジニアコミュニティはきちんと最新のトレンドをトピックとして議論をしており、実際の開発現場での彼らのエンジニアとしての仕事のレベルは、尊敬できるとしか言えないハイレベルのスキルを持っており、そのレベルのエンジニアがゴロゴロ居る訳です。

この際に私が感じたことは、「暗黙に見下していたかも知れない途上国の人材が、スキルにおいては自分よりコードを書け、なおかつ日本人と違って英語でいつでも世界中の誰とでも仕事ができる」という衝撃であり、「見下していた人が実は見上げなければならない人なのではないか?」という生の異文化体験でした。このような衝撃は、私たちの価値観を大いに揺るがしてくれます。

特に、今はテクノロジーによって国民国家という近代民主主義を支えてきた仕組みや、国民国家によって定義付けられている法定通貨(日本円など)を代替する暗号通貨、その裏側にあるブロックチェーンというテクノロジーなどにより、既存の国家や文化の違いという枠組みを崩し・再定義することができるような社会環境となっています。

そのような社会を生きながら、多様な価値観が入り乱れていくグローバル社会を我々自身で再設計していく必要がある、というのが21世紀前半という時代でしょう。

そのような世界を生きていくにあたっては、「日本という単一文化国家に生まれ育って固定化してしまった既成概念を捨て去ること」「多くの多様な文化に対してオープンに受け入れていくことができる異文化共生力を身に付けること」のようなものが、圧倒的に重要になってくることは自明です。

そのような社会認識に基づいたときに、「暗黙に見下していたかもしれない人々を見上げなければならないかもしれないという衝撃」は私たちの既成概念をきちんと打ち壊してくれ、さらに物質的な不便を忘れてしまった日本人にとって「物質的な不便に満ち溢れながら生きている途上国の人々の生活」は、私たちが通常生きていては体感することがなかったような「多様性へのオープンネス」を呼び覚ましてくれます。

このような価値観への揺らぎ、異文化への受容性は、若い間に経験すればするほど価値があるものです。このような価値観の変容を体感的に経験することができるのは、「途上国への留学」という形態が持つユニークな経験と言えます。

留学という合宿だからこそ得られる密度の高い学び

また、途上国への留学というのは、別のわかりやすい恩恵をもたらしてくれます。それは「合宿しているかのような生活になる」という、すごく牧歌的な話です。

みなさん、学生時代合宿は好きでしたよね?僕は大好きでした。ソフトテニスを部活としてしており、中学も高校も部長をしていたのですが、合宿で朝から晩まで体が真っ黒になるまで日焼けしながら練習に明け暮れる毎日が僕は大好きでした。
社会人になってからも合宿は大好きです。自分たちのサービスをどのようにすれば世の中により高い価値を提供できるのか。そんなことを気づけば腹を割って話し合えてしまう、という空気が作れるのも合宿の醍醐味ですよね。

途上国留学での学習は、ある種精神と時の部屋のように、余計な娯楽が少ない状態で、「学びにフォーカスをできる」と自然と自分を追い込むことができる環境になります。必然的に朝から晩まで勉強をしている、という状況が生まれます。また、共に学ぶ仲間も、同じ目的を持って学習をする仲間となるので、切磋琢磨しながら同じ方向を向いて学び合えるというコミュニティが生まれます。

そして、少なくとも、そこに居るすべての人は、日本に留まらずに何かを成し遂げたいという想いを皆が持っています。

そのような密度の高い学びと仲間、コミュニティが得られる、そのようなことも留学形式で学習することの大きな価値と言えるでしょう。


今後の社会は、私たちが望むと望まないかに関わらず、既存の国民国家や国境と呼ばれる枠組みは徐々に意味を失い、そんな中で多様性を受け入れながら新たな社会設計を私達自身で作っていく、ということが必要になってきます。

そのような社会を生きながら、新たな社会を設計する際に重要になってくるのは、テクノロジーへの理解と、社会を設計しながら私たちの想像力を社会に実装していく広い意味でのエンジニアリングスキル(工学的スキル)です。

そのために必要な「異文化や多様性へ開かれた想像力」を不可避に磨き、同時に今後の未来を創造するにあたって必要な「エンジニアリングスキル」を具体的なプログラミングスキルも含めて学習していく。

そんな未来のグローバル社会への構想力を持った人材育成をできるのが、「留学という形態でのテックスクールである」と考えています。

未来を創る人材となることを考える若きチャレンジングな人たちが、私たちが開講しているテックスクールの門を叩いてくれることを、楽しみにしています。


私の管理するテックスクールは、未来を担う人材育成をしたいと考え、私設奨学金として受講生へ割引をしたいと考えています。 もし記事を読んでサポート頂けますと、弊社スクールを検討する学生への奨学金としてプールし、還元していきます。小額でもぜひ、サポート頂けますと幸いです。